小林隆英さん (こばやし・たかひで)
クラフトコーラ職人
2021.07.18
大事なのは、香辛料のセレクトより使い方
おそらく世界初のクラフトコーラ専門メーカーだろう。薬瓶に入ったシロップには、カワセミのイラストと「伊良(いよし)コーラ」という屋号がデザインされた、レトロなラベルが貼られている。
このシロップを3倍の炭酸水で薄めて飲むと、おお、確かにコーラの味。スパイスや柑橘が、それぞれの輪郭を保ちながら調和している。伊良コーラでしか味わえない個性的なフレーバー。これは小林隆英さんが祖父から引き継いだ漢方調合の考え方が色濃く反映されているという。
昨年(2018年)、青山ファーマーズマーケットでデビューしてすぐにファンを増やし、現在はウェブショップでも入荷待ちの状態だ。
おそらく世界初のクラフトコーラ専門メーカーだろう。薬瓶に入ったシロップには、カワセミのイラストと「伊良(いよし)コーラ」という屋号がデザインされた、レトロなラベルが貼られている。
このシロップを3倍の炭酸水で薄めて飲むと、おお、確かにコーラの味。スパイスや柑橘が、それぞれの輪郭を保ちながら調和している。伊良コーラでしか味わえない個性的なフレーバー。これは小林隆英さんが祖父から引き継いだ漢方調合の考え方が色濃く反映されているという。
昨年(2018年)、青山ファーマーズマーケットでデビューしてすぐにファンを増やし、現在はウェブショップでも入荷待ちの状態だ。
コーラ作りは「手順」が肝心
「小学生の頃は虫や植物が好きでした。漢方職人をしていた祖父の工房も好きで、よく生薬の加工の手伝いをしてましたね」。東京・下落合の工房で小林さんは振り返る。ここはかつて祖父の漢方工房「伊良葯工(いよしやっこう)」があった場所だ。小林少年は生薬を刻んだり蒸したり、調合する祖父の背中を見て育った。
しかし小学校高学年を迎えた頃、「世の中でかっこいいと言われるスポーツとかをするようになって」次第に足が遠のいた。大学4年目でフィリピンの海洋保全NGOでインターンシップをしたり、長期休暇を使って世界を旅したり。20代前半のキャリアの軌道からは、自分の熱中できることを模索する小林さんの姿が見える。
大学院2年の夏に行ったインターンシップ先の広告代理店との相性が良く、修了後は同社に入社。その後ネットサーフィンで見つけたコーラのレシピが、小林さんの人生を大きく舵切りすることになる。「フィリピンの山奥にいた時、コーラって不思議な飲み物だなって思っていたんです。何かよくわからない飲みものなのに、世界中で飲まれているじゃないですか」
作ってみたら、それらしいものはできた。基本的にコーラの作り方は、スパイスと柑橘と砂糖を煮詰めるだけ。でもコーラの味には決定的な何かが足りない。3年弱、毎日配合を変えて作っては飲み、日々の記録を残したが「コーラ“っぽい”ものしかできなかったんです」。同じ頃、祖父が他界し、遺品整理で漢方工房に足を踏み入れた。祖父が残した器材を見ながら親戚と思い出話をするうち、漢方の調合とコーラ作りが小林さんの中で繋がっていった。
スパイスはいつ火を入れるのか、炒るのか・蒸すのか、どう潰すのか、水に漬け込むのか、混ぜた後はどのくらい寝かせるのか――。「どのスパイスや柑橘類を使うか」と同じくらい「どう調合するか」が味を大きく左右することに気がついたのだ。子供の頃、工房で見ていた祖父の調合技術風景が脳裏に蘇った。実はあの手順が肝なんじゃないだろうか、と。
「コカ・コーラはもともと、アメリカの薬剤師のジョン・ペンバートンという人が開発した滋養強壮剤です。人の健康を祈って生まれた飲みものという意味で、漢方の考えとシンクロしました」。その予感通り、試行錯誤したことで伊良コーラが完成した。
小林さんの「コーラ」の定義は2つだ。
1.コカ・コーラ社の味がベンチマーク
2.コーラの実を使う
コーラの実自体にほぼ香りはなく、苦味だけがあるのだという。コカの葉と、コーラの実を使ったのがオリジナルのコカ・コーラ。さすがにコカは使えないが、滋養強壮のために使われたコーラの実は外せない。
しかし小学校高学年を迎えた頃、「世の中でかっこいいと言われるスポーツとかをするようになって」次第に足が遠のいた。大学4年目でフィリピンの海洋保全NGOでインターンシップをしたり、長期休暇を使って世界を旅したり。20代前半のキャリアの軌道からは、自分の熱中できることを模索する小林さんの姿が見える。
大学院2年の夏に行ったインターンシップ先の広告代理店との相性が良く、修了後は同社に入社。その後ネットサーフィンで見つけたコーラのレシピが、小林さんの人生を大きく舵切りすることになる。「フィリピンの山奥にいた時、コーラって不思議な飲み物だなって思っていたんです。何かよくわからない飲みものなのに、世界中で飲まれているじゃないですか」
作ってみたら、それらしいものはできた。基本的にコーラの作り方は、スパイスと柑橘と砂糖を煮詰めるだけ。でもコーラの味には決定的な何かが足りない。3年弱、毎日配合を変えて作っては飲み、日々の記録を残したが「コーラ“っぽい”ものしかできなかったんです」。同じ頃、祖父が他界し、遺品整理で漢方工房に足を踏み入れた。祖父が残した器材を見ながら親戚と思い出話をするうち、漢方の調合とコーラ作りが小林さんの中で繋がっていった。
スパイスはいつ火を入れるのか、炒るのか・蒸すのか、どう潰すのか、水に漬け込むのか、混ぜた後はどのくらい寝かせるのか――。「どのスパイスや柑橘類を使うか」と同じくらい「どう調合するか」が味を大きく左右することに気がついたのだ。子供の頃、工房で見ていた祖父の調合技術風景が脳裏に蘇った。実はあの手順が肝なんじゃないだろうか、と。
「コカ・コーラはもともと、アメリカの薬剤師のジョン・ペンバートンという人が開発した滋養強壮剤です。人の健康を祈って生まれた飲みものという意味で、漢方の考えとシンクロしました」。その予感通り、試行錯誤したことで伊良コーラが完成した。
小林さんの「コーラ」の定義は2つだ。
1.コカ・コーラ社の味がベンチマーク
2.コーラの実を使う
コーラの実自体にほぼ香りはなく、苦味だけがあるのだという。コカの葉と、コーラの実を使ったのがオリジナルのコカ・コーラ。さすがにコカは使えないが、滋養強壮のために使われたコーラの実は外せない。
自己表現であり、社会的な使命
はじめは週末限定の趣味のつもりだった。
工房ができるまではレンタルキッチンでシロップを作り、小さなバンをフードトラックに改装。中に積み込む機材は炭酸水メーカーと看板のみとミニマムに抑え、自身の貯金だけで始められる規模に抑えた。同時に、会社員時代の仕事でつながりのあった青山ファーマーズマーケットの担当者に相談して出店場所を確保。ロゴやデザインは昭和のノスタルジックを意識した。ビニールパックで提供するスタイルは東南アジアを旅した際、ビニール袋にジュースを入れて売っているのを見て着想を得た。これらのブランディングを一人で、約1カ月で作り上げたというから驚きだ。
ロゴには、水中に飛び込み魚を捉えるカワセミのように、常識を破るような挑戦をしたいという思いを込めた。「コーラ作りは僕にとって、自己表現でもあり、社会的な使命感でもあると思います」と小林さんは言う。「自分には特別得意なことがないことが、ずっとコンプレックスでした。でも今は、コーラ作りを通して自分の人生で学んだこと全てを生かし、社会に貢献できていると感じています。この仕事のあり方が、かつての僕のように悩んでいる子どもたちへのヒントになれたら嬉しいですね」
工房ができるまではレンタルキッチンでシロップを作り、小さなバンをフードトラックに改装。中に積み込む機材は炭酸水メーカーと看板のみとミニマムに抑え、自身の貯金だけで始められる規模に抑えた。同時に、会社員時代の仕事でつながりのあった青山ファーマーズマーケットの担当者に相談して出店場所を確保。ロゴやデザインは昭和のノスタルジックを意識した。ビニールパックで提供するスタイルは東南アジアを旅した際、ビニール袋にジュースを入れて売っているのを見て着想を得た。これらのブランディングを一人で、約1カ月で作り上げたというから驚きだ。
ロゴには、水中に飛び込み魚を捉えるカワセミのように、常識を破るような挑戦をしたいという思いを込めた。「コーラ作りは僕にとって、自己表現でもあり、社会的な使命感でもあると思います」と小林さんは言う。「自分には特別得意なことがないことが、ずっとコンプレックスでした。でも今は、コーラ作りを通して自分の人生で学んだこと全てを生かし、社会に貢献できていると感じています。この仕事のあり方が、かつての僕のように悩んでいる子どもたちへのヒントになれたら嬉しいですね」