HOME 〉

PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

90歳。「築地は天国ですよ。ヘマしてもかばってくれるから」

生涯現役|「ねぎし 丸昇」大場 康裕

2023.10.05

89歳。築地は天国ですよ。ヘマしてもかばってくれるから|生涯現役「ねぎし 丸昇」大場 康裕

text by Michiko Watanabe / photographs by Masashi Mitsui

連載:生涯現役シリーズ

世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。


大場 康裕(おおば・やすひろ)
御歳90歳 1933年(昭和8年)9月9日生まれ

山形から上京後、東京・築地の文房具店に就職。約6年働いたのち、湯葉と生麩の店へ。10年勤めたのち独立。日暮里に、妻とおでんと大学芋の店「ねぎし丸昇」を開く。店内ではイートインも可能。

(写真)おでんを取り分ける大場 康裕さん。著名人の常連も多く、イートインの部屋の壁にはメッセージが書かれた色紙や写真がびっしり貼られる。テイクアウト用のおでんは、自慢のだしをビニール袋にたっぷり注ぎ、遠方からの客にはこぼれぬよう2重に密封。状態が変わってしまうので、家で温める際は蓋をせず、煮立たせず、が鉄則だそう。


うちのおでんは“江戸うす口”
おやつにしたり、ごはんと食べてほしいからね

窓開ける 
すがすがしい風
若みどり
(何句も墨跡鮮やかな貼り紙が)

あー、あそこに貼ってあるヤツね。恥ずかしながら、僕の俳句です。
そんなことより、まずはおでん食べてみてよ。何からがいいって? 大根からだね。だしがよく染みててべっ甲色になってる。うまいでしょ。

そもそもは、大学に行こうと友達3人で山形から出てきたんだけど、僕だけ落ちちゃったの。それで、水産会社の人の世話で築地の文房具屋に勤めることになった。「魚は腐るけど、文房具は腐らないから」って(笑)。5~6年働いて、次に、湯葉と生麩の「角山本店」という店に入ったの。取引先が一流ホテルの和食屋や結婚式場、劇場とか、いいところばっかりだから、いろんなところに出入りしながら味を盗ませてもらったりした。

だんだん仕事を覚えてきたんで、何か商売を始めようと思って、おでん屋をやることにしたの。鍋も3万円ぐらいで買えるし、おでん屋が一番資金がかからずにすぐに始められそうだったから。そしたら、さつま芋の卸しをやってる知り合いに、「甘いもんも売ったらいいんじゃないか」とアドバイスもらって、おでんと大学芋の店になったわけ。

店を開いたのは今の場所、東京都荒川区。店の隣の隣に算盤塾があって、塾の帰りに子どもたちが山ほど来たよ。小遣いで買いに来るもんだから、おでんも小さく切ってあげて、買える値段にしてあげたりしてね。それでも十分、日々の食い扶持にはなりました。

もちろん、大人のお客様もたくさん来てくれた。ある時は、黒塗りの大きな車がやって来て、白手袋の運転手さんが降りて来たの。僕は運転手さんが自分のために買いに来たのかと思ったら、大銀行の頭取さんが親戚のおばあちゃんにもらった大学芋があんまりおいしかったからって、わざわざお使いをよこしたんだって。近所の人だけじゃなくて、遠方から来てくださる方も多くて、ホント、ありがたいよ。

おでんのネタは築地時代の人脈があるから、スムーズだったね。店によって得手不得手があるのがわかってたから、いいとこどりもできる。築地で働いていたことがものすごく役に立った。長いこと、プロの仕事を見てきたから。築地で学んだ大事なことのひとつが、仕入れは一切値切らないってこと。あちらにはあちらの事情がある。そうすることで信用ができて、いいものを回してくれるようになる。

築地の仲間には本当に世話になったよ。若い頃は銀座で飲んでお金がなくなって帰れなくなったり、仕事での失敗もいろいろやったけど、必ず助けてくれた。多少荒っぽいけど辛抱強く丁寧に教えてくれたし、誰も出ていけ、なんて言わなかった。

東京の下町は味を濃くするんだけど、うちのおでんは“江戸うす口”。酒のアテだと味が強めがいいけど、うちのは、おやつにしたり、ごはんと食べてほしいから、うす口にしてる。そのほうが量もたくさん食べられるしね。だしは煮干しと昆布でとってるんだけど、とくに味つけはしてないの。だしを濃くとって、醤油は1、2滴たらす程度。それでも醤油ってすごいもんで、ちゃんと味と風味が加わるのよ。

具材は全部で30種類ぐらいあるんだけど、オリジナルは「山の幸」っていう巾着。中に椎茸や舞茸とか何種類ものきのこが入ってる。きのこは味が染みにくいんだけど、しっかりと煮込んでるから、おいしいよ。みんな「何これ!」って驚いてくれるね。

大学芋の仕込みは奧さんの仕事。奧さんとは幼なじみなのよ。そう、山形の。蜜は白ざらめで作るんだけど、ときどき水を加えながら8時間ぐらい炊く。これくらい炊かないとすっきりした甘さにならないね。さつま芋は菜種油で、温度を変えて3回揚げてます。40分ぐらいかかる。サラダ油で試したこともあるんだけど、3回目になると、泡吹いちゃって温度が上がらなくなるんだよ。

毎朝7時に起きて、朝ご飯食べてから店まで自転車を5分ほどこいで行く。以前は家から店まで歩いてたんだけど、今はラクしてます。仕事は朝8時から。昼と夜の分のおかずは、仕込みが終わり次第、店で作ってます。いろんな野菜を細かく切って蒸し焼きにして、卵や肉と一緒に食べたり。店は夜7時まで。仕事が終わったら、家に帰って風呂入って寝る(笑)。シンプルですよ。

この秋で90歳。ともかく、仕事が好きで好きで、ここまで続けてこられた。奧さんは82歳だけど、あの通り、陽気だからね。一緒に元気に働けて楽しいよね。

秋も深まって、さつま芋がさらにおいしさを増してます。大根もおいしくなってる。ぜひ、食べに来てください。

おでんのだしは、煮干しと昆布。ほんのり甘く、澄んだ味わいで、「うちは酒のアテとしてじゃなく、夕食やおやつに食べるおでんだから」と醤油は仕上げに1、2滴加える程度。「あとは練り物の味がだしに染みてくる」。8時間煮詰めた蜜を絡める大学芋は、ビジネス用のお土産としても人気。

おでんのだしは、煮干しと昆布。ほんのり甘く、澄んだ味わいで、「うちは酒のアテとしてじゃなく、夕食やおやつに食べるおでんだから」と醤油は仕上げに1、2滴加える程度。「あとは練り物の味がだしに染みてくる」。8時間煮詰めた蜜を絡める大学芋は、ビジネス用のお土産としても人気。



毎日続けているもの「おでんと大学芋」

◎ねぎし 丸昇
東京都荒川区東日暮里4-2-2
☎ 03-3807-0620
10:30〜19:00
日曜、祝日休

料理通信メールマガジン(無料)に登録しませんか?

食のプロや愛好家が求める国内外の食の世界の動き、プロの名作レシピ、スペシャルなイベント情報などをお届けします。