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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

86歳。「暦で潮の満ち引きを調べてね。稼ぎどきの準備をしておくの」

生涯現役|「佐賀町 長寿庵」野地 芳雄

2024.02.22

86歳。「暦で潮の満ち引きを調べてね。稼ぎどきの準備をしておくの」 生涯現役|「佐賀町 長寿庵」野地 英雄

text by Michiko Watanabe / photographs by Atsushi Kondo

連載:生涯現役シリーズ

世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。


野地 芳雄(のぢ・よしお)
御歳86歳 1937年(昭和12年)8月5日生まれ

中学卒業後、叔母の嫁ぎ先「両国橋 長寿庵」へ。本店で10年修業を積み、若い職人の指導にもあたる。その後、1966年独立。永代橋開店を経て、都電の廃止に伴い、1975年、現在の佐賀町に店を構える。料理の腕には自信あり。幅広く情報収集も欠かさない。趣味は、月曜から金曜までが株、土日は競馬。そんなふうに年中数字を追いかけることが、長生きのコツだと語る。

(写真)厨房に立つ野地芳雄さん。店に出勤して一番に行うのは番頭との打ち合わせ。天気や温度を見ながら注文の出数を予測する。「長年続けてりゃ大体予測がつくよ」。最近は、近隣のマンションの一人暮らしの若者が20時ぎりぎりに来店するため、営業時間を引き延ばせないか思案中。


おいしく出すにはコストがかかるんですよ。
でも、いろいろと頭を働かせる。
そこが腕の見せどころよ。

こう見えて東京生まれなの。それも赤坂の丹後町。小学校は赤坂小学校。
父は「とらや」の番頭やってたんだよ。子どもの頃は、赤坂御所の中にこそっと入らせてもらって、銀杏やどんぐりを拾ったもんよ。今じゃ考えられないけどね。

叔母が「長寿庵」っていう蕎麦屋に嫁いだもんだから、「おまえもうちに来て仕事しなさい」ってことになって、中学出たらすぐに店に入ったの。高校は行ってないよ。貧乏だったから、しょうがねぇよ。

店は両国橋のたもとにあって、大きな店だった。そこで一生懸命働くうち、あちこちの支店で若い連中に仕事を教える立場になってね。10年くらい経ったときに、「おまえもそろそろ独立しろ」っていわれて、「しめた!」って思ったね。

まずは永代通りで店を開いて15年くらいやったかなぁ。それから、いまのところに越したのよ。このあたりは、渋沢栄一が設立した「澁澤倉庫」を始め、三菱倉庫、三井倉庫とか倉庫業で栄えたところでね。倉庫ってのは物流と切り離せないけど、以前は、隅田川から水路を通ってハシケが倉庫まで荷物を運んでくる。ハシケが来るのは引き潮のときに限るんだけど、荷物が来ると残業になるから出前を頼まれる。稼ぎどきなのよ。だから、暦で潮の満ち引きを調べてね。準備をしておくの。

今はもう水路はなくなっちゃったけど、倉庫が一部残ってるし、倉庫だったところがテナントビルやマンションになってて、ニーズはあるの。商売は場所だよね。

蕎麦も中華麵もうどんも、地下の工房で製麺してるの。
実は、蕎麦ってものすごくコストがかかる。時間が経つと黒く変色するからロスも多くてね。蕎麦粉が高いし、鰹節も昆布も高いから。

うちはメニューが多いでしょ。かけそば、もりそばだけだと原価割れしちゃうからってこともある。おいしく出すにはコストがかかるんですよ。でも、最小のコストで最大のおいしさを出したいから、いろいろと頭を働かせる。そこが腕の見せどころなのよ。

食い物屋って味だけじゃうまくいかない。客の応対も大事よ。ときには冗談の一つも言って、客とうまくコミュニケーションとることも必要なの。お客様においしく気持ちよく食べていただくことね。おいしくて気分がよかったら、また来てくれる。そうなりゃ、お互い気持ちがいいじゃない。

近所の店と仲よくやることも大事。自分とこだけよくなろうじゃなくて、みんなでよくなる。お互い繁盛することよね。

今、うちは私が社長で息子らが従業員という形なんだけど、自分は創業者として棺桶に入るまでは頑張ってやろうと思ってる。それが創業者としての、また、親としての務めだと思ってるの。息子や従業員に、上から「やれ」と言うだけじゃ誰も動かないでしょ。自分自身もそれなりの骨を折った上で、「頑張れよ」といえば、やってくれる。

毎朝6時頃起きて、テレビで今日の兜町の動きを見てから、朝ご飯を作る。カミさんが作るよりオレのほうが上手いもん。作るったって簡単なものよ。おつけ(味噌汁)と焼き魚とお新香ぐらいよ。10時頃、夫婦で出社してその日の天気と温度を見て、仕込みの相談をして仕事を始めて3時まで。それから、まかない食べて2時間休憩して5時か5時半から夜の仕事。夜は近くのワンルームマンションに住んでる、ひとり暮らしのお客さんが多いね。それが8時ぐらいまで。夜はもう年寄りだから、夫婦ともども、コンビニのあんパンとかでいいの。明日の兜町を予想しながら、寝るのは10時ぐらい。

もう仕事の動きが体にしみついてて、日常生活と仕事がひとつになってる感じ。商売してる人はみんなそうだよ。だから、自然と体が動いて仕事ができることがありがたい。毎日、「やっぱりオレがいなきゃダメだな」って思えることがうれしい。まさに生涯現役だよ、死ぬまで頑張るよ。

86歳。「暦で潮の満ち引きを調べてね。稼ぎどきの準備をしておくの」 生涯現役|「佐賀町 長寿庵」野地 英雄

カツ丼もりセット(¥980)。小麦粉3割、そば粉7割、のど越しの良い蕎麦は地下で製麺。平日の昼間は近隣に勤める会社員が多く来店。蕎麦と人気を二分する中華麺も蕎麦と同じ機械で製造する。



毎日続けているもの「蕎麦、かつ丼

◎佐賀町 長寿庵
東京都江東区佐賀1-16-2
☎ 03-3641-1874
11:00~15:00(土曜のみ~14:00)、17:00~20:00
日曜、祝日休
https://chojuansaga.wordpress.com/

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