伝えたいのは“ハッピー・ドナベ・ライフ”
Donabe ディストリビューター 武井モア奈緒子
2023.02.20
再開発が進むロサンゼルス、ダウンタウンで話題の現代美術館「ザ・ブロード」の隣に、2016年オープンした人気レストラン「オティアム」がある。店のコンセプトはソーシャル、つまり、人々がリラックスして交流できる場所だ。この店のシグネチャーメニューが、土鍋料理である。
“同じ釜の飯を食う”が、今、西海岸の人々には、クールな日本食文化として人気なのだと言う。今(2017年)から約10年前、アメリカの市場に初めて日本の伝統的製法の土鍋を売り始めたのが、武井モア奈緒子さんだ。
仕事の軸が音楽から食へ
最初の就職先は、レコード会社だった。洋楽と海外のエンターテインメントが大好きだった。バブル崩壊の直後だったが、幸運にも当時勢いのあった洋楽部に配属され、接待や来日アーティスト同行も多く、おいしいレストラン、ワインを堪能した。そんな機会に恵まれて、元々持っていた食やワインへの情熱が募った。忙しい仕事の合間にワインスクールに通い、ワインエキスパートの資格を取得した。そして食をさらに追求したいと、退職して米・西海岸で好きな料理を学ぶことを決意し、カリフォルニア州パサデナの「ル・コルドン・ブルー」に行き先を決めた。
渡米して2カ月後、現在のパートナーと出会う。結婚後は、ワイン専任教師のポジションのオファーを受け、その後ワイン講座の新カリキュラム作成も任され、ワイン教育に専念した。好きなワインの仕事には2年没頭したが、同じ内容を繰り返し教え続けることに限界を感じ、退職を決意。ローリングストーン的な展開だが、好きなこと、という軸は同じだ。
そして、彼女の次の出会いが、07年日本で食べた土鍋ご飯だった。そのおいしさに心掴まれた。「今扱っている伊賀焼、長谷園(ながたにえん)の土鍋を使っていたのです」。アメリカのカリフォルニア米で炊いても、やはりおいしい。アメリカ人も、今までの米と全然違うと感動してくれた。「輸入して売りたい」と早速メールをして、熱意を伝えた。「うちも輸出は素人ですが、一緒に手探りでやりましょう」。長谷園の言葉で、アメリカでの土鍋販売が始まった。
当時のアメリカは、すし、天ぷら、すき焼きなど、日本食ブームの第一段階だった。「マーケティングの発想はなく、土鍋は素晴らしいよ、日本の家庭料理もおいしいよと、知らせたかったんです」。最初、船便で輸入した土鍋は、約半分が破損する事態に。自宅を事務所兼倉庫にし、手作りのHP、自宅での料理教室と、地道なスタートだった。だがほどなく流通を助けてくれる日本企業が見つかり、土鍋教室の情報が地元の人気新聞“LA TIMES”に掲載される。
Donabeはソーシャルな日本の食文化
起業当初から、単なる道具ではなく、日本文化として土鍋を伝えたいと考えた。日本の伝統レシピを伝えるのでもなく、彼女が一番大切にしたのは、一緒に土鍋を囲む共食の大切さ、楽しさ、それによって生まれる幸福感だった。料理教室では、アメリカでも入手できる材料を使って自宅で作れる料理を紹介し、口コミで評判が伝わった。
ちょうどネット環境が劇的に進化した時期で、自身も積極的に情報発信した。手応えを感じたのは、ひとつ鍋を買うと、違う種類も買う客が多かったこと。そして、土鍋になじみのない米国人が顧客の中心になったことだ。プロの料理人も土鍋に関心を示した。最初に反応したのはシェフ、カイル・コノートン氏。日本で料理人経験のあった彼の応援もあって米国トップシェフらの間に土鍋が広まっていった。「本を出す相談をしたのもカイルでした。それからが大変でした(笑)」
アメリカでは、出版エージェントを通じて出版社に売り込みをする。そのため、エージェントと契約し、企画書の書き方からライティングまで、あらゆる指導を受ける。企画が通り、出版社が決定してから出版まで、さらに2年かかった。が、苦労は報われた。15年秋に発売となった『DONABE』は、様々な米国内外のメディアに取り上げられ、彼女と土鍋の知名度は一緒に上がった。日本食人気も販売を後押しした。
「今は、アメリカ以外の国からも問い合わせや注文、イベントのお誘いがきます」。本の出版後、自宅の事務所は手狭になり、2017年はショップのオープンを予定している。アメリカに憧れた彼女の人生は、日本の土鍋にはまることで、広い世界に繋がった。
「土鍋の可能性は無限大です。食べる人をハッピーにしてくれるライフスタイルです。今は、面白い食材に出会うと、土鍋で何ができるかと考えてしまうんです( 笑)」
世界の和食、土鍋ファンの間で、彼女は今、ミセス・ドナベと呼ばれている。
(雑誌『料理通信』2017年2月号掲載)
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