生涯現役シリーズ #06
81歳の洋食料理人。「厨房が、私にとっての安らぎの場所」
東京・高井戸「レストランEAT」根岸政明(ねぎし・まさあき)
2021.07.01
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢化社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
根岸政明(ねぎし・まさあき)
御歳81歳 1937年(昭和12年)9月12日生まれ
「レストランE A T」
埼玉生まれ。5人兄弟の次男。15歳で上京し、洋食屋で修業。15年間にわたる修業の後、30歳で東中野に店をオープン。その後、高井戸に移り、40歳の時に現在の地に店を構える。その後50歳で店の建て直しと、10年ごとに大きな決断をしてきた。年に2回の休みである盆と正月には、旅行に行くのがお決まり。常宿のホテルで、家族とともに朝昼晩とレストランを一巡し、ゆったり食事するのが楽しみ。
(写真)ソースを仕込み中の根岸さん。音楽を聴きながら仕込みをする時間が至福の時。最近のお気に入りは、演歌。「詞があると、歌にのめり込んで仕事が手につかなくなるから、メロディーだけにしています」(根岸さん)。
私の生活は、ほとんどが厨房で過ごす時間です。
デミグラスソースは、一口舐めればその店のレベルがわかります。レシピ通りに作れば、誰もが同じ味になるわけじゃない。長年の勘と腕がものを言うんです。うちの定番メニューのタンシチューも、このデミグラスソースが味の要。野菜、牛スジ、タン、鶏の足を加えて、煮込んで漉すのを2週間繰り返して完成します。良い材料を惜しみなく使うから、一緒に店を切り盛りしている妻からは、採算度外視が過ぎると注意されています(笑)。
私が常に心がけているのは、ここへ来ないと食べられない味を作ること。今でもお客さんは、遠方から来る常連がほとんどです。みんな、うちに来ると必ず頼む“自分の味”が決まっているから、メニューを見て悩むことが少ない。その味を求めて、何十年ぶりかに再訪してくれる方も多いんです。
私が洋食の道に入ったのは、15歳の時。遠縁の伝手で紹介された店がたまたま洋食屋だったんです。まだ戦後間もない頃で、街には戦争孤児の姿もありました。まともに食べられない時代だったから、初めて洋食を食べた時はそりゃあ感動しました。住み込みで働いた修業時代は、洗い場からホール、出前持ちと何でもこなしましたよ。そこで15年働いた後、独立して自分の店を開いたのが30歳の時です。
修業時代に培ったものは本当に大きかった。お客さんとの縁もその一つで、修業していた店のお客さんが、私の店にたくさん来てくれたんです。広告宣伝は一切していませんが、口コミで広がっていきました。お客さんからの紹介となると、紹介してくれた人のメンツを潰さないように、こちらも一生懸命。そうやって少しずつ常連が増えていき、順調にここまで来られました。
店を始めて50年、いろんな時代の変化も見てきましたよ。バブルの頃は一日200人前後のお客さんが詰めかけて、10人の従業員がフル稼働と、とにかく忙しかった。今はその頃と比べると、客足は3分の1に減ったけれど、今の自分たちにはちょうどいいかな。私は自分の目が行き届く範囲で仕事をしたい。これまで都心への出店や支店オープンの誘いなんかもあったけれど、全て断ってきました。
私の生活は、ほとんどが厨房で過ごす時間です。休みの日も、週末に向けての仕込みをするのがお決まり。丸一日休むのは、お盆と正月ぐらいかな。朝は8時前に起きて、すぐ店に入ります。朝が弱いので、目覚まし代わりに甘めのコーヒーを飲んで、じっくりエンジンをかけるんです。その後10時半まで仕込みをし、新聞を読みながら朝食を食べます。それからまた厨房に入って、11時半からのランチ営業を終えると、ちょっと休憩。その後ディナー営業の準備に入り、夜の9時には店を閉めて11時頃まで片付けをします。寝るのは深夜1時頃。食事はほとんど自分で作ります。麺好きで、ブイヨンスープでラーメンを作ったりもしますよ。うまいんだ、これが。
厨房が、私にとっての安らぎの場所。安心して厨房にこもることができるのは妻のおかげです。とは言え、75歳で疲れを感じ、80歳で老いを感じるようになりました。だけど通ってくれるお客さんがいる限り、頑張らないとね。
毎日続けているもの「デミグラスソース」
レストランEAT
東京都杉並区高井戸西3-7-10
☎03-3334-6486
11:30~14:00、17:00~21:00
月曜、水曜、木曜休
京王線高井戸駅より徒歩10分
( 雑誌『料理通信』2019年7月号 掲載)
※年齢等は取材時・掲載時点のものです