82歳。「地元産完熟イチゴを贅沢に使ったかき氷。シーズンには40キロのイチゴがなくなる」
生涯現役|「西村甘泉堂」西村勝巳
2024.07.25
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Taisuke Tsurui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
西村勝巳(にしむら・かつみ)
御歳82歳 1942年(昭和17年)8月15日生まれ
7人兄弟の3番目、次男として、カツオ一本釣りの町として知られる高知県中土佐町に生まれる。高校卒業後、恩師の勧めで、東京駅八重洲口にあったホテル国際観光に就職。洋食の料理人として18歳から47歳まで勤める。料理長に気に入られ、同ホテルでは兄弟4人が働いた(兄:ベーカリー部門、弟:中華部門、妹:総務)。先代の父親の死をきっかけに帰郷し、店を継いで今年で35年。店は1950年創業。
(写真)かき氷を作る二代目店主の西村勝巳さん。途中でみぞれの蜜をかけながら、滑らかな氷の山が、手際よく完成。かき氷は4月〜10月半ば頃までの期間限定。夏場はかき氷を求め、店先に行列ができる。
この店は、僕の代でおしまい。
何年続くか、体力次第やね
ここ久礼(くれ)は、カツオで知られる町やけど、旬の時期にはイチゴも採れる。春先には、地元産のイチゴがようけ並びます。このかき氷は、そんな地元産の完熟イチゴをたっぷりかけた、かき氷。夏場の看板商品で、1シーズンで40キロ前後のイチゴがなくなります。イチゴは冷凍しておいて、注文が入ったら扇風機に7〜8分あてて解凍。それをミキサーでトロトロに撹拌して、中にみぞれをたっぷりかけたかき氷にかける。仕上げに練乳を少し。イチゴの香りが飛ばんように、解凍したらなるべく早く提供するのが鉄則やね。
うちは昭和から続く昔ながらの菓子を作る店で、焼き菓子と生菓子が基本。中菓子(小麦粉、砂糖、水飴を配合して作られる高知の郷土菓子)やボーロ、饅頭におはぎに最中にと、品数は多いで。全部、僕一人で仕込みゆう。
かき氷のみぞれは、お袋が10年かけて作った味。中ザラ糖、黄ザラ糖、三温糖、水飴を配合して、隠し味に蜂蜜を少し。これに水を加えて65分、専用の釜で煮詰める。癖がない素朴な甘味で、イチゴのソースの香りも引き立ててくれます。
もともと僕は東京のホテルで、洋食の料理人をしよったのよ。ところが47歳の時に親父が亡くなったのを機に、店を継ぐことに決めたわけ。それまで洋食一本でやってきた僕は、菓子については素人同然。だから高知に戻ってからは、お袋と当時勤めよった職人の背中を見ながら、必死に菓子作りを覚えました。かき氷は新しい品目も加えゆうけど、菓子類は、今も昔と同じ作り方を貫いてます。
仕込みは、夜中の2時からスタート。ドーナツとあげまんは毎日仕込んで、それ以外は、焼き菓子、生菓子と、仕込む日を交互に分けます。明け方の4時半頃まで仕込みをしたら、トースト、ゆで卵、牛乳の朝食を食べて、6時頃から配達へ。菓子は店頭だけやのうて、スーパーとか道の駅でも販売してくれゆうきね。7時頃に帰宅し、1時間ほど新聞を読んで、コーヒーを飲みながら一息ついたら、9時に店をオープン。それから夕方4時まで店に立つ。昼はご飯に、煮物や佃煮などのおかず。夜は焼き魚とか肉の炒め物とか、旬の野菜とか、本当に普通のもの。昔から、お酒は飲めん。食事は粗食やね。
自分でも年齢を聞いたら気絶しそうになるけんど、ありがたいことに全く体の不調がない。この82年間、一度も入院したことがないし、体を壊したこともない。特段、運動をしたり気をつけゆうことは特にないけどね。足腰も平気やし、悪いところがないのは、お袋の遺伝かな。お袋も 95歳まで現役で働いて、99歳まで生きたきね。
東京から高知に戻って、洋食から菓子の世界に転身して35年。今思えば、あの時継ぐ決心をして良かった。勤め人と自分の店をやるのと、両方を経験して思うのは、いい仕事をするには、ある程度リラックスすることが大事ということ。もちろん緊張感も必要やけど、気を使ってばかりやなくて、周囲の人と調和して、リラックスした上で一生懸命やる。それが何よりの長生きの秘訣で、仕事を続けていけるコツやないかな。
この店は、僕の代でおしまい。だから店が何年続くかは、自分の体力次第やね。まだ体も元気なき、お袋を見習って頑張ろうと思うてます。
毎日続けているもの「かき氷」
◎西村甘泉堂
高知県高岡郡中土佐町久礼6528
8:00~18:00 不定休
(料理通信)
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