共に生き続けるということ~「エノコネクション」伊藤與志男さん
藤丸智史さん連載「食の人々が教えてくれたこと」第13回
2017.06.06
連載:藤丸智史さん連載
田崎真也さんに「師」と言わしめた人物。
ワインの仕事というと、どんな職業が頭に浮かぶだろうか? よく知られた存在としては、飲食店、酒屋、問屋、輸入会社などだろう。そして、多くの人が知るそれらは日本国内の企業であることが多い。
実際には、ワインはもっとたくさんの人々の手を介して皆さんのもとへ届く。なかでも重要な役割を果たすのが、生産者を日本向けに紹介してくれる「輸出会社」や「仲買人」である。“生産者と輸入会社のパイプ役”だが、フランスでもう30年も前から、その最前線に身を置いている日本人がいる。「エノコネクション」、伊藤與志男さんだ。
伊藤さんの名前を初めて知ったのは、15年ほど前に読んだ『ソムリエ世界一の秘密 田崎真也物語』だった。あの田崎さんに、伊藤さんはパリにおける師であり、彼がいなければ今の自分はないと言わしめていた。当時、ソムリエ試験に向けて猛勉強中だった自分にとってはまさに雲の上のさらにまた上の存在。もちろん、田崎さんも凄いと思ったが、なぜか私は「伊藤與志男」という人物に会いたいと強烈に思ったのだった。
ワインバー「ナジャ」の米沢さん(連載第7回で登場)にその話をすると、米沢さんが「伊藤さん、お会いしたことあるよ」と言う。今でこそ、米沢さんの懐の深さには驚かなくなったが、当時は「本当に?」と疑ってしまった。しかし、さほど経たないうちに、偶然、いともあっさりと、ナジャでご本人と対面できたのである。
初めてお会いした憧れの大先輩は、がっちりした体躯で、それに反してとてもにこやかで、笑顔がチャーミングな素敵な方だった。緊張しすぎて、何を話したかまったく覚えていないが、優しく明るい方だったことはしっかり記憶に残っている。
実際には、ワインはもっとたくさんの人々の手を介して皆さんのもとへ届く。なかでも重要な役割を果たすのが、生産者を日本向けに紹介してくれる「輸出会社」や「仲買人」である。“生産者と輸入会社のパイプ役”だが、フランスでもう30年も前から、その最前線に身を置いている日本人がいる。「エノコネクション」、伊藤與志男さんだ。
伊藤さんの名前を初めて知ったのは、15年ほど前に読んだ『ソムリエ世界一の秘密 田崎真也物語』だった。あの田崎さんに、伊藤さんはパリにおける師であり、彼がいなければ今の自分はないと言わしめていた。当時、ソムリエ試験に向けて猛勉強中だった自分にとってはまさに雲の上のさらにまた上の存在。もちろん、田崎さんも凄いと思ったが、なぜか私は「伊藤與志男」という人物に会いたいと強烈に思ったのだった。
ワインバー「ナジャ」の米沢さん(連載第7回で登場)にその話をすると、米沢さんが「伊藤さん、お会いしたことあるよ」と言う。今でこそ、米沢さんの懐の深さには驚かなくなったが、当時は「本当に?」と疑ってしまった。しかし、さほど経たないうちに、偶然、いともあっさりと、ナジャでご本人と対面できたのである。
初めてお会いした憧れの大先輩は、がっちりした体躯で、それに反してとてもにこやかで、笑顔がチャーミングな素敵な方だった。緊張しすぎて、何を話したかまったく覚えていないが、優しく明るい方だったことはしっかり記憶に残っている。
造り手の思想と仕事を日本に伝え、日本の理解を彼らに伝える。
伊藤さんの仕事は、“日本向けに生産者を紹介する”である。文字で書くとシンプルだ。
ブドウは季節が来ると収穫され、ワインは毎年当たり前に造られているように見えるので、変化に気付きにくいかもしれないが、実際は違う。生産者は天候やマーケットの恐ろしいスピードの変化と戦い、自分たちの信念を貫きながらも継続可能なワイン造りをしていかなければならない。毎日が判断と苦悩の連続であり、生み落とされるワインも常に変わり続けているのである。
伊藤さんは、そんな現場に身を置き続け、彼らの言葉を、自分を通して消費者に届けるのが仕事である。新しい生産者を発掘し、紹介するだけでなく、今、ワイン造りの現場で何が起こっていて、マーケットに何を知ってほしいのかを、輸入会社やワインのプロ、時には自ら直接消費者に訴えるのだ。
同時に、日本のマーケットや文化を生産者に伝え、言語や文化が違う2国間を結びつける。
実はこの“生産者に日本を知ってもらう意義”というのがとても大きい。
伊藤さんが扱う生産者のほとんどはナチュラルなワイン造りを心がけており、時に通常のワインとは見かけや味わいが違うことがある。今でこそ、ナチュラルワインは市民権を得たが、10年前は生産者も消費者も互いに誤解が多かった。個性溢れるスタイルから、他の輸入国では受け入れられないこともあった。しかし、日本は常に彼らを支持してきた。
それは、彼らの目指す農業、ワイン造り、生き方を、伊藤さんらがきちんと日本に伝えてくれたからだ。経済活動とはまた違う視線で彼らのワインを捉えて、しっかりとファンを作ってきたからに他ならない。そして、日本のマーケットが理解していることを彼らに伝え続けてくれたから、彼らは前に進むことができたのだ。
ナチュラルなワイン造りをしている生産者が今になって口々に言う、「あの頃、日本だけは私たちを理解し、ワインを買い続けてくれた。おかげで、私たちはブレることなく前に進むことができた」。
伊藤さんだけでなく、過去の記事に登場したワインの輸入を手掛ける合田泰子さん(第11回)や太田久人さん(第8回)にも言えることだが、こういった背景があって、彼らの扱う生産者のほとんどが日本を理解し、愛情を持ってくれている。フランスと日本は、言語も文化も地理的な距離も遠いように感じるけれど、情熱に溢れた親善大使たちの努力によって、生産者と消費者が心で繋がっているのだ。
ブドウは季節が来ると収穫され、ワインは毎年当たり前に造られているように見えるので、変化に気付きにくいかもしれないが、実際は違う。生産者は天候やマーケットの恐ろしいスピードの変化と戦い、自分たちの信念を貫きながらも継続可能なワイン造りをしていかなければならない。毎日が判断と苦悩の連続であり、生み落とされるワインも常に変わり続けているのである。
伊藤さんは、そんな現場に身を置き続け、彼らの言葉を、自分を通して消費者に届けるのが仕事である。新しい生産者を発掘し、紹介するだけでなく、今、ワイン造りの現場で何が起こっていて、マーケットに何を知ってほしいのかを、輸入会社やワインのプロ、時には自ら直接消費者に訴えるのだ。
同時に、日本のマーケットや文化を生産者に伝え、言語や文化が違う2国間を結びつける。
実はこの“生産者に日本を知ってもらう意義”というのがとても大きい。
伊藤さんが扱う生産者のほとんどはナチュラルなワイン造りを心がけており、時に通常のワインとは見かけや味わいが違うことがある。今でこそ、ナチュラルワインは市民権を得たが、10年前は生産者も消費者も互いに誤解が多かった。個性溢れるスタイルから、他の輸入国では受け入れられないこともあった。しかし、日本は常に彼らを支持してきた。
それは、彼らの目指す農業、ワイン造り、生き方を、伊藤さんらがきちんと日本に伝えてくれたからだ。経済活動とはまた違う視線で彼らのワインを捉えて、しっかりとファンを作ってきたからに他ならない。そして、日本のマーケットが理解していることを彼らに伝え続けてくれたから、彼らは前に進むことができたのだ。
ナチュラルなワイン造りをしている生産者が今になって口々に言う、「あの頃、日本だけは私たちを理解し、ワインを買い続けてくれた。おかげで、私たちはブレることなく前に進むことができた」。
伊藤さんだけでなく、過去の記事に登場したワインの輸入を手掛ける合田泰子さん(第11回)や太田久人さん(第8回)にも言えることだが、こういった背景があって、彼らの扱う生産者のほとんどが日本を理解し、愛情を持ってくれている。フランスと日本は、言語も文化も地理的な距離も遠いように感じるけれど、情熱に溢れた親善大使たちの努力によって、生産者と消費者が心で繋がっているのだ。
何か温かいものに包まれている気がする。
7年ぐらい前になるだろうか、伊藤さんとフランスのワイン産地を回るチャンスを得た。そこで私が感じたものは、伊藤さんと生産者との「絆」だった。
伊藤さんは住所こそパリにあるものの、一年のほとんどをワイン産地で生産者と共に過ごす。彼らの声に耳を傾け、彼らと共に悩み苦しむ。楽しいことも苦しいことも伊藤さんは共に分かち合う。だから、伊藤さんが生産者の言葉を訳す時は、まるで本人がしゃべっているように聞こえる。そして、私たちの心にすっと染み込んでくる。フランス語が流暢だからとかではなく、生産者の性格や置かれている現状なども知り尽くしているからこそだ。
そして、何より、伊藤さんは明るい。伊藤さんと一緒にいると、何か温かいものに包まれているような気がする。それはきっと生産者も同じで、伊藤さんからたくさんの勇気をもらって推進力としているのに違いない。
みんなを照らす太陽のような伊藤さんを師と仰いだ田崎さんは、きっと知識や経験以外の何かを彼から感じ取っていたのではないか。そうしてワインの知識やテイスティング能力以前に、ソムリエには伝えないといけない大事なものがあることを知っていたからこそ、田崎さんはソムリエの頂点に到達できたのではないか? そう考えると、私たち繋ぎ手にもまだまだできることがあるように思えて仕方ない。
伊藤さんは住所こそパリにあるものの、一年のほとんどをワイン産地で生産者と共に過ごす。彼らの声に耳を傾け、彼らと共に悩み苦しむ。楽しいことも苦しいことも伊藤さんは共に分かち合う。だから、伊藤さんが生産者の言葉を訳す時は、まるで本人がしゃべっているように聞こえる。そして、私たちの心にすっと染み込んでくる。フランス語が流暢だからとかではなく、生産者の性格や置かれている現状なども知り尽くしているからこそだ。
そして、何より、伊藤さんは明るい。伊藤さんと一緒にいると、何か温かいものに包まれているような気がする。それはきっと生産者も同じで、伊藤さんからたくさんの勇気をもらって推進力としているのに違いない。
みんなを照らす太陽のような伊藤さんを師と仰いだ田崎さんは、きっと知識や経験以外の何かを彼から感じ取っていたのではないか。そうしてワインの知識やテイスティング能力以前に、ソムリエには伝えないといけない大事なものがあることを知っていたからこそ、田崎さんはソムリエの頂点に到達できたのではないか? そう考えると、私たち繋ぎ手にもまだまだできることがあるように思えて仕方ない。
フィリップ・パカレ ジュヴレ・シャンベルタン1er ベレール
この4月、私は産地巡りではなく、所用あってブルゴーニュの中心地ボーヌを訪問した。ワイン関連ではなかったので、取引先には連絡せずの渡仏だったが、噂を聞いた伊藤さんがナチュール系ブルゴーニュの大家フィリップ・パカレを誘って会いに来てくれた。願っても会えない2人が揃って来てくれるなんて夢のようだった。
2号店出店のこけら落としイベントや島之内フジマル醸造所のオープンなど、私が何か大きな決断をして始めようとする時にはなぜかいつもフィリップが近くにいた。勝手にご縁を感じていたのだが、そうではなかったことに今さらながらに気が付いた。伊藤さんが近くにいてくれたから、フィリップがいたのだ。忙しくてハードな生産者めぐりの中でも、一ワイン屋のためにこうやって尽力してくれる。こんなふうに大きな心と高い視野でフランスと日本を温かく繋いでくれるのが伊藤さんである。この日、みんなで一緒に飲んだこのワインの味はきっと一生忘れない。
2号店出店のこけら落としイベントや島之内フジマル醸造所のオープンなど、私が何か大きな決断をして始めようとする時にはなぜかいつもフィリップが近くにいた。勝手にご縁を感じていたのだが、そうではなかったことに今さらながらに気が付いた。伊藤さんが近くにいてくれたから、フィリップがいたのだ。忙しくてハードな生産者めぐりの中でも、一ワイン屋のためにこうやって尽力してくれる。こんなふうに大きな心と高い視野でフランスと日本を温かく繋いでくれるのが伊藤さんである。この日、みんなで一緒に飲んだこのワインの味はきっと一生忘れない。
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