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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

藤原将志さん(ふじわら・まさし)

包丁研ぎ師 「月山義高刃物店」「日本包丁研ぎ協会」代表

2020.05.01

藤原将志さん(ふじわら・まさし)
photographs by Masahiro Goda

来日したシェフの多くが、合羽橋で包丁を買って帰る。
日本の包丁は、世界中の料理人にとって憧れの的だ。
もてはやされるのがうれしい反面、彼らの手に渡った後を考えると心配になる。
持ち帰られた包丁は研がれているだろうか、使い続けられているだろうか。
使えば必ず切れ味は落ちる。研ぎがあるから使い続けられる。
しかし、研ぎの技術はまだまだ十分に伝えられているとは言いがたい。
そんな現状を覆すべく、研ぎのクローズアップに挑むのが、三重県松阪市の刃物店に生まれ、「日本包丁研ぎ協会」を設立した藤原将志さんだ。

“切れ味”がもたらすもの。

その日、東京・千駄ヶ谷のレストラン「シンシア」では、石井真介シェフの呼びかけで10人ほどの料理人が藤原将志さんによる包丁研ぎ講習を受けていた。「自己流なんですよね」とトップシェフたちが口を揃える。誰に教わるわけでなく、「こんな感じかな」でやっている。多くのシェフたちが自分の研ぎに改善の余地を感じていることは、「カンテサンス」の岸田周三シェフや「すし㐂邑」の木村康司さんが独自に受講していたり、彼を店に招いてスタッフ全員で講習を受けるケースもあるという話が物語る。

藤原さんの講習は、包丁の構造や包丁の見方、砥石の使い方から始まって、研ぎの効果を料理に落とし込んで伝えた上で、実習に入る。
「刃の構造を知らずに研いでいる人が多い。研ぎは修理です。修理するものの構造を知らずに、修理するための道具の使い方もわからずには十分な修理はできません」
炭素鋼、特殊鋼(*1)、ステンレス鋼、粉末鋼(*2) などの素材について、刃線(刃のライン)や刃先の角度といった形状と機能について説き、自分が持っている包丁の能力と理想の状態を把握させる。
「よく『研ぎのゴールが見えない』と言われます。それは自分の包丁の構造を理解していないから。さらに、研ぎで最も大事な砥石の使い方を理解していないから。それがわかれば、包丁と砥石がゴールを教えてくれる」

藤原さんは店頭に並ぶ包丁を未完製品と考える。包丁は包丁だけでは機能しない。使い手がいて、まな板があって、食材が用意されて役割を果たす。つまり、包丁のあるべき姿は料理の現場ごとに変わる。
「研ぎを重ねて、包丁は完成されるということです。研ぎの正解は現場にしかない。使い手本人が自分で判断できるようになることが大事なんです」

自店と堺の鍛冶屋との合作による和牛刀

自店と堺の鍛冶屋との合作による和牛刀。刃の材質は日立金属製の白紙二号(炭素鋼)。
刃の状態を確認し、歪みを確認し、刃線を確認したら、刃を砥石に対して45度に当てて前後にゆっくり動かす。


切れ味を売る仕事。

三重県松阪市で70年以上続く「月山義高刃物店」の三代目として生まれた。大学卒業後、刃物の老舗、木屋に入る。百貨店の刃物売り場に配属されて、接客の傍ら、包丁研ぎのサービスを続ける中で湧いてきたのが、「切れ味とは何か?」という疑問だった。
「顧客から『あなたの研ぎ、前の人よりいいわ』と言われたことがありました。同じ包丁でも研ぎによって切れ味は変わる」
優れた身体能力を持つスポート選手がいたとしても、能力が発揮されなければ評価されない。どんな選手も最高のパフォーマンスを発揮しようとトレーニングやケアに勤しむ。包丁が身体能力とすれば、使い手がその能力を駆使し、研ぎでケアをする、ということだろう。
「売り物は包丁なのか、切れ味なのか? 包丁が商品かもしれないが、切れ味が発揮されなければ意味はない。とすれば、売り物は切れ味ではないか?」

木屋に勤めた4年間に研いだ包丁の数、約1万本。その後、親元へ戻った藤原さんは包丁研ぎの講習を、一般の主婦から三ツ星料理人まで幅広く行なった。刃物に関する金属的なデータや機械的なデータは山ほどあっても、料理の現場に即した切れ味の研究はあまりなされていないのではないか、との思いからだった。

2014年、包丁による食味の違いを検査によって明らかにしたのを機に「切れ味研究所」を店の一角に設ける。飲食店の厨房並みの調理機器や調理器具、あらゆる包丁を備えて、切れ味が料理の味にどう影響するかを探求し始めた。
「切れ味の良い包丁で切ると、リンゴの切り口が茶色くならないんですよ。細胞が壊されないから、酸化しにくい。雑味が出ない。加熱した時、アクが出ないし、煮崩れない。食材の損傷がないので、調理後の劣化も遅い。肉であれば、表面の凸凹が少ないから、焼いた時に不必要な焦げが付かず、脂も流れ出ず、硬くなりにくい。つまり、素材が本来持っている味が保持される。その結果、使用する調味料も少なくて済む。栄養の損傷も少ないと思います」

藤原さんは今、切れ味と熟成の関係を研究中だ。切れる包丁を使えば、より良い熟成がもたらされるのではないか。それは食材の寿命を延ばすことにつながり、無駄を減らすことにもつながる。研ぎの先にあるものは、私たちが思うよりはるかに大きい世界なのかもしれない。

研ぎのパーソナルトレーナー。

「切れ味の価値を打ち立てようとしている」と、自身の仕事を表現する。その先に描くのは、研ぎの高度な技術で勝負する包丁研ぎ師という職業を成立させること。
16年2月、藤原さんは日本商工会議所青年部による第13回ビジネスプランコンテストに出場、「包丁研ぎマイスター制度」をプレゼンしてグランプリに輝いた。17年2月には「日本包丁研ぎ協会」を設立し、同年と翌年、「研ぎサミット」を開催する。
「包丁研ぎマイスター制度はまだ立ち上げていません。なぜなら、包丁研ぎ師になって食べていけるのかを証明できていないから」
今の時代、資格は掃いて捨てるほどある。経済的自立を保証してくれるわけではない資格も多い。その手の資格に留まれば、研ぎの価値を高めることにはならないだろう。むしろ、逆効果を招きかねない。藤原さんは慎重を期して、包丁研ぎ師が社会において高い価値を持つ職業であることを身をもって示した上で、包丁研ぎマイスター制度をスタートさせるべきと考えた。

「トップアスリートには最高のパフォーマンスを発揮するためのパーソナルトレーナーが付きますよね。その考え方を取り入れてはどうか、と」
トップシェフの包丁のパーソナルトレーナーという役割である。通常営業時のメンテナンスはもちろん、フェアなどの出張にも随行し、包丁が、つまりはシェフが万全の態勢で調理の腕をふるえるようバックアップする。
「切る精度が高まれば、調理時の食材のクオリティは高くなる。切り方によって見知った食材の新しい味わいを見出す可能性だってある。研ぎの活用領域はシェフの間でも開拓されていないと思うのです」

包丁研ぎマイスター制度は、世界における和食文化を支える制度になると藤原さんは考える。それはそうかもしれない。すしと刺し身が海外に普及したものの、活け締めなどの仕事はまだまだ。本当の意味で日本食文化が広まったとは言い難い。包丁だけでなく、研ぎの技術が浸透して初めて日本の包丁文化が世界へ出ていったのだと言える。そして、その技が支えるのは和食だけではないはずだ。

*1 鉄に炭素以外の様々な元素を加えた合金鋼。添加する元素によって、硬度、強度、粘度、耐磨耗性、耐熱性、耐食性などの特性が増す。
*2 微粒子を焼き固めて造る鋼。硬く、微細な組織が特徴で、耐磨耗性に優れるが、研ぎづらい。


◎ 月山義高刃物店
三重県松阪市久保町1843-3
☎ 0598-29-0352
9:00~19:00
水曜休
http://www.tsukiyama.jp/

藤原将志(ふじわら・まさし)
三重県出身、1984年生まれ。大学卒業後、木屋に入社。高島屋立川店、日本橋店、新宿店の売り場責任者を任される。2010年退社、「月山義高刃物店」を継ぐ。2013年、日本研ぎ文化振興協会理事就任、研ぎ文化の発信に努める。2014年『包丁と砥石大全』、15年『包丁と研ぎハンドブック』監修に携わる。2016年、日本商工会議所青年部ビジネスプランコンテストにてグランプリを受賞。17年「日本包丁研ぎ協会」を設立。同年と翌年、「研ぎサミット」を開催。

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