パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.11 バジリカータ州ベルナルダの地域再生に思うこと
2017.01.30
「トラットリア・オステリア・ラ・ロカンディエラ(Trattoria Osteria la Locandiera)」
「退屈」な「置き去り」にされた楽園
まるで親の腕に抱かれたように内陸にほとんどが凝縮されつつも、その海岸を白い波に愛撫させるこの大地に、僕は35年前から何度か訪れてきた。
そして最も心に残る旅は、5年前の旅。
デグステリア・マニャートゥムというカラブリアの店は、第7話(カラブリア州ドッタート産イチジク編)で紹介したが、ここに行ってジョバンナの作る大型ポテト・オムレツを平らげると、シバリ(Sibari)で2両編成の小さな列車に飛び乗った。
で、乗ったと思ったら、あっという間にプーリア州ノーチ(Noci)に着いてしまった。
この間、僕は車窓から無限に広がるバジリカータの大地を眺め、次々にこの地を後にして行った人たちのことを考えていたのだった。
貧しかったがために、この不毛の大地を新たに耕そうと考える人はもういないのだ、と。
それでも、ここは心底美しい楽園だと思った。
この地域ではブドウと言えば棚仕立てで食用ブドウが栽培されており、一時はプーリア州からバジリカータ州ベルナルダ(Bernalda)の一角、メタポント地区(Metaponto)に至る広大な地域に渡って栽培されていた。
食用ブドウは35年前にはこの地域でも大切な資源だった。
僕の大学時代の同級生インマ・モンテムッロの実家でも、彼女の父親が見渡すかぎりの畑にブドウを栽培していた。
彼女の両親はベルナルダに住んでいた。
『我が村よ、眠れる老人がごとく丘に横たわる。退屈で、置き去りにされ、何の取り柄もない、そういう病にお前は苦しむ。僕は君に別れを告げよう。そして遠くへと旅立つのだ』
こんな叙情的な歌を思い出した。
車窓からの風景を目にしているうちに、この歌にあった「退屈」と「置き去り」という言葉が頭に浮かんだのだ。
映画界の巨匠と青年たち
だが、ここで、映画のクライマックスのような逆転劇を目の当たりにした(そして「映画」、そう、これも今回のキーワードだ)。
ベルナルダの駅に着くと、インマの兄で弁護士をしているフランチェスコが僕を待っており、ジャンペルドゥート(Giamperduto)まで送ってくれた。
ここは以前、彼らの母親が昔ながらのチーズ「リコッタ・フォルテ(ricotta forte)」を作る工房のあった場所だ。
リコッタを瓶に詰めて再発酵させたもので、辛みがあり、パスタやパンツェロッティ(パン生地でフィリングを包んだ揚げパン)の味付けに使われる。
今では残念ながら母親は世を去り、彼女ほどの腕を持たない子供たちは、工房を廃屋にすするのが嫌で、宿屋に作り替えることにした。
12の客室と朝食ルーム、緑地には広々としたプールやジム、そして楽しいバーベキューコーナーを設けた。
オープン以来、この小さなパラダイスは繁盛してきたそうだ。この日、僕がジャンペルドゥートに到着してみると、何か慌ただしい雰囲気に包まれていた。
中央の部屋にはスクリーンが用意されており、5人の青年が待ちかねたとばかりに僕を出迎える。
「あなたに僕たちの撮った映画を是非観ていただきたいと思いまして!」
5人中で監督を務めたミケーレ・サルフィ・ルッソが言った。
それは映画監督フランシス・フォード・コッポラの一家に関するドキュメンタリーだった。彼がイタリア系アメリカ人である事は日本の皆さんもご存知のとおりだが、彼のルーツは正にここ“ベルナルダ”にあった。
ちょうど僕がそこに滞在した数カ月後に、同じく映画監督でアカデミー脚本賞も受賞した娘のソフィア・コッポラの挙式がベルナルダで予定されていた。
父親のコッポラ監督が、娘の挙式のためにマルゲリータ宮を購入しホテルを作ると、内部に小さなビストロを作った。
ここを彼はローマの撮影所に因み「チネチッタ(Cinecitta)」と名付けた。
さて、話をドキュメンタリー映画に戻そう。
コッポラ監督が子供の頃、父親は息子を呼ぶ合図に口笛を使っていた。
父親の習慣だった口笛こそが、ベルナルダやこの地域の伝統と自分を結んでくれていたという。
だから大人になって自分でベルナルダの土を踏んだら最後、この地との縁は切れなくなった、と彼は語っていた。
僕は、この映画に胸を打たれた。
この土地に対してあの歌にあった「退屈」や「置き去り」の感覚など微塵もなく、代わりに深く逞しい根っこと新しい息吹が育まれているという実感が沸いた。
映画を見終えると、自分が寄稿している新聞社の編集長に電話をして「素晴らしい映画がある」と知らせなければと思った。だが、それは出来なかった。
その時点ではまだ、コッポラ監督から正式な許可がもらえていなかったからだ。
この青年たちの数年間の努力を自分が無駄にするわけにはいかなかった。
今年の夏、再びジャンペルドゥートの友人の宿に戻ってみると、村祭りの日に彼らの映画が上映されたと知らされた。
『The Family Whistle(一家の口笛)』というタイトルも加えられ、コッポラ監督からの許可も得られたのだなとわかった。その後、カンヌ映画祭の出品作品として選ばれる栄誉も得ている。
ゆっくりと、町のあちこちで広がる地域再生の動き
町の真ん中を横切り、旧市街地のサン・ベルナルド旧教会まで2キロほどの大通りを歩いてみる。
八百屋には素晴らしいイチジクや溢れるような味わいのトマトが並んでいたし、チーズ工房「イル・マステッロ(Il Mastello)」の前を通りかかると、モッツァレッラが出来上がったばかりだった。
そしてベルナルダといえば忘れてならないものに、豆のスープ「クラピアータ(Crapiata)」がある。
これら「旨いもの」を堪能したいと思ったら、通り道にある「トラットリア・オステリア・ラ・ロカンディエラ(Trattoria Osteria la Locandiera)」に行けば良い。
ここでは「ア・サン・カァ(a Sagn Ca a Sagn Ca)」というパンから耳を除いた残りとほんのちょっぴり馬肉の入ったラグーを用いて深鍋に作るラザーニャや、仔ヤギのモツにポテトクリームを添えた料理なども出してくれる。
もちろんコッポラ監督のお店「チネチッタ」でも素晴らしい料理を楽しめる。
たとえば僕を唸らせたのは、ランパショーネという苦みのあるラッキョウのような形の野菜をフライにし、ヴィンコット(ブドウを煮詰めたソース)を添えたものだ。
彼のレストランに行くならやはりコッポラ監督の作るワインを楽しむのが良い。
僕もその昔、1991年に一度だけカリフォルニアにある彼のワイナリーを訪ねたことがある。
マルゲリータ宮の隣の、やはり由緒ある建物を改装したラグジュアリーなホテルは、テラスからの眺めが息をのむ美しさだ。
ワイナリー 「マスタンジェロ(Mastrangelo)」を訪ねたときは驚きだった。
グレコ種のブドウ100%で造るワインはとても気に入ったし、バジリカータ州初のスポーツファームでは子供たちへの野外学習を企画、丘の上に広々としたスペースを解放している。
また、この地域のワインでリーダー的存在と言えば「マッセリア・カルディッロ(Masseria Cardillo)」だろう。
プリミティーヴォ品種による「バルック(Baruch:ヘブライ語で『祝福された』の意)」は、類い希なる赤ワインと言っていい。
この時も訪れたが、綺麗に改装された醸造所を見せてくれた。
アグリツーリズモも併設しており、宿泊も出来る上、振る舞われる料理には抵抗しがたい。そら豆のピュレにチコリアを添えたラム肉のカセロールをもう一度食べたくて、2度も出かけてしまったほどだ。
僕の同級生インマの兄フランチェスコも、町の中心部の古い家の改装を始めたと聞く。
ゆっくりした歩みでも、町のあちこちで地域再生の動きが起こっている。
そんなこんなでその旅を終え、僕は車でバジリカータを後にすることにした。
ベルナルダからは30分あれば美しいマテーラの町まで行ける。
友人ジュゼッペ・マラヴァーズィは車でマテーラまで送ってくれる途中で、彼が初めて収穫するプリミティーヴォ種のブドウを味見させてくれた。
ブドウを摘まみながら考えた。
一体「いつから」、そして「どうやって」ここで地域の再生が始まったのか?
「いつから」かは、わからない。だが、「どうやって」という問いに対しての答えはすぐに見つかった。
フランシス・フォード・コッポラにしても、インマとフランチェスコのモンテムッロ兄妹にしても、マッセリア・カルデッリのロッコとジョヴァンニ・グラッツァデイ兄弟、そして『一家の口笛』の監督ミケーレ・サルフィ・ルッソとその仲間の青年たちにしても、町の再生を青春時代からの夢として描き続けてきたからだ。
だからこの町が再生を始めた時に、それを阻むものはなかった。
今日では世界中からマテーラとその周辺を訪れる人が後を絶たない。
そして、僕はそのことを心の底から嬉しいと思っている。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
Shop Data:
もとチーズ工房を改装した宿
ジャンペルドゥート(Giardino Giamperduto Hotel)
Via Giamperduto
75012 Bernalda (MT)
Tel. +39 0835 542462
Fax +39 0835 549074
Cell. +39 366 6171093
E-mail info@giamperduto.com
www.giamperduto.com
フランシス・フォード・コッポラの館
パラッツォ・マルゲリータ& チネチッタ・バール・ビストロ
(Palazzo Margherita & Cinecitta Bar Bistrot)
Corso Umberto I, 64
75012 Bernalda (MT)
Tel +39 0835 549060
info@palazzomargherita.com
www.palazzomargherita.com
モッツァレッラ工房
イル・マステッロ(il Mastello)
Via Alfieri, 27
75012 Bernalda (MT)
Tel 0835543160
バジリカータの「旨いもん」を食べるなら
トラットリア・オステリア・ラ・ロカンディエラ
(Trattoria Osteria la Locandiera)
Corso Umberto I, 194
75012 Bernalda (MT)
Tel. 0835543241
https://www.facebook.com/TRATTORIA-OSTERIA-La-Locandiera-137037736370196/
ワイナリー(グレコ種100%で造る白)
アズィエンダ・アグリコラ・マストランジェロ
(Azienda Agricola Mastrangelo)
Contrada Gaudello, 75012 Bernalda MT
Cell 339 844 9645
mail info@aziendaagricolamastragelo.it
www.aziendaagricolamastrangelo.it
ワイナリー(類い稀なるプリミティーヴォの赤)
マッセリア・カルディッロ(Masseria Cardillo)
SS 407 Basentana, Km 96, 75012 Bernalda MT
Tel 0835 748992
Cell 339 3840600
http://www.masseriacardillo.it
ベルナルダを愛するベルナルダ生まれの映画監督
ミケーレ・サルフィ・ルッソ(Michele Salfi Russo)
www.michelesalfirusso.com
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。