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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.48 アブルッツォ州のチーズ生産者

2020.07.30

photograph by Andrea Calvano

連載:イタリア20州旨いもの案内

自然と自分の間に境界線のない男




アブルッツォは山海に囲まれ、手つかずの素晴らしい自然に浸れる地域。人々はたくましく優しく、彼らに交じって古くからそのまま残る伝統を体験することが未だ許される、イタリアで最も魅力ある州の一つだ。さらに、その地でグレゴリオ・ロトロ(Gregorio Rotolo)のような男を知れば、「自然」という言葉の意味を考え直さずにはいられなくなるだろう。

photograph by Andrea Calvano

「自然」とは、町の外にあるもので、家がその「自然」から僕たちを守っているのか?
僕たちがその「自然」の中に戻るとき喜びを感じるのは、それが実質的に異なるものだから?
僕たちは、人類も「自然」の一部であり、「自然」無くして人類の生存はあり得ないが、「自然」は僕たちがいなくなっても元気に生き続けるという事実を忘れてしまっている。

グレゴリオはその「自然」だ。上背があり、山のように大きく、いつの時も陽が照らすところにいる。そのことは彼が僕たちを見つめる眼差しや笑顔に表れている。太古であったならば、牧夫たちは神様を崇拝するがごとく、張り出したグレゴリオのお腹に抱きついて羊の多産を祈っていたに違いない。

彼はこの12月で60歳を迎える。未婚だ。「結婚している暇がなかった」という。1500匹の羊、100匹の山羊、40頭の乳牛を飼育。これらをクマやオオカミから守るために50匹のアブルッツォ種の牧羊犬を配している。ラクイラ(L’Aquila)県スカンノ(Scanno)という標高1050メートルにある魅力あふれる村で暮らしている。広大なアブルッツォ・ラツィオ・モリーゼ国立公園(Parco Nazionale d’Abruzzo, Lazio e Molise)の麓にあり、山の中腹にハート形に見える湖があることでも知られる。

photograph by Andrea Calvano

「俺は、今寝起きしているのと同じこの部屋で生まれた。」
この村での暮らしを捨てる理由がみつからないと言わんばかりのグレゴリオ。家を空けるとすれば、イタリア国内の美味が終結する主要な食関連のイベントに参加しチーズを販売する時くらいだ。
「腹を満たすためにゃあ、オオカミも巣穴から這い出るさ」と彼は笑う。

僕がグレゴリオと知り合ったのも2015年の「ゴロザリア・ミラノ」の機会で、彼は30種類ものチーズを会場に持ち込んでいたが、どれも至高の旨さだった。羊乳、山羊乳、牛乳、ミックス、青カビチーズに、モンテプルチャーノ・ワインに漬け込んだタイプまで実に様々で、ここでその一つひとつを紹介するのは不可能だが、絶品は羊乳100%のソフトタイプ。彼の仲間たちはそれを「グレゴリアーノ(Gregoriano)」と命名した。「お前には息子がないんだから、せめてこいつにその名を残せ」と。

photograph by Andrea Calvano

photograph by Andrea Calvano

もう一つ、「トリッティコ(Trittico)」。円筒形の巨大なカチョカヴァッロで羊、山羊、牛の乳の割合を巧みに調整して作り上げる。重さ30キロ。熟成期間は長くて1年半。一度口にしたら忘れられない味わいで、熟成庫の暗がりにその姿を発見した日には、チーズの域を超え、トーテムポールに見えてくる。グレゴリオのチーズ工房は標高1300メートル地点にあり、厩舎、工房と直販店から成り、チーズの他にサラミや精肉が購入できる。

さらには「ビオ・アグリツーリズモ」という名の宿を営んでおり、グレゴリオの姉、マリア・ロザリア(Maria Rosaria)が地元産の素材を相手に自慢の腕を振るった料理を堪能できる。家畜の放牧と搾乳には6人の職員であたっている。
「今じゃ搾乳は機械化が義務付けられちまったから、俺はやらん。あの音がたまんなく嫌なんだ。俺はこれまで何百万もの羊を扱ってきたさ。それでも搾乳機には触らん。」

先見の明をもつ山男の前に敵なし

グレゴリオが午前8時前に起きて来ることはない。起床後の朝食は彼にとって神聖なる儀式。まずエスプレッソを2杯、次に姉の焼いたドルチェでたいていは自家製ジャムを詰めたスペルト小麦のファゴッティーニ(包み焼き)、搾りたての牛乳、パンにオリーブオイルかラードを塗ったものを一切れか二切れ。その後で、甥のディーノ(Dino:姉の息子)と一緒にチーズ工房で製造作業に取りかかる。

photograph by Andrea Calvano

「俺の一家は一度酪農をやめている。俺の父親ルイジ(Luigi)は1954年に移民としてべネズエラに渡り、60年に帰国して精肉店を開いた。72年、俺が12歳の年に酪農を再開した。俺はそん時から酪農に手を染め、これまで辞めたこたぁ一度もない。
うちの牧夫たちが羊を放牧しに連れて行くのを見ると、胸が締め付けられる思いがする。あの山の落ち着いた空気、孤独感は病みつきになる。あれを知っちまったら一生止められんよ。山に行けばいろんな考えが雲みたいに浮かんでくる。この仕事のやり方だって山を眺めてるうちに思いついたんだ。『酪農を続けていくには、まず俺が変わんねーと』って……。他と同じチーズを作ってんじゃダメで、それが出来るのは俺しかいねぇと分かった。だから俺は山を下りた」

photograph by Andrea Calvano

今では工房内の直販店の他に、スカンノ村の中心部にチーズのみを販売するショップを開いている。そのショップを切り盛りしているのはマイケル(Michael)という青年で、ボローニャ大学で外国文学を学んだ秀才だ。大学を卒業後、イタリア国内外の音楽家のためにコンサートツアーを企画する仕事をしていたが、そのうちに生まれ故郷アブルッツォの山々が恋しくなり、地元に戻った。グレゴリオと知り合い、営業、販売の他にマーケティングを手伝うことになった。

photograph by Andrea Calvano

「グレゴリオは、謙虚で協力的なんです。イタリア中で彼のことが知られるようになった今でも、仕事では誰の言葉にも耳を傾け、自分の意見を是が非でも押し通すということはしない。そして彼は先見の明をもった人です。おいしいチーズを作る秘訣は三つ。第一に家畜は毎日放牧されていること、次にチーズ作りの基本的な決まり事、清掃、そして伝統をもしっかりと守ること。僕は信心深くはないんですが、グレゴリオがカードの粉砕を始める前に必ずカード表面に十字を切るのを目にすると、やっぱり少し感動してしまうんです。そして三つ目は愛情。それがあるからグレゴリオもそして彼の甥御さんも、その日によって違ってくる生乳のニュアンスや感情すらも読み取ることができるんです」

photograph by Andrea Calvano

コロナウィルスによるロックダウン中、グレゴリオは生まれた子羊400匹を売りさばく必要がでた。卸業者たちは酪農家たちの窮地を利用しラム肉を酷なくらいの安値で買い叩こうとしていた。グレゴリオはそれに屈するのが嫌でオンライン販売を強化し、国内の高級精肉店をクライアントにすることが出来た。
マイケルが言う。「チーズの売り上げは普段の50%に落ち込み、生乳のほとんどは長期熟成タイプの製造に当てました。でも、精肉部門の売り上げはたぶん逆に伸びたと思います。」

photograph by Andrea Calvano

グレゴリオに敵なし。アブルッツォというこの土地で決して絶えることのなかった、そして70年代にまさにこの地で始まった保護活動が功を奏し、今やイタリア全土の森や林で群れを増やすオオカミたちでさえも……。
「どんな動物だって生きていかにゃならん、人も、クマも、オオカミも。俺は、家畜は犬と一緒に守る。それでも何匹かは食われちまうが、そりゃ自然へお供えをしたと思えばいい。過去20年間に100匹やられた。数としちゃそれほど多くはない。俺のじいちゃんが言ってた。『酪農やるなら毎年オオカミ用に5%は数を多めに飼っとけ』ってね。」

北イタリアでは、捕食動物たちの生息が観測され、様々な物議(動物愛護、狩猟、農業、行政団体などによる)を醸しており、時には感情的な議論にまで発展するが、この大男の分別からすれば、自分たちも自然の一部であり、自然は人が分け合うものとは違うのだ。
グレゴリオは目じりで笑って、髭を掻く。そして瞳の奥で眼前の山々を優しく愛撫していた。 

パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it





[Shop Data]
Bio Agriturismo Valle Scannese da Gregorio
Località Le Prata

Scanno
TEL +39 0864 576043
info@vallescannese.com
www.vallescannese.com
 





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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