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FEATURE / MOVEMENT

幅允孝のウイスキー対談

オールドパー紳士録 Vol.3

奥津啓克

2016.12.08

text by Yoshitaka Haba/photographs by Daisuke Akita

福岡で水炊きの専門店「とり田」と、ダイニングバー「中島町倶楽部」を営む奥津啓克。神奈川県小田原に生まれ、フレンチの修業を続けていた彼は、九州の食文化に魅了され博多へと身を移した。今回は、フレンチ、和食、郷土料理と食の領域を軽やかに行き来する彼に話を聞いた。




「なぜ日本人なのに日本料理を知らないんだ」




高校を卒業後、本場フランスでフレンチの修業を重ねた奥津。20歳で帰国した彼は、フレンチレストランを営む株式会社ひらまつ(当時はまだ有限会社)に入社する。時は90年代中盤。バブルが崩壊し景気が落ちていく一方、飲食業界ではレストランウェディングという形式が勢いよく広まっていった時代だった。どんどんと数を増やしていく店舗の立ち上げにも関わり、急成長していく業界の中で奥津は着実にその腕を磨いていった。

そして、再び勉強のためフランスを訪れた際に、彼はショックを受ける。ちょうど、世界で日本料理が知られるようになっていた時期。「フレンチしか知らなかった」と語る当時の奥津は、現地のシェフに「なぜ日本人なのに日本料理を知らないんだ」と言われてしまう。



和食をやってみたい。そんな情熱がむくむくと湧き上がり始めた時、彼はちょうど和食料理店や和菓子店を手がける緒方慎一郎に出会う。緒方に「新しい食の提案がしたい」と声をかけられた奥津。長く和食だけに携わっていた料理人ではないからこそ、新しいものがつくれる。そんな緒方の思いに呼応する形で、奥津は彼が代表を務める株式会社SIMPLICITYへ入社する。



奥津はそこで、食を「デザイン」する重要性を学んだと言う。料理が提供される空間はもちろん、器ひとつを取っても、食の意味合いは大きく変わってくる。フレンチの料理人として腕を振るっていた当初は、「皿はキャンバスなのだから、白くて平らなものであればいい」と感じたこともあったそうだ。しかし、和食を知っていくにつれ、その奥深さに奥津は魅了されていく。作り手の意思が反映された空間の中で、その料理の持つ歴史や、料理人の込めた思いが1枚の皿の上で合致する。「素材が味に与える影響と同じくらい、デザインによって生まれる流れは大きい」と彼は語った。

奥津が考案した「とり田」の箸置き。一枚の紙に切り込みを入れただけの、用の美を追求したデザイン。さり気なく鶏の意匠を施した。


そして、彼は妻の故郷である有田にほど近い博多へと身を移す。今目の前にある季節の食材を、美味しく活かす。食にとって当たり前のサイクルが流れる九州では、"食べる"ということを本質的に捉えられると奥津は感じた。2007年には、戦後の福岡画壇で活躍した洋画家・手島貢が残したアトリエに、創作和食「手島邸」をオープンする。2年間限定のつもりでオープンした店は、多くの食通をうならせた結果、6年間も愛され続けることになった。

郷土料理「水炊き」を進化させ、味を拡張させる




濃厚なスープはガラを一切使わず、丸鶏を6時間炊き込んでつくる。鶏は九州産。

2012年、奥津は博多の郷土料理である水炊きを提供する「博多水炊きとり田薬院店」を開いた。長らくこの地で愛されてきた味を、奥津は彼なりの工夫を加えて提供していく。その特徴のひとつが、九州産の地場のネギ。適度な歯ごたえと素材の旨みが、肉の美味しさをさらに引き立てていく。たっぷりとネギが入り、奥津が「春の菜の花畑のイメージ」と語る光景が鍋に現れていた。

伝統では肉、肉、肉と続いていき、最後に少しの野菜が出されるスタイルらしい。しかし、時代とともに食べ手のニーズは変わっていくもの。郷土料理を進化させながら、地元の人にも納得してもらえる味をつくる。そのギリギリのさじ加減が難しく、かつ面白いと奥津は笑った。和食出身の料理人ではないからこそ、彼は自由に郷土の味を拡張していけるのだろう。

肉を食べた後、斜め細切りの白ネギとざく切りの青ネギをさっとスープにくぐらせる。


水炊きの真骨頂は、何と言っても美しい白濁のスープ。「黒いポン酢では見た目が汚くなってしまう」と生まれたのが、出汁の味わいに近いポン酢だ。視覚的な豊かさを増幅させながら、鍋は続いていく。調味料を含め、細部までのこだわりがひとつの鍋を完成させていることを感じさせられる。

旨味が詰まって張りのある鶏と濃厚なスープに寄り添うのは、「オールドパー シルバー」のハイボール。まろやかな味わいとすっきりした香りで、和食、なかでも鍋料理との相性のよさが実感できる。


また、水炊きは食べる度に味が変わっていくのも面白いところだ。一緒に鍋をつつくメンバーや、食べ進める時間の経過で味わいは変化していく。なので、最後に食べる雑炊の旨味は毎回異なるのだ。まさに、一期一会の料理。実は、「とり田」の「田」という文字は、鍋を中心に4つの「口」が集まる様子を表しているとのこと。「鍋を中心に人が集まるということを、感じて欲しかった」と奥津は語った。

地元名物の「ごまさば」(手前、900円)と、専門店ならではの人気メニュー、鶏の「唐揚げ」(850円)も食しておきたい。

「とり田 博多本店」は、歌舞伎やミュージカルの公演で知られる博多座の向かい。国内はもとより海外からの旅行客も意識した店づくりだ。「とり田 博多本店」 http://www.toriden.com/




福岡の魅力を食材、料理、空間から味わえるサロン



約20年前に空間デザイナー中村久二氏(株式会社ZEN設計)が設計した。コンセプトは“ファーストクラスの屋台”。大人の社交場として感度の高いビジネスパーソンに人気。
「中島町倶楽部」http://nakashimacho.com/




水炊きを心ゆくまで堪能した後は、2013年にオープンした「中島町倶楽部」へ。ここは、「手島邸」が移転する形で生まれたダイニングバーだ。奥津が手島邸を借りた際、アトリエには親族も開けていないタンスがあった。中を覗いてみると、中に詰まっていたのは衣服ではなく、手島貢が集めた数々の洋酒。すでに開封されているものもあったけれど、中には当時の金具の留め金で密封され、熟成されたウイスキーも残されていた。その中のひとつが、「オールドパー スーペリア」。「こうした機会でもないと、飲まないから」と、先日開封したことを彼は明かしてくれた。

戦後の福岡画壇で中心的な役割を担った、手島貢の洋画。



手島貢のコレクションにあった「オールドパー スーペリア」をテイスティング。




ストレートで口に含んだそれは、熟成されとてもまろやかな仕上がりだった。戦後、洋酒を嗜みながら福岡の地で油絵を描き続けた手島。同じく福岡で食の道を極め続ける奥津だからこそ、重ね合わせすることのできる思いがあったのだろう。

季節の魚介類と香草に黄身酢を添え、大根で巻いて食する。オールドパー12年のロックと共に。




奥津は日頃から、オールドパーを愛飲しているという。「12年」を水割りで飲んだり、「18年」をロックで味わったりと、シチュエーションに合わせて飲み方を変えていく。食中酒として水割りで楽しむ場合も、味わいが薄くならいのがオールドパーの魅力だと語ってくれた。

奥津がプライベートで通う「万(よろず)」。店主・徳淵 卓さん(写真右)の美意識が貫かれたサロン。「アジアのベストレストラン50」に31位で初登場した「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」の福山剛さん(写真中央)も加わり、オフの時間を楽しむ。



地元福岡出身の福山シェフにとって奥津さんは「水炊きは高級店から庶民派まで地元にもたくさんあるけれど、洗練されたスタイルを打ち出したのは奥津さんならではだと思う」。一方、「剛さんは地元のスターシェフですが、今や世界に羽ばたく活躍ぶり。色々と頼りにさせてもらっています」と奥津さん。アジアの観光客で賑わい、地元の人が終電を気にせず飲む街・福岡の食シーンを熱くする二人の話は尽きない。



お茶(緑茶、抹茶、薬草茶など)とお酒と和菓子、朝から昼にかけては、漆喰竈炊き粥と粥の友を中心にした軽食が味わえる。
「万(よろず)」https://www.facebook.com/yorozu109/



オールドパー12年のロックも、「万(よろず)」ではこんな優美で華奢な姿に。ロックグラスだと重たすぎるという女性にもお薦めだ。




福岡で2店舗を構える「とり田」は、2017年の2月にマレーシアはクアラルンプールに新店舗をオープンさせる。今年10月末に改装を果たした「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」への出店だ。今後も成長を続けていく土地を舞台に、食を通して日本文化を広げていく奥津。ジャンルや国境を自由に飛び越えながら、彼は食を追求し続ける。


福岡から、世界へ―――。
日本の食文化を世界に発信したいという気概に満ちた
リーダーたちのエネルギーに、大いに刺激を受けた福岡取材でした。
次はファッションの発信地・東京青山から、
紳士に不可欠なファッションアイテムとオールドパーの関係を紐解きます。





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