パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.56 カラブリア州コゼンツァの紫ナス生産グループ
2021.08.26
text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki
photographs by Vittorio Martire
生物多様性に富む小さな農村の救世主
ドメニカ・スタンカート(Domenica Stancato)がゆっくりゆっくり、それでも全く無駄のない動きでナスを摘んでいく。話をするにしても彼女は正しい事をしかるべき時にだけ口にするタイプだ。日差しに皺を刻まれ年輪を重ねた額を見れば、彼女から学ぶべきことがまだ山ほどあるとわかるし、澄んだ瞳が、屋外で過ごした多くの時間を物語っていた。
程なく息子のセッティミオ(Settimio)とその仲間たちが、テーブルクロスを広げて「パスクネ(Pascune)」を始める。陽が高くなった頃に一服して再び力を蓄えようとする、言わばおやつの時間だ。家で焼かれたパン、ソップレッサータ(suppressata:カラブリア伝統の肉加工品)、カチョカヴァッロチーズなんかを切り分けて食べる。冷やしておいたスイカも切り、カラブリア産のしっかりした、タンニン分も高く、温かな味わいの赤ワインをグラスに注いだのが出てくるだろう。そして太陽が真っ直ぐ照らす下、ロンゴバルディ(Longobardi)村の高台にある畑で再び作業を始める。その遥か下でティレニア海が深いブルーに輝いていた。
コゼンツァ県の東を走る海岸、その遥か上方に悠然と構えるコクッツォ山(Monte Cocuzzo)の裾野に位置するロンゴバルディ村。この名は、紀元後596年までこの地に定住していた長い髭を生やしたゲルマン民族の戦士たちに由来する。
海面から吹き上げる潮風や山から吹き下りる風が特殊なミクロクリマ(局所気候)を作っているから、この地区の小規模農家の菜園は生物多様性ではちょっとした玉手箱だ。様々な作物の中でも特に重要なのがロンゴバルディ産の紫ナス「レディ・ヴィオレッタ(Lady Violetta)」で、これは農産物としての特長が群を抜いているだけではなく、この歴史ある小さな地区が抱える過疎の問題に取り組んだプロジェクトの主人公だ。だから今回、Web料理通信の読者諸君にも紹介するに値すると思うのだ。
味も、食感も上品。その名も「レディ・ヴィオレッタ」
ここで“ロンゴバルディの紫ナス大使”、フランチェスコ・サリチェーティ(Francesco Saliceti)を紹介しよう。僕にとっては兄弟と呼べるくらい親しい友人で、彼の細君で料理人としては凄腕のジョヴァンナ・マルティレ(Giovanna Martire)と二人、この村で飲食店を営んで11年になる。ロンゴバルディ村内にある彼らの店「マニャートゥム・ラ・デグステリア(Magnatum la Degusteria)」は、イタリアの味の本質をたった一度の食事で理解しようと試みる御仁に是非お勧めしたい。
店は1969年からあったタバッケリア(タバコ、新聞、雑誌類を得る売店)兼特産品販売所だったものを彼らがそのまま引き継ぎ、その半分のスペースを割いて、席数わずか16のレストランを増設。真のカラブリア性を胸いっぱいに吸い込み、レアな特産品を買い込み、さらには比類なき腕をもつジョヴァンナの伝統料理に舌鼓を打てる店。もちろん料理に合わせるワインもセレクションの幅広さやレベルは、僕が保証する。フランチェスコは、フードスカウト(食材の探究者)としては右に出るものがない。そのフランチェスコがこの紫ナス「レディ・ヴィオレッタ」に完全に心を奪われてしまったという。
「このナスは皮が薄く、タンニン分がほとんどない上に果肉が密で、水分も少なめ、種もあまりないんです。唯一、皮と一緒に食べることに意味があるナスと言えます。とても甘味があり、えぐみを取るために塩を振る必要もないほどです。その上品さゆえに料理にも、保存食にも、砂糖漬けにも適している。質の高い料理や洋菓子作りに持ってこいというわけなんです。
種の保存の観点でこのナスを守ることができたのは、人々のロンゴバルディという土地への愛情のお陰です。ロンゴバルディのナスの歴史は一世紀以上も遡りますが、代々この地区に住む3軒の農家が種を採取してきました。そのうちの一軒から、僕たちは種の採取と販売を託されたのです」
耕作放棄地から世界に向けて
控えめな性格のフランチェスコだが、真っ先にこの地元産ナスの可能性を感知したのは彼で、友人で農学士のジャンルーカ・ヴェルトゥリ(Gianluca Veltri)の手を借り、新たな市場を開拓、地元の経済に活力を与える持続可能な地域振興プロジェクトを立ち上げた。
二人はまず、農業関係者の間で有志を募ると小さなボランティアグループを作り、過疎化が進む村の耕作放棄地を利用した小さな村営菜園で「レディ・ヴィオレッタ」の栽培を始めた。初収穫で心強い結果が得られ勇気づけられてか、その後どんどん参加者が増え、わずか4年後には村営菜園を離れ、15軒の生産者に加えて家庭菜園を楽しむ者などからなる「ロンゴバルディの紫ナス協会(Associazione Violetta di Longobardi)」を結成。6ヘクタールの畑(1ヘクタール当たり18000本のナスの苗を栽培)を耕し、2020年にはヘクタール当たり30トンを収穫するまでになった。
現在のところ、主に地元の市場だけで消費してしまうが(ロンゴバルディでは、旬の時期にはどの飲食店でもこのナスがふんだんに用いられる)、フランチェスコの飽くなきプロモーション活動が功を奏し、イタリア各地のシェフ達から問い合わせが増え、国営放送の人気番組でもドキュメンタリーが放映された。
2015年には、歴史性、農産物の集団的財産性、そして一自治体におけるその食品の特性を示す認証制度De.C.O.(注1)も獲得している。
ロンゴバルディ村の行政関係者もこんな住人たちの熱意の波にのまれ、地域の特産物の普及に貢献した人に贈る「黄金の紫ナス賞」を設立。初の栄誉を得たのは、カラブリア料理に欠かすことのできない食材である唐辛子のPRにエネルギッシュに取り組むイタリア・ペペロンチーノ・アカデミー会長のエンツォ・モナコ氏(Enzo Monaco)だった。まあ、カンパリニズモと称されるイタリア人特有の強い郷土愛に少しは左右されたのかもしれないが、諸君も多めに見てくれるだろう? とにかく「レディ・ヴィオレッタ」は世界に向けて出発を始めている、次に何が起こるか楽しみだ。
僕の人懐こい友人が、このナスの素晴らしさを畳み込むように語るのに耳を傾けながら歩いていたら、ジョヴァンナがキッチンで腕を振るいながら待つ店の直ぐそこまで来ていた。準備してくれているのは紫ナスにモッツァレッラ、トマトピュレにロッジャーノ産チーズを用いた伝統料理「カレブレゼッラ(calabresella)」かな? さもなきゃベルモンテ産ガンムーネトマトと紫ナスを香ばしく揚げたフライ「ヴィオレッタ・スカロッツァータ(violetta scarrozzata)」かな?
合わせるワインが気になるところだが、フランチェスコが選ぶのだから間違いない。きっと新しく発掘した生産者のものを紹介してくれるだろう、たぶんカラブリア産のね。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
◎Associazione Violetta di Longobardi
(ロンゴバルディの紫ナス協会)
Loc. Le Pera, 27
87030 Longobardi (CS)
☎+39 342 3535335
Mail:fmarano87@gmail.com
[紫ナスを地元で楽しむなら]
◎Magnatum La Degusteria
(マニャートゥム・ラ・デグステリア)
Via Indipendenza, 56
87030 Longobardi(CS)
☎+39 0982 75201
https://www.magnatumladegusteria.it/
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、記事交換をそれぞれのWEBメディア、
ilgolosario.it
と、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。