パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.53 マルケ州マチェラータのチョコレート生産者
2021.02.25
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
観光地化を急がない、地域の魅力を知る州
マルケの環境にすっと入り込ませてくれるプロモーションビデオがある。
『Marche, bellezza infinita(無限の美しさ、マルケ)』
まずはYouTube上にもアップされているこのビデオから出発しよう。
まっさらの青い海面に切り立った森、古い町並み、匠たち、ガストロノミーにロッシーニ、ラファエロからレオパルディまで、ため息の漏れる魅力の数々を2分間の映像に凝縮させ、最後にたった一言、イタリア映画界で最高と評される俳優の一人、ジャンカルロ・ジャンニーニの人を惹きつけて止まない音楽的な声が心を射抜く。
「Marche, bellezza infinita(マルケ、べッレッツァ・インフィニータ)」
このPRキャンペーンは、2016年に起きた地震災害の後にマルケ州政府が観光客の呼び戻しをかけて制作したものだ。僕の記憶に未だに深く残っているのは、境を接するトスカーナやウンブリアのように観光面で急速に発展を遂げた州とは違い、いや、そうでなかったからこそ、地域がもつ魔力や自然な美しさを守る術をもつ州だと納得させてくれたから。
さて、ここでちょっぴり悲しい過去の話題に触れよう。2012年5月26日、マチェラータの地方版ニュースに訃報が流れた。
「今朝、病床にあったマチェラータ美術学校の校長ジョルジョ・マランゴーニ(Giorgio Marangoni)氏が亡くなりました。アーティスト魂を絶やさず、チョコレートをフォルムと色彩の傑作に作り変えてきた一家の代弁者。無限の美を生み出すインスピレーションを現実世界から掴みとる職人の技能と具体性を、芸術と教育への情熱として注ぎ込むことのできた人でした」
同じ町で4代生き抜くマランゴーニ家の物語
今回はある独創的な一家の、このジョルジョとアルフレード(Alfredo)という二人の兄弟の物語。ジョルジョの魂がチョコレートの中にどんな風に生き続けているかという話だ。
マランゴーニ家の現当主、アルフレードからみて曽祖父にあたる人は、ローマ法王お抱えのパン職人だったが、神様にはちょっと否定的で、つまり異端者で、遂にはローマから追い出されてしまったものだからマチェラータで店を開いた。
祖父のアルフレード(現当主と同名)は1920年代に町の中心部カヴール通りでパン工房を開いたが、バイクレースに魂を奪われていた。彼の妻のエレナ(Elena)は二人の子供ができた時点でバイクレースを辞めさせた。
そして兄弟の父親、エロス(Eros)は戦時中ドイツ軍の捕虜として収容されていたが、帰国してフランチェスカ(Francesca)と所帯を持ち、町の中心部にあった間口の狭い縦長の建物を購入した。一階部分にパン屋を移転させ、上の階にフランチェスカが菓子工房兼ショップを開いた。戦後のドタバタも収まった50年代のことで、商売、復興、新生と順風満帆。ジョルジョ、彼の妹ロリアン(Lorian)、そしてアルフレードもこの頃に誕生した。
「全てを築いたのは父のエロスだったのですが、残念なことに48歳で他界しました」
アルフレードが全てを語ってくれた。
「僕が5歳のときでした。母のフランチェスカにとっては辛い時期でした。僕たち子供のほかに父方の祖母、祖母の姉、そして一財産築く夢に破れてアルゼンチンから引き上げてきた伯父が一緒に暮らしていましたから、年寄り3人と子供3人を世話しなければならなかった。
そして、僕とは年が14歳離れていた長男のジョルジョは、誰よりも頑張らなければならなかった。兄は、夢追い人であると同時に実践家でもいられることを証明した人でした。子供だった僕の目には神話的存在で、さらに音楽という共通の情熱で僕たちは強く結ばれていました。
僕は幼少から意外とませた音楽を聴いていましたが、そんな僕にも兄は当然ながらレコードやステレオは一切触らせてくれなかった。9歳にして初めてレコードを自分で買いました。あの大得意の気持ちは今も忘れられないな。ジェスロ・タルの『Stand Up』!
ある日曜日にチョコレートメーカーで品質検査官をやっているという人が、僕たちのところにお菓子を買いに来た。それが僕たちの人生を一変させたんです。その人とチョコレート談義を続けているうちに、ジョルジョは自分でも作ってみたくなった。
その頃は僕も16歳になっていて、ジョルジョともう一人、マチェラータに住む年寄りの真鍮職人の3人でテンパリングマシンを作りました。最初は上手くいかず、古い型の湯煎式のものを購入して初めて成功しました。北欧風のクリームとコンデンスミルクを使ったプラリネを作っていましたが、あれは・・・今考えると笑えるな。
当時、僕はまだそれほどチョコレート作りに夢中にはなっていなかった。それでもジョルジョが急かすんです。『ほら、チョコレート作りに行くぞ。さぁ、今度は何が出来るか』って。その声は今でも耳に残っています。
パーティを開いたある晩のこと、夜中の3時まで僕とジョルジョは後片づけをしていました。テーブルにイチジクが少しと、ラム酒がボトルに半分残っているのを見つけ、それでイチジクをラムに浸して口にしてみた。この思いつきがもう一度、僕たちの新たなページ、フルーツをコーティングするチョコレート作りが始まったんです。シリーズの最初がまさにこのラムに浸したイチジクと、二つ割にしたクルミのチョコレートになりました」
アルフレードの創造力がここで開花した。高級素材を用い斬新でレアなマリアージュを次々に生み出したばかりか、フィリング用クリームも細部にまでこだわり、まるで息子を育てるがごとく32種類生み出している。地中海のフルーツをアルコール分低めのリキュールに漬け込み、最高級の濃いめのダークチョコでコーティング。イタリア産のシリアル(穀類)はチョコレートと最高に相性が良く、この形容し難く好ましい旨さを円筒形にまとめると食べやすい大きさにカットする。
小さな町の才能を見出す人物
少量生産の希少なチョコレートは、タバコ、ローズ、スミレやミントといった普段とは違うアロマや香りを捕らえては驚きのコントラストを生み出す。そして「マランゴーニ」のスペシャリティ「フルーツコーティング・チョコレート」。これには押しが強すぎず、まろやかな風味のニュートラルなダークチョコが必要だ。そうでないとフルーツやラム酒による味のフィナーレが損なわれる。
アルフレードの姉ロリアン(Lorian)が、これらのチョコレートを手で一つずつ色鮮やかな包み紙に包んでいく。プルーンとアーモンド、アプリコット、ブルーベリーなど、全ての製品にあった包み紙の色選びをするのも彼女。洗練された味わいで好評の復活祭伝統の卵も、顧客からの注文で用意する詰め合わせも、包装を担当するのは彼女。今では、色選びから素材、復活祭シーズンには伝統の布製の高級造花も組み合わせるロリアンの腕の冴えは誰もが知るところとなっている。
「この店の知名度を上げるのに一役買ってくれたのは、食の世界の才能発掘では『彼の右に出る者なし』と言われたジョルジョ・オネスティ(Giorgio Onesti)でした。彼は僕たちの包装作業をじっと見ていました。当時、フルーツを使ったチョコは13種類を超えていて、小さなチョコを一つひとつ包む紙のカラフルさに、一つ手に取って開き中身を口にして狂喜したんです。彼が僕たちのチョコレートを宣伝してくれ、瞬く間に大人気になりました」
ジョルジョ・オネスティは食のジャーナリストとなった僕にとっても、食料品店や生産品の知識を深めてくれた最初の師匠だった。そしてまたしても僕の行くところ、師匠に先回りされた足跡が残されていたとは!
「1990年、僕たちはチョコレートの製造に専念したいと製パン、製菓部門をそれまでうちで働いていた職員に譲ることにしました。でも実際にはチョコレートばかりに専念しているわけにも行かなかった。家族で一番のインテリだったジョルジョは、マチェラータの美術学校で教育学と美術を指導していたし、僕は高校で農業技術を学んでいた。選んだ学業を考えれば僕はもっと几帳面な大人になるはずでしたが、けっこう奇抜な創造力があってチョコレート作りにこれを発揮することになった。
音楽は相変わらず大好きですよ。店の半地下に小さなスペースを作って友達とギターやベースを演奏して楽しんでいます。工房の仕事で約束によく遅れて行くんです、カカオやスパイスの匂いをプンプンさせてね。
僕たち家族はあらゆる苦難を経験したし、今も4年に1回は何らかの災難が降りかかる。2012年にはジョルジョが他界し、2016年には地震が、そして2020年にはコロナ禍が起きた。あっ、忘れてた、2015年には甘党の泥棒が工房に入って、チョコレートが50キロ盗まれたんだっけ。
僕はきっと工房の中でこの世を去ることになるんじゃないかな。朝イチで工房に入り、配合を始める時の香りはたまらないですよ。たとえ機械の音がうるさくて大好きな音楽が聴けなくても構いはしない。音楽は家に帰って聴けばいい、自分で集めたLPレコード4000枚から選んでね。でも、これはこれで一つの冒険談になるから、また別の機会にお話しますよ」
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
[Shop Data]
MARANGONI CIOCCOLATO srl
Corso Cavour 159
62100 Macerata (MC) Italy
Tel(+39)0733 236016
https://www.marangonicioccolato.it
mail:info@marangonicioccolato.it
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。