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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.58 ピエモンテ州モンテボレチーズ生産者

2021.12.23

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内 vol.58 ピエモンテ州モンテボレチーズ生産者

text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki

連載:イタリア20州旨いもの案内

レオナルド・ダ・ヴィンチも食したチーズ

ピエモンテと聞いて思い浮かぶのは、雄大なアルプス山脈、ポー川に削りだされた平原、ブドウ畑が無限に続く丘また丘。だが、この州にアペニン山脈も含まれていることはあまり知られていない。

ピエモンテ州の南東部の端にあたるその地域、ヴァル・ボルべーラ(Val Borbera)という渓谷は、モンフェッラート地域を越えたが、リグーリア州境には未だ少しあるといった地点にある。整然と手入れされたブドウ畑はぐっと減り、そのぶん雑木林やごつごつした岩山が目立ち、丘の上には鐘楼がそびえているわけでも集落があるわけでもない。ただ風が流れ、時折リグーリア海が垣間見えるくらいだ。それも彼方に突然に日差しの具合で小さなきらめきとなって目に入るだけで、海面だと気づかないことすらある。

およそ20年前、ここヴァル・ボルべーラの有志が情熱と頑固さをもって「モンテボレ(Montebore)」というチーズを甦らせた。

およそ20年前、ここヴァル・ボルべーラの有志が情熱と頑固さをもって「モンテボレ(Montebore)」というチーズを甦らせた。このチーズの発祥はかなり古く、既に12世紀の書物にこのチーズのことが記されているし、1489年、イザベラ・ダラゴナとミラノ公ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァとの婚礼の際、祝宴に供された唯一のチーズとされる。この婚礼の一切を取り仕切ったのが、かのレオナルド・ダ・ヴィンチで、彼はその類まれな才能だけではなく美食家であったことも知られているし、おそらくはイザベラの愛人であり、モナ・リザのモデルは彼女であったという説を唱える者もいる。

モンテボレチーズの名は、この地域にある自治体デルニーチェ(Dernice)にあるモンテボレ地区に由来し、牛70%、羊30%の割合で生乳をミックスして作られる。レンネットを入れて凝固させ、できたカードを粉砕し、円形の容器に入れて成形したら、塩をして裏返す。ここまでの作業を3つの異なる直径の容器を用いて行い、上から小、中、大の順にピラミッド型に重ね、1週間から長いもので2カ月かけて熟成させる。

外皮は初期は滑らかで水分を含んでいるが、熟成が進むにつれて表面が乾いて皺ができる。
外皮は初期は滑らかで水分を含んでいるが、熟成が進むにつれて表面が乾いて皺ができる。

外皮は初期は滑らかで水分を含んでいるが、熟成が進むにつれて表面が乾いて皺ができる。色も白から麦わら色に変化する。内部の質感はコンパクト(密)で気泡はあっても僅かなもの、色は白っぽい。一風変わったその形については、イザベラ妃の婚礼の際に供されたケーキを模したものだとか、今は城跡だけが残るモンテボレ城の塔を真似たものだなど様々な説があるが、重要なのは、このチーズを3層重ねたままラウンドケーキを切り分けるように中心に向かってナイフを入れて切り出すこと。直径の違いから熟成の進行度合いが異なる3つの層を一度に楽しむことができて、食する喜びも一際なのだ!

過疎化で消えゆく味覚を復活させる

過疎化で消えゆく味覚を復活させる

モンテボレの生産は、第二次世界大戦後、ボルベーラ渓谷に深刻な過疎化が進み、農民文化が消滅の一途をたどったことで消えゆく運命にあった。過疎の速さは、この渓谷にあるモンジャルディーノ・リグレ(Mongiardino Ligure)という自治体に点在する33地区に、150年前は1687人住んでいたのが現在では149人と激減したことからもわかる。だが90年代になって、このモンジャルディーノ村の住人、ロベルト・グラットーネ(Roberto Grattone)とアガタ・マルケゾッティ(Agata Marchesotti)の2人が、自分たちの地域に伝わる味覚を守り、古くからある伝統を知ってもらおうと農業協同組合「ヴァッレノストラ(Vallenostra)」を立ち上げた。計画にはモンテボレの復活も含まれていた。

彼らは様々な調査研究を行い、さらにはスローフード協会の協力も得て、1997年にカロリーナ・ブラッコ(Carolina Bracco)という老女からこのチーズの原型であろうレシピを手に入れることができた。カロリーナはレシピと一緒に、このチーズの歴史、そしてロベルトとアガタがこの世から消えたと思い込んでいた細かな作業工程をまだ覚えていて2人に託した。

彼らは様々な調査研究を行い、さらにはスローフード協会の協力も得て、1997年にカロリーナ・ブラッコ(Carolina Bracco)という老女からこのチーズの原型であろうレシピを手に入れることができた。カロリーナはレシピと一緒に、このチーズの歴史、そしてロベルトとアガタがこの世から消えたと思い込んでいた細かな作業工程をまだ覚えていて2人に託した。

こうして試作に継ぐ試作を経てモンテボレチーズの生産を開始。1999年、スローフード協会がブラ(Bra)の町を舞台に隔年で開催しているチーズをテーマとする国際イベント「Cheese」に、わずか7個のモンテボレを出品。誰もがこれを「奇跡のチーズの復活」として賞賛し、早速スローフード協会からプレシディオ認証(消滅の危機にある少量生産の地域産品を守る認証)を得ることが出来た。

「このチーズは70年代以降、生産されなくなっていたんです。自宅で家畜を飼っていた農家も、チーズ製造機材を持たなくなっていました。ですがありがたいことに、このチーズの伝統は人々の記憶や老人たちの手に未だ残っていたんです」とロベルトが言う。

「このチーズは70年代以降、生産されなくなっていたんです。自宅で家畜を飼っていた農家も、チーズ製造機材を持たなくなっていました。ですがありがたいことに、このチーズの伝統は人々の記憶や老人たちの手に未だ残っていたんです」とロベルトが言う。

「僕たちの取り組みは滑り出しが順調だったから、工房にさらにアグリツーリズモ施設を増設して展開することになりました。アガタは料理上手でもありましたし、このチーズ以外でも提供できる地域の特産物はあると考えたんです。山岳地域の家畜動物やジビエを用いた食肉加工品、スペイン原産の白いんげん豆の一種ファジョラーナ、リンゴの希少品種カルラ、そしてティモラッソワインなどです。協同組合の家畜はどれも組合員である飼育農家が所有していましたが、そこに羊のオーナー制度も取り入れることにしました。オーナーとなった人にはその見返りに私たちが生産した加工品を送り、年に一度、夏に開催されるオーナー祭りに彼らを招き、それぞれの羊とオーナーを引き合わせたり、野外で料理や生産品の試食会を開いたりして一日を過ごしてもらおうというものでした」

彼らの提供するものには質が悪いものなど一つもなかった。いや、質を求めすぎたのがいけなかったのかも知れない。残念なことにこの協同組合は2019年、経済的な問題を生み、モンテボレチーズの存続をも危機に陥らせる形で解散となった。

彼らの提供するものには質が悪いものなど一つもなかった。いや、質を求めすぎたのがいけなかったのかも知れない。残念なことにこの協同組合は2019年、経済的な問題を生み、モンテボレチーズの存続をも危機に陥らせる形で解散となった。

「全ての計画を根底から見直す必要がありました。組合員の誰もが頭では、伝統を廃らせないためには自分たちの夢はひとまず脇において、ベースとなる生産活動に集中して再起動しなければならないと考えは一致していました」


2020年は、ロベルトとアガタにとってチーズ工房「テッレ・デル・ジャローロ(Terre del Giarolo)」誕生の年となった。ファッブリカ・クーローネ村(Fabbrica Curone)に新工房とショップスペースを設け、ロベルトの一族グラットーネ家の分家からアンドレア(Andrea)、ステファノ(Stefano)、エマヌエラ(Emanuela)、そして若きマッテオ(Matteo)がチーズ生産の主力メンバーとして参加し、工房を共に支えることになった。

2020年は、ロベルトとアガタにとってチーズ工房「テッレ・デル・ジャローロ(Terre del Giarolo)」誕生の年となった。ファッブリカ・クーローネ村(Fabbrica Curone)に新工房とショップスペースを設け、ロベルトの一族グラットーネ家の分家からアンドレア(Andrea)、ステファノ(Stefano)、エマヌエラ(Emanuela)、そして若きマッテオ(Matteo)がチーズ生産の主力メンバーとして参加し、工房を共に支えることになった。

協同組合名だった「ヴァッレノストラ」は、モンテボレチーズの製品ブランド名として残し、今も生産活動の中心に据えられて燦然と輝いている。1週間に6トンの乳から1個700~800グラムのモンテボレを700個生産し、イタリア全土で販売している。

協同組合名だった「ヴァッレノストラ」は、モンテボレチーズの製品ブランド名として残し、今も生産活動の中心に据えられて燦然と輝いている。1週間に6トンの乳から1個700~800グラムのモンテボレを700個生産し、イタリア全土で販売している。

他の業務に手をとられることはあっても、とにかく生産活動に集中することで彼らのモンテボレの質はさらに向上した。ロベルトによれば2021年のスローフード協会のイベント「Cheese」での成果は、過去最高だったという。その勢いで僕たちが主催するイベント「ゴロザリア・ミラノ」にも参加してくれたのだが、彼らの小さなブースの前にモンテボレを求めるビジターの長い列ができ、大成功を収めた。

他の業務に手をとられることはあっても、とにかく生産活動に集中することで彼らのモンテボレの質はさらに向上した。ロベルトによれば2021年のスローフード協会のイベント「Cheese」での成果は、過去最高だったという。その勢いで僕たちが主催するイベント「ゴロザリア・ミラノ」にも参加してくれたのだが、彼らの小さなブースの前にモンテボレを求めるビジターの長い列ができ、大成功を収めた。

「過ちから多くを学びました。大きなポテンシャルを秘めた製品があっても、恐らくはそれだけに頼っての地域活性化は望めない。同時に僕たちのとった人生の選択が否定される理由にもならない。90年代の終わりに消滅の危機から救われたモンテボレというチーズは、伝統の生き残りとして過去を語ってくれています。僕たちも戦ったけれど、同じようにチーズ自身も戦ったんです。黄泉の国に送られないように、食の世界、高品質の世界から姿を消すことがないように。それは尊重に値すると思うし、モンテボレたちにそんな彼らのあり方を忘れないでくれと懇願されたようにすら感じています」

「過ちから多くを学びました。大きなポテンシャルを秘めた製品があっても、恐らくはそれだけに頼っての地域活性化は望めない。同時に僕たちのとった人生の選択が否定される理由にもならない。90年代の終わりに消滅の危機から救われたモンテボレというチーズは、伝統の生き残りとして過去を語ってくれています。僕たちも戦ったけれど、同じようにチーズ自身も戦ったんです。黄泉の国に送られないように、食の世界、高品質の世界から姿を消すことがないように。それは尊重に値すると思うし、モンテボレたちにそんな彼らのあり方を忘れないでくれと懇願されたようにすら感じています」


◎CASEIFICIO TERRE DEL GIAROLO
Frazione Ponte del Mulino 5
FABBRICA CURONE (AL)
☎ +39(0)1311926710
mail:info@caseificioterredelgiarolo.it
https://www.caseificioterredelgiarolo.it/


パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
https://www.ilgolosario.it/it

『イル・ゴロザリオ』とは?

『イル・ゴロザリオ』とは?

イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーション

私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。

 

『イル・ゴロザリオ』で公開されている『料理通信』記事はコチラ

 

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