パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.21 プーリア州カステルフィオレンティーノ産ヤギのチーズ
2017.11.30
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
心のエンペラーと共に大地を放牧する
チーズ作りの名手
「フェデリーコは、あそこで亡くなった。あそこにあった城でね。今じゃ城址だけが残り、僕がヤギを放牧している。ドイツ皇帝を父に、ノルマンの王女を母に持ち、イタリアで生を受け、パレルモでアラブ人から高い教育を受けて育った。シュヴァーベンのフェデリーコ2世(フリードリッヒ2世:Federico II di Svevia)なら、この素晴らしい地域を代表するに値する人物だろう?
でも、ローマ教皇からは疎まれた。スルタンを友とし、十字軍として遠征した際、一滴の血も流さずにエルサレムに入城を果たして王になったことでね……。言っておくが、彼はそれまでに幾多の戦いを強いられてきたんだよ。可哀想なくらいさ!
詩を詠み、宴や女たちに酔いしれることの方をよっぽど好んでいたのに、領主、教皇、あちらこちらの町を相手に戦いに明け暮れた人生だった。
知ってるかい? 最初にイタリア語で恋の詩が詠まれたのは、まさにフェデリーコ2世の宮廷だったんだよ。彼自身も詩の詠み手にして有能な科学者であり、建築家だった!」
どうだろう?
イタリア中世史のミニ・レッスンでも受けている気になったろうか。
だが、800年も前に亡くなっている皇帝のことを熱く語ってくれたのは、歴史学者なんかじゃない。
ヤギのチーズで僕の舌を征服したチーズ職人ミケーレ・スキアヴォーネ(Michele Schiavone)だ。彼自身、自分を「啓示を授かった牧夫」なんて呼ぶ。
フェデリーコ2世はある日、「お前は、花の下(ラテン語でsub flore)で死ぬだろう」と、ジプシー女に予言された。
彼は、「花の女神の町フロレンティア」つまりフィレンツェのことだと思い込み、それ以降フィレンツェには決して足を踏み入れなかったという。
それでも結局は、予言どおり1250年12月13日、プーリア州ルチェラ(Lucera)近くにあった城で、腹痛に襲われてその生涯を終えた。
予言が暗示していたのは、フィオレンティーノ城だったのだ。
現在はカステルフィオレンティーノ(Castelfiorentino)という地名としてその名を留めている。まさに我らがミケーレのチーズ工房がある地点だ。
日本の友人たちよ、どうか驚かないでほしい……。
先人が築いた歴史は、僕たちイタリア人に流れる血に強烈に刻み込まれているのだよ。
匠のチーズ職人が、自分の経験を誇ることはそっちのけで、「心のエンペラー」を語ってしまうことだって、この国では起こり得る。
ミケーレは、1800年代から牧畜業を営む一家の5代目、さらには初代のチーズ職人だ。
ヤギを飼い始めたのは彼の祖父の代で1909年からだという。
祖父も、牧人や十字軍の兵士たちから崇められた大天使と同じミケーレという名だったが、ヤギの乳は共同組合に売っていた。
当時からこれまで飼っているヤギは一貫してガルガーノ種。
毛は黒または濃い茶色で逞しく、険しい環境での飼育にも適している。
「僕にとって動物たちは、暮らしを共にする仲間。280頭いるヤギそれぞれに性格は違うけど、みんな僕に似て半ば野生化していて、放牧に連れていくのが楽しくって仕方がない。」
皇帝が呪いをかけられた大地が
今はほっぺたの落ちるほど旨いチーズを生む
そんなヤギたちの乳で作るチーズは、完全にナチュラルな製法を用いている。
生乳を使用し、乳酸菌増殖促進剤は用いない、保存料としては用いるのも塩のみだ。
ヤギの胃から抽出したレンネットを用い、全体で月に3000キロのチーズを生産し、粗目に削った木板の上で約180日をかけて熟成したものを販売している。
ミケーレが生産するチーズは種類も豊富だ。
中でも素晴らしいのは『カチョ・デーバノ(Cacio d’Ebano:Ebanoは『黒檀』の意)』。これはオリーブの木を燃やした灰をチーズの表面にまぶし、チーズを保護したもの。
『ギベッリーノ(Ghibellino:『皇帝派』の意味)』は、麦のふすまをまぶしたもの。
『グウエルフォ(Guelfo:『教皇派』の意)』もあって、赤ワインで表面を洗っている。
そして逃してはならないのは、オリーブオイルとワイン・ヴィネガーで熟成させた『カステルフィオレンティーノ(Castelfiorentino)』だ。
どれも豊かな甘味がありクリーミーな質感のカチョッタ(主にイタリア中部で生産される円筒形のチーズの総称)だが、熟成により適度な辛味が加わる。
「ヤギの一生の終え方は様々。でも癌では死なない。研究者たちもこの点に注目した。ヤギの乳は、ベータカロチンを含まないため純白に見える。実際には、牛乳よりよっぽど脂肪分が多いというのに消化しやすい。タンパク質の含有率は牛乳と変わらず、カルシウムやリンは牛乳よりはるかに多い。ヤギは何でもかんでも食べるわけじゃないんだ。草を選んで食う。この辺りでは『肉は骨に近いところほど旨い。草は石の近くに生えるものほど旨い。』と言われているんだ」
牛乳はガルガーノ付近で放牧されているポドリコ牛(vacca podolica)のものを購入して生産にあてているそうだ。
『ポドリコ牛のカチョカバッロ(Caciocavallo Podolico)』を作ってくれと常連客に頼まれたことから生産を始めた。
『ジュンカータ(Giuncata:giunco=イグサ)』も牛乳のチーズで、プリモサーレ(軽めに塩をし、熟成期間も短めのチーズ)だ。プリモサーレと言えば、昔はイグサに包んでいたことに因んでつけた名だ。
さらに、僕を唸らせたのは『アルジッラ(Argilla)』で、その柔らかさがたまらない。ヤギ乳に牛乳または羊乳を用い、様々なサイズに仕上げ、表面に純正粘土を塗ったものだ。
そして最後のチーズは、やっぱりフェデリーコ2世に話が戻る。『フローレム(Florem)』は、まさに小さな傑作だ。薄皮が張った牛乳のチーズに、マルヴァ(ゼニアオイ)、ルッコラ、オレンジなどの花々を煎じたもので熟成させた。フェデリーコ2世の宮廷に漂っていた優雅さをイメージし、チーズの表面にもそれらの花々をあしらっている。
城跡を遠くに眺め、ミケーレの話に耳を傾けるなら、取りわけ夜が魅力的だ。
吟遊詩人の歌声や舞踏のステップ、いななく駿馬、武器の轟音に狩猟のホルンなんかが聴こえてくる気がする……と、我に返れば、幸せそうに草を食むヤギたちが目に入る。
皇帝がかけられた呪いも解けて久しいカステルフィオレンティーノの草原は、ほっぺたの落ちるほど旨いチーズが出来る大地以外の何ものでもなくなっていた。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
shop data
フィオレンティーノ農場
Azienda agricola Zootecnica Fiorentino
di Michele Schiavone
Localita Castelfiorentino
Torremaggiore (FG)
Puglia ITALY
Tel. +39-320-1197424
info@fattoriafiorentino.it
www.fattoriafiorentino.it
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。