パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.51 シチリア州エトナのブドウ栽培・醸造家 サルヴォ・フォーティ
2020.11.05
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
「火の山」が生んだワイン
初めてイ・ヴィニェーリ(I Vigneri)の「ヴィーヌペトラ(Vinupetra)」をテイスティングした時、僕はまだサルヴォ・フォーティのことを知らなかった。それでも造り手の名を知るまでもなく、眼前のボトルの偉大さは歴史に刻むに値すると言い切れた。諸君、これは芸術作品への評価と同じくワインに対する最大級の褒め言葉なのだ。
活きいきとした自然な赤い液体に滲んでいたのはサルヴォの人柄とかではなく、火山特有の活力と歓喜をもって語りかけてくるエトナ山だった。そんなワインを「ヴィーヌペトラ(訳注:シチリアの方言で石のワインの意)」とすれば、その石は何ものにも不動で冷淡な岩などではなく、気まぐれで、匂いがして、音もたてるあの「火の山」が生んだ石だ。このワインにぴったりの名じゃないか。
「これは一生涯口にしていきたいワイン」
あれは僕にそう言わせた心に残るテイスティングになった。
サルヴォは、エトナ地域の栽培醸造のあり方をそれまでとは一変させた。
彼の活動は伝統の底辺に起点をおき、再構築に至る革命的なものだった。カターニアの若きエノロゴは耕す土地はわずかでも明確な思想を持ち、エトナの栽培醸造の衰退にフラストレーションを募らせていた。
彼は1435年から活動していた生産者組合、マエストランツァ・デイ・ヴィニェーリに再び命を与えるべく、2000年に「イ・ヴィニェーリ」を設立した。そして絶対的にシチリアの青年たちのみを雇用すると、土着品種の栽培方法や環境に影響の少ない農器具の扱い方を知る高齢者の下に彼らを送って仕事を覚えさせた。
これらの技術を用いて耕した数ヘクタールの土地から素晴らしい2種類のワイン「ヴィーヌペトラ」と「ヴィーヌヤンク(Vinujancu:シチリア方言で白ワインの意)」を生み出すと、今度はそのボトルを、火山の麓の畑で彼らが造ることのできるワインのサンプルとして携え、有力な投資家たちを訪問しては、イ・ヴィニェーリとのワイン造りをこんなふうに提案した。
「僕たちは貴方のためにこんなおいしいワインを生産することが可能です。が、条件が一つ。栽培から醸造、さらにはエトナ地域特有のブドウ畑の景観である石垣の改修に至る全てをイ・ヴィニェーリに任せてくれること」
この取り組みは成功を収めた。そして今日ネレッロ・マスカレーゼ(Nerello Mascarese)とカッリカンテ(Carricante)というエトナを代表する2つの土着品種が世界で知られるようになったのには、主に彼の功績によるところが大きい。
サルヴォ・フォーティという男は、一見、かなり慎重で口数が少なく、他人に割ける時間はもっと少ないといった印象を与えるが、実際に話してみればウイットに富み、教養が感じられる魅力溢れる言葉は尽きるところがない。インタビューする機会に恵まれたなら、それは必ずや豊かな経験になることが約束されていた。
誰もが「エトナで」ワインを造りたがるが、
誰も「エトナの」ワインを造ろうとしない
-サルヴォ・フォーティ、貴方にとって最近のエトナ地域のブドウ栽培にはどんな変化がもたらされたと思いますか?
エトナでも今日の気候変化に適応する必要がでてきています。2003年以降「普通」の収獲年と呼べる年はなかったと言ってもいいでしょう。以前は、収獲作業は10月半ばと決まっていました。この時期にはたいていブドウが乾くにはもってこいの「小春日和」が続くんです。9月に除葉されたブドウたちは、最後の日差しを楽しみながら完璧な状態に熟していきました。ネレッロ・マスカレーゼなどは、熟すとまるでベルベットのような濃厚なブルーに色づいていた。
ところが今では、7月には雹、8月にはシロッコの強風に見舞われるというリスクを抱え、多くの場合、収獲時期を早める必要が出てきています。実際、収獲時期は天気予報とにらめっこが続きます。
―エトナ産のワインの知名度は年々高まっていますが、これは貴方のワイン醸造や、生産スタイルにどのような影響を与えましたか?
エトナの栽培醸造は、純粋にそれだけを行っていれば、素晴らしいワインの生産に必要な条件が全て揃っているのです。ところがそれを誰も知らない。
残念なことに、大半の投資家たち (訳注:イタリアでは財力のある人たちの間では、投資としてブドウ畑やその他の農地を購入し、日常の農作業を他者に委託し、農産物、特にワインを生産することが流行しています) は、エトナは植民地化できる土地ととらえ、個人の虚栄心のために、数々の救い難い生産スタイルの中でも最悪のスタイルを選択してこの土地に押しつける。彼らの多くはDOCワインの生産にはスノッブにフンと鼻をならし、自分の畑があるコントラーダ(訳注:市町村などの自治体を構成する一地区)の名前をボトルに入れる。彼らは一定の知名度をもった人たちで「ここは俺が発掘した」と言いたいからです。
じゃあ、もっと以前にエトナに来てもよかったのでは、と言いたくなる。エトナは昔からここにあったじゃないか。例えばバローロに行ってワインを造ろうと思っても、地価高騰は別としても、ここでのように簡単にはいかない。あの土地の伝統は強く活力があり、それに適応したワイン造りが求められるからです。今や誰もが「エトナで」ワイン造りをしたがる。ところが誰一人として「エトナの」ワインを造りたいとは言わない。
―エトナのワイン造りに必要なものは何?
地域の栽培技術の歴史、人類学、文化に関する研究です。そしてじっくり時間をかけて栽培方法を選別すること。僕はエトナ地域に未だ一切の価値が見出されていない、先行き不透明な時期に栽培醸造の仕事を始めました。だから僕には移住するか、ここに留まって頑張るか、二つに一つの選択しかなかった。
僕はこの仕事を始めた頃、ベナンティ(Benati)社と一緒に、この土地で生まれ育った労働者グループのプロ意識をブドウ栽培に結びつけたワイン生産の手法を生み出しました。機械化は最小限にとどめ、ブドウの苗木には栗木の支柱を添えてアルベレッロ仕立て(株仕立て)に、さらにはエトナ式パルメントで醸造を行うというものです。
―パルメントについて教えてもらえますか?
今日でもエトナでは多くのワイナリーでこの古い醸造所、つまり火成岩で作られたパルメントを見ることが出来ます。エトナ式パルメントの特徴は、火成岩を使用していることの他に、醸造の際、重力を利用した上方から下方への導管システムにより、液体を持ち上げる器具の必要がない構造になっていることです。
具体的には、圧搾を行う階、絞りをかけるスペース、そして熟成部門の順に、より低い位置へと築かれているんです。ブドウのプレスは、作業員たちが素足か重みのある靴を履いた足でブドウを直接踏み、腕を背中にまわして収獲時の民謡を歌いながら小幅なステップで円を描くようにプレスします。
何世紀もの間続いたこの伝統は「ピスタトゥーリ(pistaturi:シチリアの方言)」と呼ばれ、つい最近まで違法と見做されていたため、その合法化にイ・ヴィニェーリは全力を注ぎました。僕はこれは単に文化的にではなく、人類学的にも重要と考えます。一つの伝統の命をつないでいこうと思ったら、本に書いて残すだけでは不十分で、誰かが実際に行っていくことが必要なんです。
パルメントがあるなら、そこでワインを生産することはパルメント自体を保存し、博物館の役目も果たすと同時に生産性も得られるんです。さらにパルメントでワインを醸造することでネレッロ・マスカレーゼは特長を際立たせることが出来る。この品種の弱点は色が薄いこと。色素が不十分なうえ、すぐに沈殿してしまう。低くて広いパルメントの槽内なら、醸される間にマストが果皮に十分に触れ、自然な形でこの問題を解決してくれます。エトナのワインにとってパルメントは、ジョージアのアンフォラのようなものと言っていいのじゃないかな。
―ヴィーヌペトラにはパルメントは使用しない?
ヴィーヌペトラには、かなり長い醸しを必要とします。15日以上。パルメントは酸化を促すので、醸しは最長1週間が限界なんです。でも、ネレッロの雑味やタンニンが際立ったワインを得るのには適している。僕はそんなワインがとても好きです。
―現在イ・ヴィニェーリが生産しているワインについて教えてください。
赤ワインは「ヴィーヌペトラ」が3000本。これはネレッロ・マスカレーゼ80%にネレッロ・カップッチョ(Nerello Cappuccio)、アリカンテ(Alicante)とフランチーズィ(Francisi)を合わせて20%を使用しています。
パルメントを用いて生産しているのが「イ・ヴィニェーリ・ロッソ(I Vigneri Rosso)」で、ネレッロ・マスカレーゼ、ネレッロ・カップッチョにアリカンテを用いて7000本を生産。さらにヴィーヌペトラの畑の一部で採れるネレッロ・マスカレーゼ100%を使用した「ヴィーティ・チェンテナリエ(Viti Centenarie)」は1000本を生産しています。
白ワインでは、カッリカンテ90%、ミンネッラ(Minnella)10%で「アウローラ(Aurora)」を5000本。カッリカンテ100%の「ヴィーニャ・ディ・ミロ(Vigna di Milo)」は1500本を生産していますが、そのカッリカンテのうち70%はピエ・フランコ(訳注:抗フィロキセラのための接木を施しておらず、品種本来の持ち味をより呈した苗木)です。そして「パルメント・カゼッレ(Palmento Caselle)」は栽培しているカッリカンテのうち一部の特殊な性質のものを用いて1000本を生産しています。
最後に「ヴィーヌディリチェ(Vinudilice)」。標高1300メートルにあるヴィーニャ・ボスコ(Vigna Bosco)という畑のアリカンテ、グレカニコ、ミネッラやその他のわずかに植えられている品種を用いて醸造したロゼで、生産本数は2500本。この畑はおそらくヨーロッパで最も標高の高い畑なんじゃないかな。そして特徴的に適していると思われる収獲年には一部をメトド・クラッシコ(伝統製法)でスパークリングにします。
これら以外に、イ・クストーディ・デッレ・ヴィーニェ(I Custodi delle Vigne)やフェデリーコ・グラツィアーニ(Federico Graziani)のように僕たちの哲学を共有し、イ・ヴィニェーリの組合に加わったクライアントとのワイン生産も行っています。
―貴方は自分自身のどんなところに「シチリア気質」が見られると思いますか?
むしろエトナ気質、つまり「雪山に育ったシチリア人」ってことにこだわっていると言った方がいいかな。この地域の人は寒さと火山性気候には慣れっこ。活火山は脅威を超えて独特のエネルギーを与えてくれ、僕たちは体でそれを覚えている。火山灰が落ちてくれば僕らはその灰の中で呼吸をする。子供の頃から火山の頂上に面した窓に煙を目にしてきたんです。
その煙は白いときもあれば赤く燃えているときもあった。そしてここは、クルミ、ヘーゼルナッツ、ポルチーニ茸の出来る大地です。海は近くに見えていても僕たちの一部じゃあない。ここは他とは違うシチリアなんですよ。
―以前貴方が話してくれたエピソードにこんなのがあった。ある女性がエトナ地域でのワイン生産に投資をしたいと貴方に申し出た。貴方は彼女にこう言った、「シニョーラ、ブドウ畑の購入を考えるには、子作りも考えなければダメですよ。(ブドウ栽培の本格的な実りには2世代分の時間がかかるの意。)」と。確かに貴方の息子シモーネ(Simone:25歳)とアンドレア(Andrea:21歳)は、貴方の仕事を立派に引き継げる後継者に成長しました…どうやってそんな息子たちに育て上げることができるのか?
僕一人の力じゃないです。息子たちの教育については常に妻のマリア・グラツィア(Maria Grazia)と話し合って決めてきました。バックグランドも重要ですね。彼らは家族という単位の中で育ち、そこで教育されてきた。そして彼らは、人と人との助け合いを大切にする仲間たちの間で成長してきたんです。
厳しさも必要です。僕もたまに怖い顔をすることがある。それは誰かが息子たちに対し、彼らは息子であって友達じゃないってことを理解させねばならないからです。友達は互いに選ぶことができても、親子は選べない。彼らは家族を頼りにでき、毎晩、家に仕事への情熱を抱えて帰ってくる者、つまり父親から尊重されていると知っているからこそ、心に憂いなく育つことができた。他には運も必要だと思うな。僕は、息子に関しては恵まれていたと思います。
―僕がコラボレーションをしている日本のメディア『Web料理通信』ではコロナウィルスに関する生産者の意見を届けてくれています。その多くが、人と環境の関係を見直すべきと提言している。貴方は、Covid-19が私たちの暮らしにどんな影響を与えたと思いますか?
パンデミックはいつの時代にも存在していましたが、現代の僕たちはこれまでに増してそれに立ち向かう能力が備わっている。ウィルスは絶対悪ではないし、怪獣でもない。危機的状況に陥ったときこそ、地に足をつけて、行き過ぎのない思考を持つことが必要です。環境や人に配慮するのは難しいことですが、今起こっていることの全てから何も学まずにこれらを見送ってしまったら、それは残念なことだと思います。
―貴方の著書『ワインを上手に飲むために(Come bere bene)』に、「おそらくワインが無くても生きていける。だが、愛なくしては生きていけない。」と書いていますよね。今もそう思う?
もちろん! 世の中には、愛を手に入れられずにワインに溺れる人がいるけど、あれは体を悪くするだけ。逆に誰か愛してくれる人がいたとしたらお酒だってその人と分かち合う喜びができる。僕のワインセラーには尊敬する生産者のワインが何本かあるけど、それを一人で飲もうなんて考えたこともない。それにこれだけは絶対に言える、「いかに最高のワインであろうと、特別な機会に愛する人と開けるボトルに勝る旨さものはない!」
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
[Shop Data]
I VIGNERI di Salvo Foti
Palmento Caselle via Abate, 3 - 95010 Milo (Etna est) Catania Italy
Tel. +39 3666622591
e-mail: info@ivigneri.it
サルヴォ・フォーティ著『ワインを上手に飲むために』は日本語版をKindleで購読できます。
https://s.r-tsushin.com/3juRTZ4
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。