パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.6 トレンティーノ=アルト・アディジェ州ブレントニコのプリモ・フィオーレ
2016.07.25
※訳注*1 P.A.T.イタリア農林政策省が2000年に定めた認証「Prodotti Agroalimentari Tradizionali(仮称;伝統農産品)」の略式名です。長い歳月をかけて伝統と呼ぶに値するまでになった製造工程、保存方法、熟成方法を用いて製造される農産加工品とその製造方法を指します。オラツィオさんによると、法的効力はDOPに比べれば弱いですが、地域の特徴や伝統を持った農産加工品を求める人には役に立つ認証マークだそうです。*2 オラツィオさんのお父さんは、大規模工事専門のダイナマイト技師でした。1960年代のアブシンベル神殿移転工事など、世界の歴史に残る大事業に参加していたそうです。一線を退き地元で農業に勤しむようになってからも、地域の人に頼まれれば出かけて行って人の役に立っていたと、子供のような笑みでオラツィオさんは語ってくれました。
夏草が香る山のチーズ
トレンティーノの高原にある村、ブレントニコ(Brentonico)に住むオラツィオ・スケルフィという男の話をしよう。
彼とは、彼がバルド山(Monte Baldo)で作るチーズを世に認めてもらおうと、官僚主導の行政と闘っていたころだから、かれこれ20年の付き合いになる。
それは「プリモ・フィオレ」というチーズのための闘いだった。
標高の高い地域で、夏場に生育する最高の草花を食べた牛の乳で作るが、それだけではない。何世代にも渡り受け継がれてきた伝統製法からも、この世で唯一のチーズだと言ってよい。
オラツィオの闘いは、決して容易なものではなかった。
ローマの中央政府に全てを決められてしまう理不尽さもそうだし、ブレントニコのフェスタ (Festa)地区に住む酪農家の彼は、ローマのような都会に赴くのはあまり気が進まない。
それに……何といっても時間がなかった。
が、ある夏、彼のマルガと呼ばれる山小屋に、ローマから何と!イタリア共和国大統領がやって来た。
当時の大統領カルロ・アゼリョ・チャンピだ。大統領は大きなプリモ・フィオーレ・チーズと一緒に写真に写ってくれた。
この一枚の写真がチーズに正当な認定を得るべく闘うオラツィオに誇りを与え、さらに活動を有利に運び、最終的にP.A.T. *1認証を得ることができた。
僕はしばらく彼に会っていなかったのだが、昨年10月に再び彼に会いに行くことになった。
で、彼はどうなっていたか?
まず、僕の大好きなプリモ・フィオーレは変わらぬおいしさだった!
それに加え、バターや全く違う工程で作ったチーズを熟成期間も様々に生み出し、彼のチーズを求めて訪れる者に販売していた。
さらには、以前、僕たちを迎えてくれた自宅は、魅力溢れるアグリツーリズモになっていた。
7部屋の客室に大きな食堂、子供たちの遊び場、博物館までも!
そして学習スペースの真ん中には、その場に昔からあった木を切らずに残してあった。彼が子供の頃に登って遊んでいた桜の木だ。
だが、ある日、彼の7人いる子供たちの末っ子が彼に言ったそうだ。
「雪がたくさん降ってどこにも行けなくなったらどーするの?」
「どうやって家畜に餌をやりに行くの?」
そう言われて彼は、大人の身長ほどの高さのある地下道を掘り、石のタイルを張った。
彼のアグリを兼ねた大きな住宅と100メートル以上も離れた牛舎をつないでしまったのだ! 戦時中でもなかなかあり得ない話だ。
これは単に楽しいエピソードと言えるだろうか? イタリア人のやりそうな話とは思わないか?
彼の父親は、大規模工事専門の技師としての高い腕で知られていた*2。しかも冒険好きだった。
若い頃にエジプトのピラミッドを背に撮った父親の写真を眺めるオラツィオ。
彼には神話にすら思えた。これが、彼を地下道掘りへと導いた。
この数年間、オラツィオは夢のような空間を一つひとつ自分の手で作り上げ、ようやく客人を迎えられるまでになった。
山々に囲まれて食事を楽しみたい人、宿泊をしたい人、静寂に包まれたい人、みんなが集まれる場所になった。
さらに、ないはずの時間を見つけペルーに出かけていくと、現地の人々にチーズの作り方、販路開拓や製品の価値を守る手段までも伝授した。
一体、彼をここまで動かした原動力とは何なのだろうか?
イタリア的「お返しの原理」
僕が語ってきたのは単に一人の男の話だ。
毎朝4時に起きて自分のチーズを市場に売りに行く男。
市場から戻れば牛舎の管理、搾乳からチーズ作り、その他一切合切の仕事が彼を待つ。
子だくさん家族で、妻のミリアムの他にも、子供のうち何人かは一人前になって彼を助けるようになった。
50歳にもならないが孫も生まれた。そんな男。
先のペルーのエピソードも、深い意味でイタリア人にはあり得る話だ。
イタリア的「お返しの原理」。
自分が恵みを授かったなら、感謝の気持ちで自分も誰かに恵みを与えたくなる欲求が沸いてくる。
世界が自分たちの知恵を他に伝えることで助け合えたら、どんなにすばらしいか!
ここで言う知恵は、健全な家族生活の中で生まれ、次の世代に受け継がれながら農作業などの作業能力を高めていく。
こうして働くうちに自分の土地への愛情が生まれる。
ここだ、イタリアでは正にここに「お返しの原理」が生まれる。
さて、チーズ「プリモ・フィオーレ」に話を戻すとしよう。
これは牛乳を用い、最低7カ月と長期熟成する中脂肪のチーズで、トレンティーノ県でも主にモーリ(Mori)、ブレントニコ(Brentonico)、アーラ・アヴィオ(Ala Avio)、トルボレ(Torbole)、そしてナーゴ(Nago)という行政区内で生産される伝統農産品になった。
ガルダ湖を見下ろす高山の西向きの斜面で牛に夏草を食べさせて得る牛乳から作られ、夏草の香りがほのかに残る。
夏場の牧場とチーズ工房を備えた山小屋(アルペッジョ)で作られるプリモ・フィオーレは、「モンテ・バルド・プリモ・フィオーレ(Monte Baldo Primo Fiore)」というチーズとして伝統農産品P.A.Tの認定を受けている。
そして現在では、山を下りてからの冬場、村の小さなチーズ工房で作られるものも「モンテ・バルド(Monte Baldo)」というチーズ名で認定を受けている。
生産工程は、まず、前日の夜と翌朝の2回の搾乳で得た牛乳を用い、夜に搾乳したものは特に脱脂して用いる。
窯で35~37℃にまで温めた牛乳に、仔牛の胃から抽出したカッリョ(凝固剤)を加える。
牛乳が凝固したカードを、攪拌棒でレンズ豆程度の大きさになるまで粉砕し、その後44~47℃に温める。
こうして得た固形物が窯の底に沈むまで30分ほど休ませる。
底に沈んだ固形部分を引き上げた後、布を敷いた型枠に入れ、さらにひっくり返して型にはめ直し、形を整える。
塩分は塩水に漬けて加えていく。
かなり濃い目のアロマを特徴に、深い味わいを楽しむ日常的なチーズ。
熟成期間も変えて何種類かの食べ比べができればより楽しいだろう。
彼の作ったこの小さなパラダイスでプリモ・フィオーレを味わい、周囲の森を散歩する。ならば、全てがもっと違って見えてくる。
豊かな体験になること間違いなしだ!
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
shop data:プリモ・フィオーレを味わえるアグリツーリズモ
Agritur Primo Fiore (トレンティーノ=アルト・アディジェ州/ブレントニコ)
Loc. Festa 6, 38060 Brentonico (TN)
Tel. +39 0464 395 847 +329 794 7758
agriturprimofiore@gmail.com
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。