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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

今だから、命の糧となる穀物「ファッロ」を見直そう

vol.60 ウンブリア州ペルージャ県ファッロ生産者

2022.04.28

text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki

連載:イタリア20州旨いもの案内

連載:パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

「毎年12月5日は、聖ニコラ祭の日で、村の教区司祭が女性たちに手伝ってもらい、授福のミネストラを作る習わしがあります。農家の伝統的な石造りの製粉器で潰したクラッシュ・ファッロをタマネギ、セロリ、トマトやジャガイモと一緒にブロードで煮て、オリーブオイルをちょっと落として人々に振舞うというものです。言い伝えでは、聖ニコラがこのモンテレオーネ・ディ・スポレートを通りかかり、村人たちの貧しい暮らしぶりに胸を痛め、馬の背に積んであった荷の中からわずかに残っていたファッロを譲ることにしました。ところが、聖ニコラの指がファッロに触れたとたん、ファッロの粒の数がどんどん増えていって、村人全ての腹を満たすことができたそうです。

このファッロは第二次世界大戦中も私たちを飢えから守ってくれました。敵国の兵士たちは、軍に必要な食糧として私たちの貯えを全て没収していきましたが、ファッロのことをよく知らず、どうせ家畜に与える飼料だろうから、この先育った家畜を没収すればよいとファッロは放置していったそうです」

僕が訪れたのはウンブリアで最も標高の高い村、モンテレオーネ・ディ・スポレート(標高およそ1000メートル)。度重なる地震で傾いた塔、一方、ほとんど原形を留めて村の周りを囲み守り続けてきた古い城壁。そんな中世の雰囲気が色濃く残り、周辺の地域でも最も魅力的なスポットの一つであるこの村を訪れる気になったのは、ウクライナ紛争が勃発し、そのうちに深刻な小麦不足になり、広い地域で飢饉も起こりうるとの予測があちらこちらで報道されているためだ。

今のような小麦が普及していなかった時代から、否、最も古くから存在する小麦の仲間、「ファッロ」を今一度見つめ直したかった。それでイタリアで唯一、原産地呼称保護(DOP)認証を得て、有機農法でファッロを栽培しているジュリオ・チッケッティ(Giulio Cicchetti)と、その生産現場を訪ねることにした。


紀元前から人類と共にある最古の穀物

ファッロはいわば農業の生きた化石。紀元前1万年前後から古代民族が栽培を始めた、最も古くからある穀物で、その発祥の地はパレスティナであったとされる。それがイタリア半島でも目にするようになったのは紀元前7世紀頃で、エトルリア人やローマ人は、軍の遠征の際もファッロを携行し、最も消費量の多い食糧となった。

紀元前6世紀から5世紀にかけて地中海地域にも小麦が登場したが、これはより簡単に栽培でき、収穫量も多かった。そのためファッロ栽培は、徐々に石灰質で土壌温度が低い山岳地域へ追いやられていった。ジュリオが続ける。
「100キロの穀粒を脱稃(だっぷ:穀粒から籾殻を外す作業)して得られるのはたったの50キロ、30%が籾殻、そして脱稃前の選別作業で10%、脱稃やその他の工程で10%の重量が簡単に減ってしまいます。このファッロですが3種類あります。一粒コムギ(伊名Farro Monococco:学名Triticum monococcum ssp monococcum)は最も古くから存在し、野生のファッロも一粒コムギです。穂は小さくて穀粒がもろく、穂から落ちやすい。たいてい一つの穀粒に一つの種子が入ります。収量は少ないですが乾燥した土壌での栽培に適し、栄養価も高いです。
次に二粒コムギ、あるいはエンマーコムギ(伊名Farro dicocco:学名Triticum dicoccum)。これは一粒コムギより少し後に生まれたものですが、収量はやや多め。穂は平たい形をしており、一つの穀粒に二つの種子が入ります。イタリアで最も広く栽培されているファッロがこれです。
最後のスペルトコムギ(伊名Farro spelta:学名Triticum spelta)についてですが、これは二粒コムギと他の野生のイネ科植物が自然交配して生まれた交配種なんですよ。性質では最も軟質小麦に近いとされていますが、イタリアの気象条件は生育に適していないため、ほとんど栽培されていません。
軟質小麦や硬質小麦といった一般的に流通している小麦と比べ、ファッロの利点は脂肪分が少なく、でんぷん性物質やミネラル塩を多く含んでいること。消化に良く、腸の働きを整え、胃に負担をかけず、満腹感が得やすいです。糖分の含有量も少ないので、糖尿病の問題を抱えている人に最高の食品ですよ」

その上、野草との共生力があることで耐久性が高まり、気象条件の劣悪な地域でも、農薬や除草剤を使用する必要がない。また収穫時も穂から穀粒が落ちにくく、籾殻も実から剥がれにくいので鮮度を保ち、合成物質などを用いなくても簡単に保存できる。

ジュリオは1995年に、有機農法によるファッロとレンズ豆の栽培と加工販売を行うこの農場を立ち上げた。
「当初は近所や、近隣の町の店だけが扱ってくれました。ファッロの加工作業も脱稃や粉砕以上のことを行うのは難しかった。ファッロだけを食べて戦中の飢えを凌いだ記憶のあるお年寄りたちにとっては、ファッロは見るのも御免で、僕たちの仕事はうまく行かないだろうと考えていました。けれど年月を重ねていくうち、製品の質がとても良かったこと、オーガニック食品や自然食品の需要が高まったことから従来とは違う市場が生まれ、低精白ファッロ、ふかしファッロ、ファッロ製の小麦粉、セモリナ粉やパスタなど新しい商品の製造と販路開拓ができたんです。2000年にはファッロのガレット(ふかしたファッロをディスク型にかためたもの)が大ヒット。米のガレットより風味があっておいしいと多くの人から褒めてもらいました。

2006年には、籾殻の再利用を始めました。それまで脱稃作業でできる籾殻は廃棄物と見なしていましたが、これをクッションや車のシートカバーの中綿に代用するものです。このアイデアが革新的と評価されて、全国農業者団体「Coldiretti」が主催するコンクールで「オスカーグリーン」賞を獲得しました。
農業法人としてここで働いているのは5人、僕と妻のパオラ(Paola)の他に娘3人。上から34歳のエリーザ(Elisa)、32才のヴァレンティ―ナ(Valentina)、そして27歳のシモーナ(Simona)。僕が畑作業に従事し、その他は全て彼女たちに任せています。僕の健康が一家の要。生まれた孫もみんな女の子ですから」


モンテレオーネ・ディ・スポレート産ファッロは、二粒コムギ。気象条件や土質から春蒔きが可能で、硬いガラス質、栄養素が豊富で、味わいが深いという特徴がある。主に全粒として消費するので、脱穀後は脱稃するだけ。表皮は栄養素が最大限に含まれているが、かなり硬質なので調理前に12時間は浸水しておき、さらに火にかけてから煮上がるまで2時間はかかる。
そこで生み出された「低精白ファッロ」は、全粒ファッロの表面を軽く傷つける程度のわずかな精白を施し、水の浸透を早めて調理時間を短縮することを狙ったもの。あらかじめ浸水させる必要もなく、30分火にかけておけば適当な歯応えのアルデンテに仕上がり、サラダにピッタリだ。
「クラッシュ・ファッロ」は、全粒ファッロを粉砕したもので、見た目はパン粉のようにもみえるが、これで作ったミネストラは最高だ。粉に挽いたものはタルトやその他の焼き菓子、あるいはパスタに用いる。

「このファッロはモンテレオーネ村の宝ですよ」ジュリオは自信をもって言った。
「正直に言うと他には何もなかったんです。1902年にね、この辺の農家のおやじさんが母屋を新築しようと土地を掘り返していて信じられない発見をしたことがあります。紀元前5世紀頃のエトルリア人の墓で、男女の遺体が埋葬されていて、周りには2つのカップ、そしてクルミ材の車体にアキレスの神話のモチーフを銅や象牙に彫って飾った見事なパレード用のチャリオット(戦闘用馬車)が安置されていたのです。

このおやじさんは、そのチャリオットを新築中の家の屋根の建材と瓦と交換で美術商に売っちゃったんですよ。それが別の人の手へ、また別人の手へと渡り、解体された挙句にアメリカにまで運ばれていって、今ではニューヨークのメトロポリタン博物館に展示されているそうです。モンテレオーネの自治体が返却を求めたそうですが、さすがに返してくれるはずもない・・・。ですけど、その同じ墓から古来の農民文化の証ともいうべきファッロの穀粒も出てきたそうです。チャリオットは失ったかもしれないけど、真の宝は僕たちの手に残ったんです」



◎AZIENDA AGRICOLA CICCHETTI SNC di Cicchetti Giulio & C.
Località Ruscio MONTELEONE DI SPOLETO 06045(Perugia)
☎ +39 0743.755841
https://www.farrocicchetti.it/

パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。

『イル・ゴロザリオ』とは?

イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。

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