日本 [岩手]
シェフたちの「いわて短角牛」「いわて羊」視察ルポ
自然と人が手を取り合う畜産のかたち
2019.10.17
このスケール! 短角牛は放牧適性が高く、急斜面で粗放な放牧地でも飼養できる。
春から秋にかけて山に放牧、冬は牛舎で育てる「夏山冬里」が優れた赤身肉をつくり上げる「いわて短角牛」。荒廃農地の草刈り役を担う羊がラム肉や羊毛としてトータルに活用されるめん羊飼育。全国有数の畜産県である岩手県で繰り広げられている“自然と人が手を取り合う畜産”の様子を3人のシェフ、「ダ・オルモ」北村征博シェフ、「イタリア料理 樋渡」原耕平シェフ、「クインディ」安藤曜磁シェフが、7月下旬、視察しました。
「夏山冬里」がいわて短角牛の優れた赤身肉をつくる。
広大な牧草地で牛たちがのんびりと歩き、草を食む風景に、シェフたちは頬を緩ませる。「いわて短角牛」の流通や加工を担う有限会社 総合農舎山形村の所長・川村周さんは、「よく『外国に来ているみたい』と言われます」と誇らしげに語る。「年間240日はこんな風景なんですよ」。
「いわて短角牛」は日本短角種の一種で、東北地方在来種の「南部牛」とアメリカのショートホーン種の交配により誕生した。岩手県では久慈市のほか、二戸市、岩泉町、盛岡市などで生産されている。飼育エリアが県北主体なのは、冷涼な気候に加え、中山間地域で傾斜の多い放牧地を多数有していることが大きな理由だ。
放牧・肥育期間や出荷時期は産地や牧場によって少しずつ異なるが、共通するのは、春に誕生した仔牛を初夏から秋にかけて母牛と共に放牧して、その後、牛舎で独自の飼料を与えて肥育すること。これによって、ストレスもなく丈夫で健康な牛に育ち、脂肪が少なく旨味の強い赤身肉となる。放牧期間中は自然交配も行われるなど、牛本来の生態を何より大事にする。
3人が訪ねた久慈市山形町は、繁殖牛約380頭、肥育牛約600頭、計約1000頭と県内で最も多くの短角牛を飼育する主産地。北上高地の山腹や山頂に6~7カ所の公共牧場があり、30軒余の繁殖農家は、2~4月に生まれた仔牛を5~11月までいずれかの牧場に預けて放牧する。ここ「久慈市短角牛基幹牧場」では、約100ヘクタールの牧草地におよそ60組の母子と1頭の種牛が放牧されていた。
地元産の飼料が肉質を向上させる。
肥育農家は、放牧の後、牛舎で肥育し、体の大きさや重さを見極めながら22~34カ月で出荷する。出荷時の肉質を左右するのが、肥育期間に与える飼料。山形町には13軒の肥育農家があり、それぞれ飼料の中身も異なるが、特徴的なのは国産100%にこだわった飼料で飼育する農家もある点だ。
案内してもらった落安兼雄さんもその一人。国産の小麦、大豆を中心とした混合飼料のほか、地元で生産される飼料用トウモロコシ(サイレージ)を使用。加えて、一昨年から「SGS」を試験的に使い始めた。SGS(Soft Grain Silage)とは、収穫した籾米を乾燥させずに破砕・圧ぺん処理し、乳酸発酵させた飼料。食い付きが良く、消化率も向上、長期保存可能とメリットが高い。
「SGSを加えてから、肉質の評価が高くなりました。しかも地元で作れる飼料なので、力を入れています」と説明するのは、JA新いわて久慈営農経済センター畜産酪農課の泉山祐介さん。以前から山形町産の短角牛を使っている安藤シェフは、「確かにおいしくなりました」とうなずく。
畜産の長い歴史を持つ食肉の本拠地・欧州で修業をしたシェフほど、牛の生態に適った自然な飼育法の牛肉を求める。「夏山冬里」という飼育スタイルに、シェフたちはみな納得の表情。「食材の魅力を伝えることは料理人の役目。いわて短角牛の肉質の良さをしっかり伝えていかなければ」と3人のシェフたちは料理人魂をたぎらせる。
荒廃農地対策から始まっためん羊飼育。
荒廃農地に羊を放つと、羊は草を食み、草刈り役を担ってくれる。仔羊はラム肉として出荷。刈った毛はフェルトや毛織物の材料に。岩手県では今、環境、食、衣とトータルに活用法を探るめん羊飼育が広まりつつある。そんな地域振興にひと役買う羊たちを「いわて羊」として売り出し中だ。
シェフたちが訪れたのは、岩手県のめん羊飼育をリードする奥州市江刺梁川地区。「梁川ひつじ飼育者の会」を立ち上げた発案者にして事務局長の平野昌志さんが、自宅敷地内の畜舎に3人を案内してくれた。
同会が、荒廃農地の解消や地域活性化策としてめん羊の飼育を始めたのは2010年。この辺りは牛の繁殖が盛んだったが、高齢化により大きな牛を扱えなくなり、手放す農家が増加。やがて、牧草地が雑草化し、転作田も含めた農地の荒廃が問題になっていた。そこへめん羊を放牧することで草刈り作業の軽減を図ると同時に、めん羊の飼養を地域の高齢者の生きがいづくりにつなげようと、平野さんは考えたのだった。
北海道から30頭のサフォーク種を譲り受け、7人の会員で飼養を始める。ところが、翌年の出産期に26頭の仔羊が誕生するという想定外の事態に。当時、市内でレストランを営んでいた伊藤勝康シェフ(現「ロレオール田野畑」オーナーシェフ)のアドバイスと協力を得て、ラム肉として東京都内のレストランに出荷したところ、「一般的なラム肉と比べて臭みがない」と好評だったことから、食肉出荷を目的とした飼養に舵を切ることになった。
「よりおいしい肉にするため、卸会社である株式会社太陽の坂口洋一社長の指導のもと、配合飼料の研究・工夫をしています。数年前から、食肉出荷用の仔羊には主にこれを与えているんですよ」と平野さんが飼料を3人に見せる。
「今、うちで飼育するのは繁殖用の15頭。私は70歳ですが、この頭数なら、一頭一頭に愛情を注ぎながら手間をかけて育てることができます」と平野さん。羊たちに向けるまなざしが優しい。「羊たちが平野さんになついて、彼の後を追うんです。平野さんの奥さんはいまだに出荷の度に涙を流すんですよ」と語るのは、株式会社太陽の坂口さん。流通の担い手としてちょっと辛そうだ。
坂口さんは「梁川ひつじ飼育者の会」の羊肉をブランドとして育てるべく「やながわ羊」の名称で登録商標を取った。評判を聞き付けた料理店から注文が相次ぐが、同会の年間出荷頭数は現在60~70頭と、需要に追い付かない。「若い世代と一緒に取組み、梁川の産業として発展させられたら」、それが平野さんの目下の願いだ。
めん羊で広がるつながり。グリーンツーリズムも夢ではない。
シェフたちはもう一カ所、一関市の下大桑地区を訪れた。
ここも梁川地区同様、荒廃農地の解消や地域活性化、住民の所得向上を目指して、2016年6月に「下大桑ヒツジ飼育者の会」を設立。「梁川ひつじ飼育者の会」から5頭のサフォーク種を購入して繁殖している。
出迎えてくれたのは、会長の桂田清さん、副会長の阿部昇松さん、桂田さんの息子で事務局長の勝浩さん。ここ数年、国産ラム肉の人気が高まっていることや、岩手に手紡ぎ・手織りの毛織物「ホームスパン」の産業が根付いていることに着目。「羊を放牧して、肉も毛も販売すれば、様々な解決に結び付く」と会を設立したという。
3人は、副会長である阿部さんの畜舎へ。飼料の一部は自家栽培しており、畜舎のそばに整備された飼料用トウモロコシの畑がシェフたちの注目を引く。「生後1年間は干し草や配合飼料を与えながら畜舎で育てるのですが、飼料は会員が各自工夫しているんですよ」と勝浩さん。
羊たちは生後1年を過ぎた頃から、休耕田を活用した「羽根橋ヒツジ牧場」「下大桑羊牧場」の共同牧場に放牧される。2つの牧場に案内してもらうと、山に囲まれた静かな牧草地で羊たちがのびのびと草を食んでいた。
昨年11月のラム肉初出荷の記念試食会では、「特有の臭みがなく、食べやすい」と大好評。肉は基本的に骨付きで、直接飲食店に卸すシステムを取っている。シェフたちからは飼料の中身、食肉としての価格、今後の出荷予定など具体的な質問が相次いだ。
「下大桑ヒツジ飼育者の会」のもう一つの特徴が、羊毛の活用である。桂田さんたちは、SNSを通じて県内外のフェルト作家やホームスパン作家に販売するほか、昨年からは岩手県の県産羊毛の認知度向上を目指す「i-wool(アイウール)」事業に提供している。一方で会員の家族たちも、羊毛を草木染めし、フェルト小物を制作。さらに皮も利用しようと、「なめし」の技術の習得にも挑戦中という。「羊を通して様々な世代が地域ぐるみで交流し、未来への希望が感じられる点がすばらしい」と北村シェフは感慨深げだ。
◎ 問い合わせ先
岩手県農林水産部流通課
〒020-8570
岩手県盛岡市丸10番1号
☎ 019-629-5733