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JOURNAL / 世界の食トレンド

開店から70年。ウクライナ人コミュニティを支え続けてきた名店が今、世界に伝えること

America [New York]

2024.09.17

text by Akiko Katayama
(写真)創業1954年。レストラン「ヴェゼルカ」イーストビレッジ本店は、70年たった今でも人気が絶えない。

「店」とはなんだろうか。

新規オープンや斬新な料理に意識をさらわれがちなメディア主導の昨今、1954年マンハッタンに開いた「ヴェゼルカ(Veselka)」は、飲食店の意義を問いかける貴重な存在だ。

19世紀終わりから20世紀初頭にかけて、約50万人ものウクライナ人が希望を持して米国に移住した。その多くが新天地として居を構えたのが、ヴェゼルカのあるイーストビレッジ。自ら移民の1人である初代オーナーが開いた小さなニューススタンドは、やがてウクライナ移民のコミュニティのハブの一つとなり、店の敷地を少しずつ広げながら、祖国の料理を出す軽食店の機能も果たすようになる。

(写真)開店以来伝統の風味を失わないウクライナ定番料理。看板料理である「ピエロギ」(写真手前)は、全てウクライナ人のママたちが毎日手作りしている。

経済と治安の悪化を反映し“リトル・ウクライナ”は一時衰退するが、苦境を忍びヴェゼルカを人気の店に盛り上げたのは、初代の娘と結婚したトム・バーチャード氏だ。妻にすらも気難しかった初代は、なぜかウクライナとは無関係の米国人のトムと馬が合った。大学時代、今後のキャリアを模索する中で、とりあえずヴェゼルカの手伝いを始めたトムだが、気がつくと「とりあえず」が天職となっていた。

ウクライナ精神の担い手という、店が担う役割を深く理解する彼には、時代の波に乗り、柔軟に経営の舵を取る商才もあった。たとえばエリア内のウクライナ人口が次第に減る1990年代に、同店を24時間営業に切り替え、ナイトライフを楽しむ若い非ウクライナ系に客層を広げた。

9/11のテロ、2012年のハリケーン、コロナ禍・・・世界がどんなに揺らいでも、この店は自分の居場所。ヴェゼルカは、この街のウクライナ系人口にそんな安心感を与え続けてきた。またコロナ禍の最中には、同店を支えるべく、凍てつく冬の屋外の席を多彩なお客が埋め、同店がウクライナ人を超えたニューヨーカーのコミュニティの核として、必要とされる存在であることを示した。

コロナ禍の2020年、54年間の激務を経て、トムは引退を決めた。
その跡を継ぎ店の舵を取る3代目が、トムの息子ジェイソン・バーチャード氏だ。ヴェゼルカの精神を維持すべく毎日店に出て客と会話をし、経営管理に奮闘する中、2022年2月、突如ロシアがウクライナに侵攻。ジェイソンの責務は店の枠を大きく超えることになった。

(写真)ヴェゼルカ3代目のジェイソン・バーチャード氏。

家族の安否に不安を抱く店のスタッフを気遣い、労力だけでなく資金もかかる彼らの家族の呼び寄せ、ビザの取得も迷わずサポート。看板料理であるボルシチの売り上げは全額ウクライナ支援に寄付するなど手を尽くし、これまで集めた額は75万ドルに上る。

ヴェゼルカには共感する人々が終日来店し、古い調理機器が休みなしに稼働する狭い厨房では供給が追いつかない。そこで2024年6月、ブルックリンのウィリアムズバーグの一角に開いたのが、約50席のダイニングスペースを備えたセントラルキッチン「ヴェゼルカ・ウィリアムズバーグ(Veselka Williamsburg)」 だ。オンラインでの半加工商品販売ほか、今後の経営拡大にもつなげていける。

「ウクライナ人は家族やコミュニティのつながりを何より重視します。この店が、その大事な価値観をすべてのお客様と共有できたら、世界はより良い方向に進んでいくはず」とジェイソンは話す。

(写真)開店70年の節目に、短い店の紹介映画の制作を予定していたが、ウクライナ侵攻を機に監督が本格的なフィルム「ヴェゼルカ」制作を決め、2024年現在全米で限定公開されている。店を巡る3世代の生き方、飲食店を切り盛りすることの意義と苦悩を描き、全ての飲食業界関係者に観てほしくなる内容だ。
(写真)新たに生まれたウィリアムズバーグのヴェゼルカ。

Veselka Williamsburg
646 Lorimer Street, Brooklyn, NY 11211
☎+1-212-228-9682
https://veselka.com/

*1ドル=146円(2024年9月時点)

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