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【日本料理の新潮流】外国人シェフはなぜ「野田」とコラボしたいのか?

東京・原宿「野田」

2025.05.29

【日本料理の新潮流】外国人シェフはなぜ「野田」とコラボしたいのか?

text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda

野田雄紀さんが、東京・神宮前で13年間営んできた「kiki harajuku」を「野田」に改名し、内装を一新して再スタートを切ったのは、2023年10月。2020年の1年間、日本料理の名店「重よし」で学んだ経験を踏まえてのことだった。修業期間を含めれば20年以上携わったフランス料理から日本料理へ転じた背景には何があるのか? 話を聞いていくと、そこには野田さんの意識変化のみならず、世界のガストロノミーの潮流を読み取ることができる。

目次







野田雄紀(のだ・ゆうき)
1983年、静岡県生まれ。飲食業の家に生まれ育つ。焼津市のレストラン「ボン・コラージュ」で約3年の修業の後、2004年渡仏。小さなビストロから星付きレストランまで、研鑽を積む。2009年から東京・神楽坂「ルグドゥノム・ブション・リヨネ」でスーシェフを務める。2011年、東京・原宿に「kiki harajuku」をオープン。2023年10月、日本料理「野田」として新装開店。


脳裏に焼き付く味の背景を訪ねる

2024年12月、野田さんは沖縄で食べたチーイリチャー(豚の血炒め煮)に深く心打たれた。そのプリミティブな味わいには、風土によって形作られたまま余計な手を加えられずに伝えられてきた力強さが生きていた。
感動が引き金となって、野田さんは2月と3月、立て続けに沖縄へ足を運ぶ。2月は日経新聞の同行取材を兼ねてアップルバナナの生産者を訪ね、3月は店のスタッフと一緒に薬草料理の名人に教えを乞い、両月とも琉球料理伝承人・松本嘉代子さんに料理を学んだ。
成果は店の営業に直結。2月は“沖縄の果物”、3月は“沖縄の薬草”をテーマにコースが組まれたのだった。

この探求心はもちろん沖縄以外の土地にも向けられている。

沖縄旅
3月の沖縄旅には、店のスタッフのみならず、仕入れ先の千葉県柏市「吉野ハーブファーム」吉野悟さんも同行。糸満市、南城市、那覇市を訪ねた。薬草料理の名人、大城邦子さんが営む民宿「民宿糸満ガリガリーおおしろ」で記念撮影。photograph by Yuki Noda
沖縄酒場SABANI
12月の旅は、杉並区の沖縄タウンで「沖縄酒場SABANI」を営む野崎洋平さんと。「チーイリチャーは脳裏に焼き付く味だった」と野田さん。photograph by Yuki Noda
4月のメニュー
4月のメニューの随所に沖縄の影響が隠れている。月桃、アーサ、フーチバーなどの他に、文字には書かれていないが沖縄由来のハーブ使いが潜む。
鼈フーチバージューシー
「鼈フーチバージューシー」。鰹だし、豚だし、すっぽんだし、3種のだしを合わせて、米から炊き上げたヨモギ雑炊。旬のコゴミをのせて。

ここでしか食べられない料理を追い求めて

野田さんはフレンチ修業時代、一貫して正統的でクラシックなフランス料理店で働いた。静岡のフランス料理店を経て渡仏、1872年創業のパリの老舗「GOUMARD グマール」やフランス屈指の名店「TAILLEVENT タイユヴァン」などで経験を積み、帰国後は、ル・コルドン・ブルーの教師を務めたクリストフ・ポコシェフの「ルグドゥノム・ブション・リヨネ」でスーシェフを担う。

2011年に独立開業した「kiki harajuku」は一転して「思い付いたことは何でも挑戦する実験的な場だった」と語る。ワインとタパス、アラカルトのビストロ、夜のみのコース営業、フルーツを使った料理・・・スタイルを変えることを厭わず、ここでしか食べられない料理、ここでしかできない体験を追い求めた。10年目を迎えるタイミングで、今後を考えるためにフランスを訪れた時、「このままフランスを追いかけていても意味がないのではないか?」との思いにかられたのが転機となる。日本人である自分、東京・原宿という場所、そこで作る料理はフランス料理であるべきなのか? 徹底的に自問した。

2020年の1年間、野田さんは店が休みの日に神宮前「重よし」の厨房に入らせてもらい、佐藤憲三氏のもとで日本料理の技術を学ぶ。そうして、2023年10月、店名を「野田」に改め、現代の解釈で作る日本料理の店として再出発したのだった。
和、洋、中、エスニック、いろんな国の料理を日常的に食べるのが現代の日本だ。野菜もハーブも調味料も、食材の広がりは昔とは比べものにならない。現代の日本の食材で、現代に生きる料理人の感性で、昔から伝えられてきた日本の料理を作ったなら、どんな世界を出現させられるだろう。それが「野田」のコンセプトである。

「内装を変え、調理道具も調味料もすべて見直した。金髪をやめて、日本料理人用の白衣を着た。豊洲に通って食材を仕入れた。まずは形から整えた」

野田さん
「金髪に戻しました(笑)。自分的にはこっちがデフォルト」。仕事着も白衣でなくネイビーに。定型から入ってみたが、次第に自分のスタイルが見えてきた。
13.8坪と小さな空間をフル活用
13.8坪と小さな空間をフル活用する。隅のテーブル席は狭い分、しっぽりとした雰囲気が生まれる。厨房はキッチンカー並みの狭小ハイパフォーマンス設計。

日本料理の新たな潮流として確立させたい

新装1年目は何をやるにもゼロからで、試行錯誤の連続だったが、「段々、道が見えてきた」と言う。
そのひとつが郷土料理だ。沖縄に通うのも琉球料理の探求のため。「郷土料理は調理法も食材の取り合わせも地方色がはっきりとあり、今の自分にとって新鮮に感じます。時に原始的だったり、変わった料理もありますが、何より長年作り続けられてきた説得力がある。だから、面白い」

都市化の波や情報化の渦に飲み込まれて、料理がおしなべて洗練され、画一化された。どこの料理も店も差が少なくなった。世界のレストランランキングが発表されるようになり、グローバル化が進むにつれ、画一化も国境を超えて加速していると野田さんは感じる。

「グローバル化以前の話ですが、日本料理の本を時代を追って見ていくと、1980年代くらいから、地方も次第に京料理が席巻してきて、均質化してくるんですよね」
その点、郷土料理は家庭で代々伝えられる分、原形が残る。「地元で評判の料理上手なお母さんに作ってもらうと、すばらしくおいしい。料理人には及ばない、そこに生きる人の身体に染み込んだ味覚の底力やユニークさに魅了される。ただ、最近は作る人がいなくなって、フェイドアウトの危機にある」という点も、野田さんを郷土料理へと向かわせる一因である。

ガストロノミーのグローバル化によって、世界中から日本の食に熱い視線が注がれ始めた当時、「彼らが知りたいのは、日本料理ではなく、日本の料理だ」と看破したシェフがいた。南北に細長く多様な生態系を持つ国土、面積に比して長い海岸線、森は繁り、海は深く、川は急峻、といった地理地形の上に形成される食の様相に興味があるのだ、と。

野田さんが見つめる先も同じかもしれない。「京料理の洗練とルール化された美しさは図抜けている」と指摘しつつも、今、発想を刺激してくれるのは、自然環境と料理の関係性。だからこそ、郷土料理が面白くて仕方がない。
「原宿には海も山もないが、豊洲に通う中で、東京は北海道から沖縄までの日本全域を産地と捉えることができる。旬の食材と食材を掛け合わせることから生まれる爆発力が、東京で料理する醍醐味であり、ここでやる意味」
日本料理の新たな潮流として確立させたいとの意志は強い。

針魚と独活 発酵乳の酢味噌
「針魚と独活 発酵乳の酢味噌」 日本の春を表現する清々しい一品。塩締めのサヨリとウドに、白タマネギとウルイの千切り、サラダバーネット、花山椒、マツモを添えて。食べ手自身でサラダのように混ぜ合わせて食べる。東京の郷土料理、ウドの酢味噌和えからの発想。
桜海老と車海老とサフランのおから
「桜海老と車海老とサフランのおから」 出身地・静岡のサクラエビ、コンニャク、おからをオリーブ油、ニンニク、サフランで炊き上げ、蒸したクルマエビ、クルマエビのだし(ビスクのイメージ)を泡状にして覆う。母直伝のおからのフレンチ仕立て。
店前の限られたスペースをハーブガーデンとして活用
店前の限られたスペースをハーブガーデンとして活用。長命草など沖縄由来の薬草も仲間入り。野菜とハーブの仕入れ先「吉野ハーブファーム」の吉野さんとは、浜松の苗屋さんに一緒に行って「野田」の栽培計画を共に立てる関係だ。
桜海老と車海老とサフランのおから
「桜海老と車海老とサフランのおから」に使われているナスタチウムの花も店前のハーブガーデンから。

既存の評価軸を超えていくクリエイションを

4月のコースの「蛤 桜花しゃぶしゃぶ」にはドライトマトのだしを使う。「月桃煮穴子」は、穴子を月桃風味に仕立て、酢飯でなくアップルバナナの上にのせる。「和牛めまき 苺風味」は、牛肉を海藻のアラメで巻き、イチゴをアクセントに炊き上げる。
突拍子もない組み合わせに思えるかもしれないが、フルーツを多用するのはkiki時代から。「昔、ブーダン・ノワール(豚の血のソーセージ)にリンゴのソテー、フォワグラにフランボワーズといった組み合わせに衝撃を受けた。あの感覚を大事にしたくて」と野田さん。酸味として、香りとして、甘味として、フルーツを様々に用いることで、合わせる食材の風味は引き立ち、皿全体の香味が拡張し、視覚や味覚を刺激する彩りが増す。料理の表現領域、味覚のフィールドが一気に広がる。

ノンアルコールペアリングのメニュー
攻めの姿勢がハンパないノンアルコールペアリングのメニュー。料理と同レベルの作り込みがなされている。料理と合わせると、口内の情報量はMAXに達する。削ぎ落す引き算の日本料理とは対極。

「野田」には外国人からのコラボレーションのリクエストが頻繁に寄せられる。2024年1月にはベルリンの麴ラボ「mimi ferments」と東京で。9月はベルリンのレストラン「Julius」に招かれてコラボディナーを。50席が瞬く間に予約で埋まって、50人のキャンセル待ちがあったそうだ。11月には西麻布「氣分」のユーゴ・ペレ=ガリックスと。2025年1月には今夏パリでレストラン「Cypsèle」をオープン予定の元「INUA」の料理人マーチン・クロルと。5月にはポルトガル人シェフのディオゴ・ロカと。

ガストロノミー界のグローバル化の象徴がNomaとするなら、Noma以後にキャリアを積んだシェフたちが日本のどんなシェフとコラボしたいかを想像すると、野田さんが選ばれるのはわかる気がする。ヒエラルキーのないフラットな地平に立つ料理人がいい。日本の大地を一緒に掘ってくれる料理人がいい。野田さんのプロフィールとクリエイションは魅力的だ。
店でも、コース終了後、野田さんに「Very creative!」と声を掛ける外国人客がいる。日本人は往々にして自分の評価軸の上にあるものを評価するが、海外では自分の評価軸を超えていくもの、既存の枠組みを超えたものを評価する。

「野田」のスタッフ
抜群のチームワークを誇る「野田」のスタッフ。営業時の連携、野田シェフへのリスペクトに目を見張る。フレンチから日本料理への転換を共に乗り越えたスタッフが半分以上。

『ミシュランガイド東京2025』で「野田」はNEWセレクションとして掲載された。ジャンルは「現代風料理」。「日本料理」の意識で「野田」を営む野田さんはやや釈然としない面持ちではある。
「韓国の三ツ星mingles(ミングルス)はイノベーティブな韓国料理を提供していますが、ジャンルはKoreanに設定されています。なぜ、日本では新しい表現を試みると現代風料理になるのか?」

客観的にも「現代風料理」という捉え方は表面的で大雑把に感じる。日本料理の枠からはみ出しているように見える「野田」の料理を日本料理と捉えることによってこそ日本料理は前進するのではないのか、と思うからだ。

余談ではあるが、minglesのシェフが「CREA WEB」(2023.4.9)のインビューで次のように語っていた。「昨年日本に行ったときに、あえて韓国料理を食べ歩いてみて驚きました。人気の韓国料理が全部ある。でも、それは何十年もまったく変わっていないものだったから。既存の韓国料理が新しい感性やテクニックによってどんなに進化しているか、もっと知ってほしいと思いました」
このコメントが指し示すのは日本の韓国料理に限った話ではないだろう。良くも悪くもこれが日本の精神風土なのかもしれない。


野田
東京都渋谷区神宮前6-9-9 アヴニール表参道 1F
☎070-3882-3150
19:00一斉スタート、日曜・祝日のみランチあり12:30一斉スタート
水曜休
https://nodaharajuku.tumblr.com/

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