関根 拓(せきね・たく)料理人
2017.03.03
2016年の「ダイナースクラブ フランス レストランウィーク」では、アラン・デュカスをはじめとする日仏5名のグランシェフから16名の若手が“disciple(継承者)”として推薦され、料理を披露した。
その一人が「Dersou」の関根拓である。
今、パリで最も注目を集めるシェフの一人と言っていい。
つい先日もフランスを代表するメディア『L’EXPRESS STYLES』の「フランスのレストランを熱くする外国人たち」という記事で取り上げられたばかりだ。
その一人が「Dersou」の関根拓である。
今、パリで最も注目を集めるシェフの一人と言っていい。
つい先日もフランスを代表するメディア『L’EXPRESS STYLES』の「フランスのレストランを熱くする外国人たち」という記事で取り上げられたばかりだ。
text by Sawako Kimijima photographs by Shiro Muramatsu
『料理通信』2017年1月号掲載
『料理通信』2017年1月号掲載
好きで好きでたまらない
とにかくのめり込む性格である。勉強もスポーツも音楽もだ。面白いと思ったら、とことんやらなきゃ気が済まない。
「中学生の時、将来は総理大臣になろうと思ったんです。そのためにはそれなりの学校に行ったほうがいい。で、勉強にのめり込んだ。朝5時に起きて、たった15分の通学時間すらもったいなくて、あぁ、このまま家で勉強していたいって思うくらい」
極端なのである。語学が好きで、高校時代にドイツ語を、大学時代にはイタリア語を習得した。大学の学部は政経だったが、単位に関係なく学んだ。現地で磨きをかけようと、シエナに2ヵ月の短期留学をした先が語学料理学校だったことから、今度は食の世界にのめり込んだ。帰国後、関根は決めた、「料理人になる!」と。
次のステップが関根らしい。料理で生きていくなら、英語とフランス語ができたほうがいいと、今度はモントリオールへ飛んだのだ。「モントリオールは人口の7割が英語と仏語の両方を話すんです。同時に身につけるのにぴったりの街だなと思って」。そうして1年弱を英語とフランス語に充てた。料理人になるべくまず進んだのが語学学校という判断の正しさは、やがて証明されることになる。
語学が料理の扉を開けた
修業先選びもユニークだ。働かせてほしいと扉を叩く店を決めるため、5万円の予算で15軒のレストランのランチを食べて回った。「コネもない、調理師学校も出ていない自分にとれる手段でした」。
目星を付けて扉を叩いては断られる中、拾ってくれたのが東京・代々木上原(現・神山町)の「プティバトー」だった。しかし、半年でクビになる。「いえ、意味あるクビです。シェフが『ここにいてもダメだ』と調理師学校へ送り込んでくれたんです」。プティバトーのシェフ、笹川幸治が当時を振り返って語る。「料理が好きなのは痛いほどわかった。努力もしている。でも、すべてが点のまま。線になっていない。学校で点を線にしてから現場に入り直したほうがいいと思った」。
調理師学校で1年弱を過ごし、卒業する頃、アラン・デュカスのレストランが東京でオープンするとの情報を聞いて、関根は面接を受けた。「初代シェフのダヴィッド・ブランが相手でした。彼、『なんで、そんなにフランス語ができるんだ?』って。料理のキャリアはゼロだけどフランス語ができるから、と採用されました」。
さしずめ大学のAO入試だ。語学マニアがここで生きた。スタッフの1/3が外国人という厨房で、関根は可愛がられ、目をかけられる。「お陰で7~8年かかるところを3年で勉強した感じでした」。
高いレベルと広いフィールド
ある時、休憩時間に銀座の中国料理店で刀削麺を食べた。「わくわくしました、この刀削麺、旨いなって。でも、ベージュの厨房に入ると、無関係なんですよね」。この感覚が、関根のひとつの拠り所となる。
3年半ほど働いたところで、パリの「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」へ。F1チームに喩えられるだけあって、毎日がプロスポーツ競技に匹敵する過酷さだった。「どうしたらこんな火入れができるんだってほどの料理人がいる。できる人間はどんどん上へ上がっていく。超ハイレベルでシビアな実力主義の世界でした」。
技術、体力、精神力、すべてが鍛えられたが、その一方で、別の感覚もあったという。それは、「いい店で働くと狭くなる」。
食べること、料理することが好きで好きでたまらない関根にとって、フランス料理も刀削麺も同じフィールドの上にある。「おいしい」という感覚はひとつで、食の地平は果てしなく広がっている……はずなのに、高級店になるほど世界が狭く感じられるのはなぜなんだろう?
「中学生の時、将来は総理大臣になろうと思ったんです。そのためにはそれなりの学校に行ったほうがいい。で、勉強にのめり込んだ。朝5時に起きて、たった15分の通学時間すらもったいなくて、あぁ、このまま家で勉強していたいって思うくらい」
極端なのである。語学が好きで、高校時代にドイツ語を、大学時代にはイタリア語を習得した。大学の学部は政経だったが、単位に関係なく学んだ。現地で磨きをかけようと、シエナに2ヵ月の短期留学をした先が語学料理学校だったことから、今度は食の世界にのめり込んだ。帰国後、関根は決めた、「料理人になる!」と。
次のステップが関根らしい。料理で生きていくなら、英語とフランス語ができたほうがいいと、今度はモントリオールへ飛んだのだ。「モントリオールは人口の7割が英語と仏語の両方を話すんです。同時に身につけるのにぴったりの街だなと思って」。そうして1年弱を英語とフランス語に充てた。料理人になるべくまず進んだのが語学学校という判断の正しさは、やがて証明されることになる。
語学が料理の扉を開けた
修業先選びもユニークだ。働かせてほしいと扉を叩く店を決めるため、5万円の予算で15軒のレストランのランチを食べて回った。「コネもない、調理師学校も出ていない自分にとれる手段でした」。
目星を付けて扉を叩いては断られる中、拾ってくれたのが東京・代々木上原(現・神山町)の「プティバトー」だった。しかし、半年でクビになる。「いえ、意味あるクビです。シェフが『ここにいてもダメだ』と調理師学校へ送り込んでくれたんです」。プティバトーのシェフ、笹川幸治が当時を振り返って語る。「料理が好きなのは痛いほどわかった。努力もしている。でも、すべてが点のまま。線になっていない。学校で点を線にしてから現場に入り直したほうがいいと思った」。
調理師学校で1年弱を過ごし、卒業する頃、アラン・デュカスのレストランが東京でオープンするとの情報を聞いて、関根は面接を受けた。「初代シェフのダヴィッド・ブランが相手でした。彼、『なんで、そんなにフランス語ができるんだ?』って。料理のキャリアはゼロだけどフランス語ができるから、と採用されました」。
さしずめ大学のAO入試だ。語学マニアがここで生きた。スタッフの1/3が外国人という厨房で、関根は可愛がられ、目をかけられる。「お陰で7~8年かかるところを3年で勉強した感じでした」。
高いレベルと広いフィールド
ある時、休憩時間に銀座の中国料理店で刀削麺を食べた。「わくわくしました、この刀削麺、旨いなって。でも、ベージュの厨房に入ると、無関係なんですよね」。この感覚が、関根のひとつの拠り所となる。
3年半ほど働いたところで、パリの「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」へ。F1チームに喩えられるだけあって、毎日がプロスポーツ競技に匹敵する過酷さだった。「どうしたらこんな火入れができるんだってほどの料理人がいる。できる人間はどんどん上へ上がっていく。超ハイレベルでシビアな実力主義の世界でした」。
技術、体力、精神力、すべてが鍛えられたが、その一方で、別の感覚もあったという。それは、「いい店で働くと狭くなる」。
食べること、料理することが好きで好きでたまらない関根にとって、フランス料理も刀削麺も同じフィールドの上にある。「おいしい」という感覚はひとつで、食の地平は果てしなく広がっている……はずなのに、高級店になるほど世界が狭く感じられるのはなぜなんだろう?
編集する料理
2014年、関根はパリに「デルス」を開く。フランス料理も刀削麺も同じフィールドの上にある店だ。セビーチェ、ポーユイ、鳩のローストがひとつのコースに組み込まれ、週末のランチにはカレーや天丼が供される。「自分のおいしいを編集した料理。DJ的な仕事と言えるかもしれません」。
今年、関根は、ロシア、ウズベキスタン、メキシコ、アメリカを訪れた。もちろん日本も。「自分の知らないコンテクストを持つ国が興味深くて、わくわくする」。どこの国でも人は食べる。人は食べて生きていく。「食を見ていると、いろんなことが見えてくる。食はすべてにつながっている」とつくづく思う。そのインプットを料理に変換して、デルスでアウトプットするのだ。
昔、関根をクビにした笹川は言う、「彼は食のすべてが好き。あのポジティブさは誰にも真似できない。そんな彼が今作る料理は、フランス料理と言っていいかどうかわからないけれど、他の誰にもできない料理です」。
『料理通信』2017年1月号掲載 「クリエイション魂 EATING WITH CREATIVITY」より
関根拓さん連載「食を旅する」はコチラからどうぞ!
2014年、関根はパリに「デルス」を開く。フランス料理も刀削麺も同じフィールドの上にある店だ。セビーチェ、ポーユイ、鳩のローストがひとつのコースに組み込まれ、週末のランチにはカレーや天丼が供される。「自分のおいしいを編集した料理。DJ的な仕事と言えるかもしれません」。
今年、関根は、ロシア、ウズベキスタン、メキシコ、アメリカを訪れた。もちろん日本も。「自分の知らないコンテクストを持つ国が興味深くて、わくわくする」。どこの国でも人は食べる。人は食べて生きていく。「食を見ていると、いろんなことが見えてくる。食はすべてにつながっている」とつくづく思う。そのインプットを料理に変換して、デルスでアウトプットするのだ。
昔、関根をクビにした笹川は言う、「彼は食のすべてが好き。あのポジティブさは誰にも真似できない。そんな彼が今作る料理は、フランス料理と言っていいかどうかわからないけれど、他の誰にもできない料理です」。
『料理通信』2017年1月号掲載 「クリエイション魂 EATING WITH CREATIVITY」より
関根拓さん連載「食を旅する」はコチラからどうぞ!