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PEOPLE / クリエイター・インタビュー

山田健(やまだ・たけし) サントリー エコ戦略部 チーフスペシャリスト

2017.02.02

text by Kyoko Kita
photograph by Hiroaki Ishii
『料理通信』2012年12月号掲載

写真で手にしているのは、この10年、向き合い続けている森に生えたタマゴ茸。
コピーライターとしてスタートし、ワインカタログの編集を経て、今は森と向き合う日々である。会社員でありながら、その仕事は会社の枠を超えて壮大。
成果が見えるのは彼が死んだ後という、先の長い話だ。

森に生きている

肩書きはサントリー「エコ戦略部 チーフスペシャリスト」。その仕事を端的に表わすとしたら、〝森林クリエイター〞だ。森をつくる。「そんな傲慢なこと言うと、森からしっぺ返しをくらいますよ」。ならば作品は、森自体ではなく、「水を守るため、森を守る」という価値観と言ってはどうだろうか。

2000年、それは「サントリー天然水の森」プロジェクトとして産み落とされた。
大学卒業後、コピーライターとしてサントリーに入社。様々な商品の開発から携わるうちに、同社が地下水に強く依存した会社であることに気づく。工場で汲み上げる以上の水を、水源となる森が涵養していなければ、持続的な生産活動はできなくなる。水は、まさに生命線だ。そこで水文学研究者の力を借りて水源涵養エリアを特定し、その森を「天然水の森」と名付けて、調査、整備する活動を立ち上げた。「社会貢献ではなく、あくまで基幹事業です」。対象となる森は現在、7600haにまで広がっている。

森のオタクになる

森は複雑だ。地形、地質、土壌、水、気候、木や草花、微生物、昆虫、鳥や動物……、様々な事象が互いに影響し合って、ひとつの森を形成している。「森を相手にするには、各分野に関する幅広い知識が必要です。そこで我々は約50名の研究者と協力し合い、その森を知ることから始めます。そこでの研究結果や彼らの知識、ノウハウを繋ぎ合わせ、具体的な施業方針を決めていきます」。
大切なのは、「繋ぐ」こと。水文学だけ、植生だけ知っていてもわからない、複数の異なる分野を繋げて考えることで初めて見えてくる森の姿があるという。
とはいえ、山田さんの知識は、広く浅く、ではない。山に入る時は分厚い図鑑を数冊背負って歩き、植生、森林、木材利用や流通、地下水関連の本も片っ端から読み漁った。次第に、土壌の研究者には土壌が専門、植生の研究者には植生が専門と勘違いされるまでになる。「要はオタクなんですよ」。
コピーライター時代、サントリーが扱うワインのカタログを編集していたことがある。アイテムは2千種以上。そのすべての生産者のもとに20年かけて足を運んで取材し、畑の違いまで判別できる味覚と知識を身に付けたというから、何事にものめり込む気質らしい。
「ワインを飲んで、ブドウの育った土壌をイメージする。その感覚は山でも大切です。たとえばアカマツは、枝が上に伸びている時は根も下に伸びている。枝が横に伸び始めると、根が岩盤にぶつかった可能性がある。木を観察すると、地下の様子が想像できます」

100年後の森の姿を思い描く

都会に暮らしていると、森はそれだけでどこかありがたい存在だ。そこに〝豊かな自然〞を見て、癒されたり安らいだりする。しかし、実際のところ、日本の森のほとんどは〝人の手が加わった自然〞である。薪や炭など森の資源を活用していた頃は、それによって図らずも森の新陳代謝が行われ、健全な状態が保たれていた。だが、人の暮らしが森から離れた今、手入れが行き届かなくなった森は、実に様々な問題を抱えている。間伐を怠ったために木が密集した人工林では、林の中に光が入らず、下草は枯れてしまう。すると土壌は水を蓄える力を失うため、雨は浸み込むことなく斜面を流れ、土砂崩れや河川の増水を招く。また放置された竹林は、猛烈な勢いで成長し、他の木や植物から光を奪いながら森を侵略する。他にも、増え続ける鹿の害、ブナ科の巨木を好む虫によるナラ枯れの蔓延、外来の線虫が引き起こす松枯れの拡大……。「森を単純化したツケが回ってきたんです」。その一つひとつに対策を打っていく。 整備の先に目指すのは、人の手助けが最小限ですむ森、土地の個性を生かした、自然の営みを最大限に生かした森だ。「本来、地形や地質、気候によって、相性の良い木や植物も違います。それぞれの森の個性を取り戻してあげたい。100年後の理想の森の姿を思い描きながら、5年ごとに計画を立てて実行しています」。
プロジェクトの立ち上げから12年、「まだ緒についたばかり」と言う。調査は順調、プランも立つ。しかし、実際に整備できる人材が足りない。「まずは人を育てないと」。天然水の森を舞台に人材育成が進めば、地域の林業も活性化され、周辺の森も整備される。結果、山全体の涵養力が高まるのは明らかだ。「人を育てることほど効率的な投資はありません」。 森の仕事に終わりはない。「ここまで」と決められた範囲もない。森を知れば知るほど、多岐にわたる課題が見えてくる。
名刺を手に、冗談めかして山田さんは言った。
「スペシャリストというのはね、虫の世界では、アゲハチョウの幼虫みたいに決まったものしか食べない虫を言うんですよ。僕は、本当はゼネラリスト。何でも食べますから」。

山田健(やまだ・たけし)
1955年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業、同年、サントリー宣伝部にコピーライターとして入社。ワイン、ウイスキー、音楽、環境などの広告コピーを制作。現在は、同社エコ戦略部 チーフスペシャリストとして「天然水の森」活動を推進している。著書に、環境小説『遺言状のオイシイ罠』(ハルキ文庫)、『ゴチソウ山』(角川春樹事務所)、ワインエッセー『今日からちょっとワイン通』(ちくま文庫)などがある。

本記事は、「EATING WITH CREATIVITY」をキャッチフレーズとする雑誌『料理通信』において、各界の第一線で活躍するクリエイターを取材した連載「クリエイター・インタビュー」からご紹介しています。テーマは「トップクリエイションには共通するものがある」。

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