食材調達が切り札となる時代の立役者。
「マンダリン オリエンタル 東京」 谷山水緒
2023.02.16
text by Sawako Kimijima / photographs by Ayumi Okubo
日本で2度目となるnomaのポップアップレストランがまもなく京都でスタートするが、前回の2015年1~2月「マンダリン オリエンタル 東京」における開催時、食材調達に奔走した一人が谷山水緒さんだ。nomaのポップアップと言えば、開催地の歴史、自然環境、生活文化、一次産業などを掘り起こして独自の解釈による料理として提示することで知られる。前回は蟻が登場するなど、日本人にとって未知の日本を映し出して話題になった。ガストロノミーが自然環境との関わりを加速させる昨今、食材の比重は高まり、食材調達者の役割は重みを増す。そんな谷山さんの仕事を追った。
谷山水緒(たにやま・みお)
1968年、東京都生まれ、茨城育ち。茨城県の短大卒業後、東京YMCA国際ホテル専門学校で学ぶ。90年、開業準備中の「ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル」に入社。91年の開業と同時に広報部に配属される。92年からは購買部へ異動、以来、購買一筋。「パンパシフィックホテル横浜(現・横浜ベイホテル東急)」「ストリングスホテル東京インターコンチネンタル」「東京うりずん」などを経て、2008年「マンダリン オリエンタル 東京」へ。18~20年春まで「noma」のDNAを受け継ぐレストラン「INUA」で食材調達に携わる。同店の休業に伴い、「マンダリン オリエンタル 東京」の購買に戻り、活躍中。
日本の食材の常識が覆された
谷山水緒さんは、INUAに在籍した2年間を除く約30年のホテル人生の9割9分を購買担当として過ごしてきた。
「ホテルで働きたくて入社しても、購買を希望する人はまずいないでしょうね(笑)」と前置きしながら、「私は購買のすべてが好き」と明言する。
ホテルにおける「購買」とは、読んで字のごとく、物品を購入する業務である。食材・飲料材・消耗品・備品、ホテルの運営に必要なありとあらゆるものを買う仕事だ。現在の谷山さんは、新規取引先や新商品のリサーチと開拓、料飲部門と共に新規オリジナルアイテムの開発、マンダリン オリエンタル ホテルグループが掲げるサステナビリティ目標のひとつ「責任ある調達」を満たすためのリサーチや商品の手配などを手掛けている。
「ホテルが購入する商品は多品種小ロットで取引先の業種も多岐にわたる。様々なスペシャリストの仕事を見聞きできて、常に社会科見学をしているような感覚があります」
「日本全国の天気、特に台風情報が気になる」のは、生産者たちが手塩にかけた食材の生育状況や出荷のタイミングが影響を受けるからだ。生産者とのやりとりはまさに購買の醍醐味だが、その中身は変化してきた。
「nomaのポップアップがひとつの転機だったことは間違いないように思います」
ひと口に食材の調達と言っても、nomaの場合、尋常ではない。その土地にはどんな動植物が生息しているのか、植生や生態系を知るところからアプローチする。「マンダリン オリエンタル 東京」での開催時も、1年以上前からリサーチを開始して、北海道から石垣島まで足を運び、白神山地や信州の山奥まで彼らは踏み込んでいた。
「料理においては食材の調達が入口。彼らの望む食材を用意できなくてポップアップが目指すクオリティに達しなかったとは絶対に言われたくなかった。持てる“ご縁”のすべてを総動員しないと成し得ないプロジェクトでした」
求められる食材には、流通していないものも多かった。「Sorrelを数十kg用意できるか?」「肉桂の木のひげ根が欲しい」……食材としてポピュラーでない生物の名も挙がる。図鑑からスタートするケースもしばしばだった。
「『Sorrelって何?』といった具合です。どうやら日本では『スイバ』と呼ばれる野草らしい。聞いたことないし、扱ったこともない。さぁ、どうしようか、と」
野草だとすれば、田舎では案外食べられているんじゃないか? 日本酒好きで旅好きな谷山さんが各地へ足を運ぶ中で培われた縁を頼りに探索の手を伸ばした。藁をもすがる思いの谷山さんの期待に応えて様々な食材の供給源となったのが高知県と沖縄県だったという。
「高知市で地産地消のレストランを営む山本巧さんに相談したところ、『スイバですか、雑草ですよね、道端に生えてますよ』から始まって『農家の敷地の土手に生えていました』と周囲にも探索の輪を広げてくれたんですね」
最近ではレストランの皿を飾るスイバだが、当時はまだ知る人ぞ知る野草。高知に生えているというそのスイバはnomaが求めるSorrelで間違いないのか? 谷山さんはnomaの食材担当者を高知まで連れて行って確認する。無事OKをもらってほっとしたのも束の間、「雑草だから、開催時期の冬に生えているかどうか?」との懸念が。するとまた別の群生場所を紹介する人が現れ・・・といった具合に、解決しては浮上する難問を“ご縁”でクリアしていった。
「ホテル側も、私が食材調達に専念できるよう、購買の他の業務から外すなど全面的にバックアップしてくれました」
谷山さんは、リサーチがある程度進んだ頃にnomaを率いるレネ・レゼピ本人から言われた言葉が忘れられない。
「ダーティ・ベジタブルが欲しいんだ。日本の野菜は美しすぎる」
日本の野菜は完璧なまでに色も形も整っている。いびつだったり、少しでも傷があれば、売り物にならないのが日本の常識。しかし、レネは「美しすぎて、味がない」と指摘した。
「高知の柑橘農家さんを訪ねると『ほら、甘くておいしいよ』と差し出してくれる。nomaの食材担当者はいつも『酸っぱいのはないの?』と聞き返していましたね」
食材に何を求めるのか。そもそも何が食材になるのか。レネの言葉は彼女の仕事の根幹に楔を打ち込んだ。
規格外や不揃いに価値を見出す
ポップアップ開催から3年後の2018年6月、nomaのDNAを受け継ぐレストラン「INUA」が東京・飯田橋にオープン。谷山さんは食材調達担当としてマンダリン オリエンタル 東京から移る。
ガストロノミーにおける食材の位置付けが以前にもまして重要性を増した時期でもある。サステナビリティ優先の社会では、生産者は自然環境と人間社会の結束点的な存在だ。どんな生産者と連携するか、どんな食材を選択するかは、レストランやシェフのフィロソフィを映し出す。調達や発掘を担う役割は、料理のクオリティを支えるのみならず、社会の向かう先を左右すると言って過言ではない。
INUAは1軒のレストランでありながら、食材調達専門部署があって、3人が常駐。と聞けば、いかに食材調達に比重を置いたかがわかる。
「nomaのポップアップが日本の料理人や生産現場に与えた影響は大きかった。でもまだ“池に石が投げられた”段階でした。INUAで生産者さんと継続的に関わっていく中で、波紋が広がり、潮流になっていくのを感じました」
生産者をフィーチャーする記事が増えた。生産者自身によるSNS発信が浸透した。以前は人づてに手繰り寄せるしかなかった生産者とネット上で出会えるようになり、関係を築くこともできる。生産者とレストランの関係が深まるにつれ、規格外品を扱う料理人が増えた。不揃いの野菜や果物に商品価値が出てきた。野山に入って野草を採集する料理人が注目を集めるようになった。nomaの置きみやげのように価値観の多様化、価値の発掘が進んだ。
「生産者さんも『甘くておいしい』だけではない価値観を持つようになった。柑橘農家さんは『どれくらい酸っぱいのがいいんだい?』と聞いてくれる(笑)」
顕著な変化が野菜やハーブの花だ。昨今、ニンジンの花、ディルの花、ラディッシュの花が料理に使われる。
「『野菜やハーブの花を送ってほしい』と農家に頼むと、『そんな薹が立ったもの、売り物にできないよ』と言われたものです。最近は理解が進み、収穫期が終わった後も生やしておいて花を取ってくれるようになりました」
購買はホテルの裏の関所
谷山さんは、購買を「ホテルのロジスティックス」と表現する。
フロント、宿泊、ダイニング、スパ、ショップなど各部署が業務で必要とする品目を横糸とすると、発注-荷受け-検収-納品-在庫管理といった流れが縦糸、その全体を購買が取り仕切る。購買のオフィスが大概ホテルの地下にあるのは、勝手な想像だが、外から運び込まれる品物の検品をする関係上、駐車場のある地下に位置している方が動線的にスムーズだからだ。ドアマンが表玄関なら、購買は裏の関所と言っていい。
「食材の検収作業は、マンダリン オリエンタル ホテルグループの基準に則って行われ、多岐に渡る確認項目ひとつひとつ確認しながら、良い状態で納品された商品を、良い状態のまま、依頼部署へ、彼らが使いたい時間までに渡します。時間との闘いになることもある」
あらゆるセクションと関わるだけでなく、深く関わるのが谷山さんの仕事の流儀。
「物価の高騰には私たちホテルの購買も頭を痛めています。こういう時、どんな戦い方をすべきか、考えるんです。安価な品に切り替える、量を減らす、仕入先と価格交渉する・・・、いや、それよりも部署によってABC3種類使い分けられているところをAに統一して経済ロットを最適化しよう、といった具合に」
Aに統一して支障が出ないかを見極めるには、現場の仕事を細部まで把握する必要がある。
「スタッフを質問攻めにすることもあります。購買は、言われた通りのものを買い揃えればいいわけではない。ホテル全体にとってよりベストな提案をしたいんですね」
「ピッツァバー on 38th」で腕を振るうダニエレ・カーソンシェフは、谷山さんを「知的で、センス・オブ・クオリティに優れている」と評する。「このホテル全体で12カ所の料飲施設がありますが、ジャンルも価格帯も幅広くて各々異なる要求に応えるだけでなく新しい提案をしてくれる」
谷山さんが大事にするのは、生産者自身を知ることだ。
「その人を知りたい。どんな生き方なのか、どんな考え方なのか。それは畑にお邪魔した時、如実にわかる」
だから、なるべく生産者を訪ねたい。できればシェフを同行して、シェフにも生産者の人となりを感じてほしい。ダニエレシェフとは都内や千葉などの近場だけでなく、長野県高山村の生ハム生産者、遠方では宮崎県椎葉村のチョウザメ生産者を共に訪ねた。
「生き方に惚れ込んで、その食材を仕入れたいと思っても、おいそれと『仕入れたい』とは言えない。精魂込めて作っていると知れば知るほど、『欲しい』と言えなくて・・・」。生産現場をあまた見てきたからこそだろう。メールや電話でのやりとりを重ねて、距離を縮めながら、機が熟したところで「譲ってください」と申し出る。シェフの同行は思いを伝える援護射撃でもあるに違いない。
皿にのせた食材が社会にメッセージを発する
日々シェフたちのために業務を遂行する谷山さんだが、眼差しはシェフたちのその先へも向けられる。
たとえば、野菜やハーブの花。実際のところ、シェフたちがどんな考えで使っているのかはわからない。新しさ、味、ビジュアル、季節感、様々だろう。それらを踏まえた上で、谷山さんはそれらに別の意味も見出す。種の問題である。
「野菜やハーブの花には種採りの意味も潜むと思うのです」
収穫期が終わっても刈り取らずに花を咲かせて種を採るのが自家採種のやり方だ。F1全盛の現代ではあまり見られない風景となったが、在来種を尊重する気運が起こり、種採りを試みる若い農家が登場してきた。そんな社会情勢と重ね合わせると、花には「種を継いでいこうよ」というメッセージが読み取れる。谷山さんは食材が発するメッセージを心強く思う。
「声高に語らずとも、皿にのせることが主張になるんですね」
谷山さんは、料理人の仕事を介して密かに社会へメッセ―ジを送り続けているのかもしれない。
◎マンダリン オリエンタル 東京
東京都中央区日本橋室町2-1−1
https://www.mandarinoriental.com/ja/tokyo/nihonbashi
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