79歳の蕎麦職人。「今も毎日、少しでも良いものを出そうと思ってる」
生涯現役|「藪蕎麦 宮本」宮本晨一郎
2023.02.06
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢化社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
(2021年2月に掲出した記事の再掲載です)
宮本晨一郎(みやもと・しんいちろう)
御歳79歳 1941年(昭和16年)1月21日生まれ
「藪蕎麦 宮本」
静岡生まれ。15歳で静岡の蕎麦屋で働き始め、19歳で上京。「池之端藪蕎麦」に、住み込みで9年働く。「池之端藪蕎麦」の浜松店出店のタイミングで、店長として静岡に戻った後に独立。島田駅前での1店目を経て、40年前に現在の地で「藪蕎麦 宮本」を開店。妻の節子さん、長女のひろみさん、次女の晶代さんと4人で店を切り盛りする。好物は、焼き肉、鰻、中華。
(写真)宮本晨一郎さんの1日は、殻付きのそばの実を石臼で挽くところから始まる。現在も仕込みから調理、掃除に至るまで自分で行う。「褒め言葉は信用しないのに、褒めてもらえないと寂しいみたい」(娘談)とか。
まずいものは絶対に出したくないし、最後の一滴までおいしい蕎麦を出したい
うちは、11時半から2時の2時間半営業。年々短くなってるんだけど、これは今の自分の集中力が保てる時間なの。儲けようと思ったらもっと長く開けたらいいんだけど、下手なものを出すぐらいなら店を辞める。そう決めてるから、年齢とともに営業時間が短くなるのは仕方がないね。
蕎麦は、香りが命。そして、のびないうちに食べてもらいたいから、うちの蕎麦の量は町の蕎麦屋の3分の1ほど。大盛りはなく、お代わりで注文してもらう方針です。蕎麦を出した時、客がトイレで席を外していたりすると、もう一度出し直す。まずいものは絶対に出したくないし、最後の一滴までおいしい蕎麦を出したいからね。
冷たい蕎麦用の辛汁は、本枯節のだし汁に返しを合わせたもの。温かい蕎麦用の甘汁は、旨味の強い鯖節のだしがベース。香りの良い蕎麦は出せても、その蕎麦に合う汁を出せてない店が多いんだよねえ。本当に満足できる蕎麦を出すには、香り高い蕎麦に合う汁を探求して、ベストのバランスで出せるかどうかが大事なんだよ。
蕎麦の世界に入ったのは15歳の時。たまたま新聞広告で、静岡の蕎麦屋の求人を見たのがきっかけ。3年働いて、嫌になって辞めると言った時、「せっかく手に職つけたんだから頑張れ」と、店の主人が「池之端藪蕎麦」に連れて行ってくれた。それから9年間、住み込みで一生懸命働いた。上野不忍池のほとりで、毎日のように芸子や役者が来たり、夜まで賑やかで楽しかったねえ。今でも修業時代に戻りたいと思うことがあるぐらい。池之端の主人もよくしてくれて、蕎麦に天ぷらに、土台を叩き込んでくれた。今でも思い出すんだけど、池之端の主人はよくステーキを食べていてね。「自分も店を持たないと、こうはなれない。いつかこうならないと」と思ってたなぁ。
江戸前の蕎麦を地方で出そうと決めて、「宮本」を開いて40年。「値段が高すぎる」「量が少ない」と、地元を含め地方の人から散々言われてきたけど、この姿勢を押し通してきた。何がそうさせたかって? 反骨精神に尽きるね。人に何を言われても、めげない。それを貫けたのは、精一杯努力してきたし、旨いものを出してるという自負があったから。今も毎日、少しでも良いものを出そうと思ってやってるよ。よそでまずい蕎麦を食べると、より「頑張ろう」という気持ちになる。俺は絶対に手を抜けないから、「こんな味で客に出せるのか」と思うよ。
朝は8時に起床。2階の自宅でコーヒーを飲んで、店に降りて蕎麦を打つ。朝食は10時半頃。朝は食パンと豆乳が定番だね。その後、営業に入って昼ごはんは店が終わってから、軽くつまむぐらい。そのあと、片付けと仕込み作業をして、夕飯は6時頃。一日の食事は夜に重きを置いてるから、夕飯はしっかり食べるよ。テレビを見てゆっくりして、10 時半頃に寝ます。
娘二人も店を手伝ってくれて、幸せなほうなんだろうなと思う。でも娘たちは「父の味はできないから、店はお父さんの代で終わりでいい」と言う。だからつまんないけど、寂しいけど、俺一代で終わるしかない。だからこそ、もっといいものを探求したいね。
毎日続けているもの「蕎麦」
◎藪蕎麦 宮本
静岡県島田市船木253-7
☎0547-38-2533
11:30~14:00LO
月曜休(祝日の場合は営業、火曜休)
JR島田駅より静鉄バス初倉線
「初倉中学水野医院入口」下車徒歩1分
(雑誌『料理通信』2021年1月号掲載)
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