人が作り出すものは所詮、自然には勝てない
ハニーハンター 緒方ポニィさん
2022.05.06
独特な佇まいのある人だ。緒方ポニィさんは、この日、友人のデザイナーがカンボジアに生息する野生カイコのシルクで作ったという美しいストールを身に纏っていた。身に着けるものは全て一点もので、自作したものもある。かつてはアーティストとして活動をしていたポニィさんの今の職業は、ハニーハンター。
一年の約4カ月間、カンボジアの乾季をジャングルで過ごし、そこに住む少数民族の人々と共に野生のハチミツを採取する。
現代養蜂とは異なり、森でのハチミツ採りは、木に登り、樹上にあるハチの巣を煙で燻してハチを外に出し、巣蜜の一部を得る。全てを取り尽くすことなく、蜂たちと共存共栄するのが森のルールだ。ハニーハント中のジャングル生活は過酷だ。少数民族の人々と同じ生活を送り、食事はハチミツと蟻が主食。ハリネズミやトカゲ、時にヘビを食べて命をつなぐ。「ハニーハントの仕事は、技術よりいかに我慢強いかです」。華奢な容姿、繊細な雰囲気とジャングルの苛酷さを重ねるのは、なかなか容易ではない。
アーティストからハニーハンターへ
小さな頃、深海魚や虫、架空動物などの専門図鑑が好きだった。3歳頃から図鑑を真似てはよく絵を描いていた。いつしか画家になることを夢見ていたが、一家は歯科医の家系。絵は趣味としてしか許されなかった。親の希望通り、歯科大学に進んだが、絵への興味を断ち切れず、一年休学して念願だったパリを訪れた。
パリでは、日々、美術館を巡った。ゴッホ、ピカソ、ルーベンス、ダヴィンチなど。憧れてきた西洋絵画の実物に触れ、伝統を学び、肌で感じる中で「自分の中で何かが変わりました」と言う。時に、画集では補正されてわからなかった実物の色や画材の劣化に気づくことも。「同時代の日本の画材、色の耐久性や品質の高さも再認識しました。抱き続けてきた、西洋絵画への憧れが、ここでひと区切りしました」
大学生活に戻っても絵は続けた。やがて縁あって、在学中に銀座のギャラリーで個展を開き、プロの画家への道が開けた。20代前半で、年に二度の個展、画家の仕事に加えてファッションショー、TV、広告関連へと仕事は広がっていった。が、転機が訪れる。2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災。世の危機で仕事は急激に減った。その頃、アジアで農業ビジネスをやっていた親戚が、カンボジアの駐在要員を探していた。「これからはアジアの時代。駐在員は時間もあって絵も描けるよ」の言葉で、カンボジアに移住する決意をした。
当時の体調は、最悪だった。しかし、カンボジアで無農薬の野菜や果物、健全な肉を食すと、みるみる体が回復するのを感じた。そして出合ったのが、森のハチミツだ。それまで、ハチミツは甘いだけで好きな食べ物ではなかった。が、カンボジアの森で採取された野生のハチミツに「なんじゃこりゃ」と既成概念を覆され、野生という圧倒的なパワーに打ちのめされた。「人が作り出すものは、アートも含め、所詮人間のエゴの賜物と思いました。自然には勝てない」
野生との関わりの中で
森で採取した天然のハチミツは、いわば原石だ。樹液、木の花、食虫花の蜜、虫の体液など森の多様性とともに多くの不純物も混じっている。現地の人々は、一部を自家用、残りは市場に売るが、市場のハチミツは加熱殺菌され、薄めたり、混ぜ物をして販売される。
「もっとハチミツ本来の力を生かしたい」とポニィさんは、ハチミツ収集に同行し、採取してすぐに、森の中で一週間ほどかけて何度も濾過を行う。そして、これを携えて森から出ると水分を飛ばして冷蔵庫で低温熟成する。水分が20%程度になると発酵は止まるからだ。すると、アミノ酸とポリフェノール豊富な、ポニィさんの「クメールラビットハニー」が誕生する。
現在、カンボジアの森林も伐採の危機にさらされている。「現地の人達には、森林を切って農地にするより、ハチミツやフルーツなど、ここにしかない森の恵みを持続しながら経済に繋げることを選んで欲しい」。ハチミツで彼らの生活が成り立つよう、ポニィさんは年間の日当を提示し、彼らの生活を守る努力をしている。
小さな頃から絵を志し、想像力を育んできたポニィさんは、人生の中で知らず、知らず、自分の想像を超える刺激や出会いを探してきたのだろう。そして、彼の想像を超えたのは、リアルに存在する野生の森だった。「クメールラビットハニー」は、森の原石を磨いたポニィさんの作品で、やはり彼はアーティストなのだ。
◎ラビット・ラディエンス
info@rabbitradiance.jp
(雑誌『料理通信』2019年10月号掲載)
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