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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

三水亜矢さん(さみず・あや)産直コーディネーター

第2話「結婚後に始まった、“自分探し”」(全5話)

2016.08.01

無給で、ビストロで。

三水さんは、東京の大学を卒業後、やりたい仕事が見つからず、農業を営む山口の実家に戻って1年間を過ごしました。結婚を機に上京し、「手に職をもちたい」「子どもが産まれたときにも続けられる仕事はないか」と考えはじめました。

「結婚してから“自分探し”を始めたんです」。

書店でアルバイトをしてみたら、仕事が楽しくて仕方がない。けれど中途採用枠がない。長女だから実家のことも気になり、「将来、農園にレストランやオーベルジュを作るのはどうかと考え、アルバイトを辞めて料理教室に通い始めました」

一方、家の近所で求人の出ていた製菓材料メーカーに就職。オーベルジュの夢は健在だったので、料理の勉強も続け、無給でいいからと、渋谷のビストロでも働きました。間もなく・・・。






text by Reiko Kakimoto



「レストランに入ってみて、自分ひとりでは満足のいく調理とサービスをこなすのは無理、ということに気づかされた。料理の道を目指すのを辞めました」

広く、短く、という探し方





気になったことは“実践”で試す。トライ&エラーを重ねる。
三水さんの行動力は迅速で、パワフルです。

製菓材料メーカーに勤めて5年。途中で拠点を長野県・松本市に移していた三水さんは、“自分探し”を振り出しに戻すために、会社を辞めます。

次に興味を持ったのは、フラワーアレンジメントの仕事。
草月流の華道にたしなみがあったものの、西洋の生け方にも興味をもち、週に2〜3回のスクール通いを始めます。それも3カ所の違う流派を掛け持ちするという徹底ぶり。

「一つは花屋の男性がしている“実践的”なところ。2つ目は資格重視の“技術系”。3つ目はいわゆるスクール的なところでした。花屋でも半年間働いて」

シミュレーションもしてみました。店舗を構えたら1千万円は必要で、店を持ったら動けない、投資が大きいのにリスクがある・・・。結果、「これは自分の手には余るなと思って、フラワーアレンジメントを仕事にするのを止めました」。

次は、ラッピングアート。
著作も多い長谷良子さんに師事して講師の免状をとり、カルチャーセンターで講師の仕事もしました。だけど、「教室を開いたとしても収益を上げるのは難しいという現実を見られました」。

思いついたら、実験とジャッジ。時間の集中投下。三水さんの進み方は、この2つに尽きます。
「できる限りのことを精一杯やると、見切りをつけられるんです」

洋梨農家との出会い。





松本に暮らし、実家や周囲の生産者の採れたて野菜を詰め合わせにして売れないだろうか、と漠然と考えていた矢先、三水さんの“使命”を明確にさせる、果物農家との出会いがありました。

1995年、きっかけは父からの連絡でした。「洋梨を植えたいのだけれど、長野あたりで栽培している人に話を聞けないだろうか?」。三水さんの興味心が動き、さっそく洋梨農家の“捜索”を開始。

電話帳に目を付け、果樹園、農園と名の付くところに片っ端から電話をかけまくり、県内5軒の栽培農家と連絡をとりました。

そして訪れたひとつが、塩尻市の塩原農園。グランドチャンピオン、バートレッドなど、今まで見たこともない洋梨が直売所の棚に並び、初めて訪問したにも関わらず、たくさんの品種を試食させてくれました。その洋梨はどれも今まで味わったことがない、食感や水分量、風味がそれぞれ違い、あっと驚くおいしさ。




「そのとき、以前お世話になったパティシエさんに紹介したいと思いついたんです。考えたら、私がいま住んでいる長野にはたくさんの果物がある。これはビジネスになる、と」

製菓材料メーカー時代に出会ったパティシエたち。彼らの素材そのものへのこだわりに商機を感じたのでした。1冊のスイーツ本を参考に、東京のパティスリーにダイレクトメールを出したのは、この時です。

攻めと守り。





仕事にするには果樹の世界を知らなすぎると、地元求人誌で見つけたリンゴ農家の手伝いへ。リンゴ農家が暇になる夏は、スイカの産地に働きに行きました。出荷先だったJAとのやり取りをみて、「JAってどんなところかな?」と興味を持てば、スイカの選果場で2カ月、事務の仕事をしてくる。果樹の仕事をする上で“知っておけば役に立つ”ことを、1つずつ経験に落とし込んでいきました。

翌、1996年、会社設立の最後の仕上げのために、会計事務所の扉を叩きます。
事業の相談をしに? いいえ、働くためにです。

「外交面での信頼度があったほうがいいと思い、当初から法人化を考えていました。事業をするなら守りも必要だから、会計事務所に勤めて会計の勉強をしようと思ったのです。面接時には、ゆくゆく事業を興したいという夢を伝えました」

職場に恵まれ、勤めながら会社設立の準備を始めます。ダイレクトメールに返信があったうちの10軒ほどを訪ねるために東京へも向かいました。

会計事務所に勤めた期間は4年間。産直ビジネスを思いついてから5年が経った2000年、ようやく、有限会社グランジャが誕生します。

遠回りだけれど、強固な、ビジネスのスタートでした。




三水亜矢(さみず・あや)
大学卒業後、製菓材料メーカー勤務等を経て、長野県に移住。県内の果樹生産者との出会いがきっかけで、業務用(パティシエ、料理人)に限定した果物の産地直送コーディネートビジネスを立ち上げる。現在は、特徴ある野菜栽培の産地を目指して「プチレギューム」「ベジタブルブーケ」の栽培・販売にも力を入れる。

























































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