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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

チーズを通じて、人と場を‟繋ぐ”。 今野 徹

北海道ナチュラルチーズコンシェルジュ

2023.10.19

チーズを通じて、人と場を〝繋ぐ〟。「チーズのこえ」 今野 徹
text by Reiko Kakimoto / photographs by Daisuke Nakajima

北海道内でナチュラルチーズを作る施設は137施設(2014年取材当時)にのぼる。国際的なコンクールで入賞するなど品質も著しく向上しているのは周知の通りだ。そんな北海道産チーズの専門店「チーズのこえ」が東京・清澄白河にオープンした。店主は北海道庁の職員だった今野徹さん。

組織をまたいだ縦横無尽の展開力

大通りから一本入った、ややわかりにくい場所にありながらも、地元の人や遠方から訪れるお客で盛況だ。約10坪の小さな店には常時50~80種類の道産ナチュラルチーズが並ぶ。年間で扱うチーズの種類は300以上で、都内ではここでしか購入できないものもあるという。

ユニークなのは、今野さんの店作り哲学だ。「チーズ屋を作り、チーズという商品を売るのではなく、生産者と食べ手を繋ぐ“場”を作りたい」と話す。チーズ工房にも当事者意識を持ってもらえたらと、工房からも出資金を募り、立ち上げた。医者の両親を持ち、物心がついた頃には自分も同じ道を辿るものだと考えていた。しかし「親の激務を見るうち、医者にかかる以前にできることはないのか? と考え始めました。病気になる人を減らすには、食を整えることだと思い、食と農を自分の一生の職業にしよう、と心に決めたんです」

大学・大学院と農業について学び、「食を変えるなら、まずは地元の北海道の農業の未来から変えたい」と、北海道庁に農業関連の専門職で入庁。畜産の新規就農の支援などを行う部署に配属となった。

「単に支援だけでは面白くない。チーズを作る現場で勉強させてもらいながら、酒を酌み交わし、彼らがチーズを通してどういう地域や未来を作りたいかなど、いろいろと話をしました。行政としてできることならば、慣習にとらわれずに、例えば他の部署と連携を図ったり、現場からの声で見えてきた制度の改善点を国に上げたりもしました。地方公共団体という立場からの縦横への展開力、突破力は、内外に評価してもらえました」

ゼロ予算事業として、道庁の職員向けに道産ナチュラルチーズの月ごとの斡旋会も始めた。職員は3万人いるので大きなマーケットにもなるし、まず職員自らが体験的に知ることで自信を持って勧められる“宣伝マン”になれる。現在(2016年)も続くこの事業が立ち上がったことで、農業、観光、建設など、様々な部署が垣根を超えて交流し、組織もより活性化が図れたという。チーズ工房との関わり方も「許認可を与えるだけの関係」から、共に未来を見つめる前向きな関係となり、信頼も深まっていった。

そうした活動が評価されたのだろう。農水省への出向が決まり、2年間を過ごす。それまで北海道の様々な農家を積極的に回っていた今野さんは、そのフィールドを全国に広げ、穀物、乳製品、野菜の産地と人を広く深く知り、輪を広げていった。

チーズで作り手や風土を伝える

道産チーズこそが自分の仕事、と思ったことはない、と今野さんは振り返る。「チーズ屋になろうと思っていたのではなく、人繋ぎ、場繋ぎがしたかった。そういう意味では行政の仕事で充実はしていたんです。ただ農水省から道庁に戻るという話が出た時、人との繋がりが充実し、かつ体力のある40代を新たなステージで挑戦したいと思った。本当に何も考えずに辞めたんです」

企業からの誘いも受けながら、自分ができること、やらねばならないことを考え、出した結論は「道産チーズを通じて、畑と食卓を繋ぐ場は僕にしか作れない」。辞表を提出して1カ月経った7月1日のことだった。「土壌や草の種類や特徴、輸入飼料のこと、牛の種類や育て方など・・・、土からチーズまで包括した知識を持ち、そこからTPPや世界の食料事情の話までできるのは自分だけだという思いがありました」。

道産チーズは原価が高く、収支を考えると専門店経営は厳しいものがある。しかし背景を繋ぎ合わせ、もの言わぬ「チーズのこえ」として届ければきっと価値となるという確信が今野さんにはあった。7月にはプレゼン資料を持って道内のチーズ工房をめぐり、出店の出資を呼びかけた。

「実際のところ、退職金と貯金で出店準備金は間に合っていました。でもチーズ工房を巻き込んで一緒にやりたかった」という。ただ、店内には出資者ではない工房のチーズも対等に置かれている。出資の目的は「人繋ぎ」の一形態なのだ。

初年度の売り上げは目標の3年後の数字まで到達し、出資者との信頼がさらに深まった。チーズを通して、作り手の人柄や風土を紹介し、そうしたチーズがひとつでも多くの食卓に置かれたら。その情熱が北海道形の窓の店内から溢れんばかりに、ぎゅっと詰め込まれている。


ありがとう牧場 しあわせチーズ工房の5カ月熟成チーズ「幸(さち)」(上)と、チーズ工房チカプの9カ月熟成チーズ「シマフクロウ」(下)。都内ではここでしか購入できない小規模生産者のチーズも多い。

ありがとう牧場 しあわせチーズ工房の5カ月熟成チーズ「幸(さち)」(上)と、チーズ工房チカプの9カ月熟成チーズ「シマフクロウ」(下)。都内ではここでしか購入できない小規模生産者のチーズも多い。

ハードタイプのチーズは基本的にホールで購入し、店の奥にある熟成庫で保管する。通常のチーズナイフのほか、切り出しに利用する大きなナイフも日常必需品だ。

ハードタイプのチーズは基本的にホールで購入し、店の奥にある熟成庫で保管する。通常のチーズナイフのほか、切り出しに利用する大きなナイフも日常必需品だ。

チーズ工房を訪問する際に携帯するデジカメ、手帖、書類の3点セット。書類や手帳には几帳面な文字がびっしり書かれた付箋の数々。前職の仕事柄からか「手帖、付箋使いには自信あります(笑)」と今野さん。

チーズ工房を訪問する際に携帯するデジカメ、手帖、書類の3点セット。書類や手帳には几帳面な文字がびっしり書かれた付箋の数々。前職の仕事柄からか「手帖、付箋使いには自信あります(笑)」と今野さん。

お店で扱うチーズ工房は、ポストカードにして紹介。長い信頼関係が伝わるような紹介文に心温まる。カードを持ち帰り自由にしたところ、希望者が思いのほか多く、印刷が間に合わないという嬉しいハプニングが起きている。

お店で扱うチーズ工房は、ポストカードにして紹介。長い信頼関係が伝わるような紹介文に心温まる。カードを持ち帰り自由にしたところ、希望者が思いのほか多く、印刷が間に合わないという嬉しいハプニングが起きている。



◎チーズのこえ
東京都 江東区平野1-7-7 第一近藤ビル1F 
☎03-5875-8023
http://food-voice.com/cheese-no-koe

(雑誌『料理通信』2016年7月号掲載)

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