HOME 〉

PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

マタギの暮らしが教えてくれる、生きていく上で大切なこと

マタギ/カメラマン 船橋陽馬

2025.06.09

マタギの暮らしが教えてくれる、生きていく上で大切なこと。マタギ/カメラマン 船橋陽馬

text by Sawako Kimijima / photographs by Yoma Funabashi

「マタギになったカメラマンがいる」と聞いて会いに行った。船橋陽馬さん、44歳。マタギ発祥の地と言われる秋田県北秋田市阿仁(あに)地区の根子(ねっこ)集落に家族5人で暮らす。カメラマンの仕事を続けながら、猟期が始まると猟に繰り出す。「なぜ、マタギに?」「マタギの暮らしとは?」、そんな素朴な疑問に返ってきた答えは、人と山との関わり、人とクマ、人と自然との向き合い方を見つめ直させる言葉に満ちていた。

目次







船橋陽馬(ふなばし・ようま)
1981年、秋田県男鹿市生まれ。高校卒業後、東京、名古屋、ロンドンの花屋で働く。2009年に帰国し、多摩美術大学に入学。在学中よりフォトグラファー・神林環氏に師事。大卒後よりフォトグラファーとして活動。12年秋田に戻り、13年には北秋田市阿仁の根子集落に移住。14年から阿仁猟友会に所属し、フォトグラファーの活動と並行して、猟に参加する。撮影の代表的な事例に『津軽伝承料理』(津軽あかつきの会著・柴田書店刊)があり、近々続編が発売される。


マタギは、職業ではなく生き方であり文化である

船橋陽馬さんが住む根子集落は、秋田内陸縦貫鉄道の笑内(おかしない)が最寄り駅だ。秋田内陸縦貫鉄道とはその名の通り、秋田県の上半分(北部)の中心を縦に貫く路線で、1両もしくは2両編成の列車がうっそうと繁る森の中を渓谷に沿って走る。
路線のちょうど真ん中に位置する笑内駅まで、船橋さんが迎えに来てくれた。車で船橋さんの自宅まで向かう途中に一車線のトンネルがあって、そこを抜けた途端、一気に視界が開け、絵に描いたような山里が出現した。まるで桃源郷への扉を潜り抜けたかのようだった。

秋田内陸縦貫鉄道
秋田内陸縦貫鉄道は、角館駅と鷹ノ巣駅を結ぶ。鉄道好きにはたまらない旅情溢れるローカル線。別名「スマイルレール秋田内陸線」
根子集落へ向かう途中の風景
笑内駅で降りて車で根子集落へ向かう途中、トンネルを抜けるとこんな風景が現れる。思わずため息がもれる。
根子集落を望む風景
山の中から根子集落を望む。まるで桃源郷だ。

船橋さんがマタギ発祥の地と言われる阿仁地区根子に移り住んだのは、2013年のことだ。「マタギの写真を撮りたい」というのが移住の理由。しかし、マタギの頭領や先輩の計らいで猟に同行して撮影しながらも、撮られる側と撮る側との間の壁を感じた。「どうしたら良い写真が撮れるだろうか」と思案して、自分も猟をする側に回ろう、彼らの輪の中に入ろうと狩猟免許を取り、翌年から猟に参加するように。今ではすっかり阿仁マタギの一員だ。

マタギというと、“熊を獲る人”のイメージが強い。ウィキペディアには「伝統的な方法を用いて集団で狩猟を行なう者を指す」と書かれている。が、船橋さんは「狩猟者(職業)というより、山里での生き方・暮らし方(文化)と捉えた方がいい」と言う。「春は山菜、秋にはキノコ、冬には猟。猟ではクマだけでなく、カモも獲れば、シカも獲る。山で薪を取り、草刈りや雪寄せをして、道を保つ。つまり、四季を通して、山で生き、山と生きる。山に守られ、山を守る。それがマタギ」。だから、「マタギになる」という言い方はあまり正確ではないかもしれない。

猟に出る
根子集落の住民は現在約120人。うち猟友会に所属しているのは7人。普段は農業、林業、建設業などに従事し、その傍ら猟に出る。
山で採れたもの
「春には山菜、秋にはキノコ、猟期になればクマを探しに山に入る。都市部の人が店に買い物へ行くように、この辺の人は山へ入る」と船橋さん。
はえてるキノコ
山に精通するマタギは、当然ながら山菜やキノコが生える場所にも詳しい。

「獲物」とは言わない。「授かり物」と言う

ここ数年、クマ報道が絶えない。特に出没件数や被害の多い秋田県は、「クマダス」(ツキノワグマ等情報マップシステム)を運用して、出没情報の共有を図るなど対策に力を入れる。
その一方で、「阿仁ではクマによる被害は少ない」と船橋さんは言う。「マタギ文化が生きていて、クマが人の怖さを、人がクマの怖さを知る阿仁では、クマはそうそう人家に近づいたりしない」。まさにマタギによって山が守られているわけだ。自然の中で互いの存在を尊重しながら生きている、とでも言えばいいだろうか。

もちろんマタギはクマを撃つ。「でも、『獲物』とは言わない。『授かり物』と言うんですよ」と船橋さん。猟でクマを撃ち取ったり、山菜やキノコを採集したりする時、その行為を「授かる」と表現するのだという。山には山神様がいる。山の恵みはすべて山神様からの授かり物。だから、山神様に敬意を払いながら猟をして、授かったなら感謝する。授からなければ授からないで、山神様の意向と受け止める。「今も、猟を行なう前には必ず山神社に詣でて、山神様に祈りを捧げます」
山がちで平地が少ない地形である上に、冬ともなれば雪に閉ざされる。食べられるものは何でも食べなければ生きていけない土地柄だった。そんな厳しい自然の前に、すべての生きものは対等に存在する。その関係を取り仕切るのが山神様なのだろう。

山神様
生きる糧は山にある。その山を取り仕切るのは山神様。「この土地の人たちは“自然に生かされている”と考える。その感覚がマタギ文化の中核にある」
山神社にお参り
猟のために山に入る前には必ず山神社にお参りして祈りを捧げる。
山に入るマタギ
どんなに装備が現代的になろうとも、マタギの精神は変わらない。

クマ猟は主に、「巻き狩り」と言って、20人くらいの集団で行なうそうだ。クマを取り巻くように追い詰めて撃ち取るところから、そう呼ばれるらしい。マタギを撮り始めた当初、巻き狩りに付いて行った時、船橋さんの気持ちがいっそうマタギの世界へと引き寄せられる出来事があった。

「マタギ勘定です。クマを仕留めると、その肉は猟に参加した全員に均等に分配する。それがマタギ勘定。撮影のために付いて行っただけの僕にも分けてくれたんです。猟に貢献したわけでもない僕にまでどうして?と驚くと同時に、役割に関係なく参加者全員を平等とする精神に感動した」
みんなで1頭を追うことで捕獲の確率を上げる。そして、皆で解体して、皆で分ける。生き延びるだけで厳しかった地域の生存率を上げる合理的な生き方なんだなと、船橋さんは思う。

山の中のマタギ
猟には、「巻き狩り」と呼ばれる集団猟、「忍び」と呼ばれる単独もしくは少人数の猟、2つのスタイルがある。
マタギ勘定
巻き狩りの成果を参加者全員に均等に分ける「マタギ勘定」。秤があるのを見てもわかるように、分け方は厳密。
マタギ勘定
マタギ勘定が示すのは“マタギとは共同体である”ということだ。共同体であることによって人々の生命をつないできた。

速さより大事なこと

巻き狩りに参加するようになって10年。「まだ満足のいく写真は撮れていない。そもそもカメラを構える余裕がなくて(笑)」。
巻き狩りには分担があり、リーダーの「シカリ」、大声を出しながら歩いてクマを追い立てる「セコ」、待ち受けて撃つ「マチパ」、各々の役目を果たしてクマを追い詰める。船橋さんは新入りということもあって、セコを言いつかってきた。十数人が一列になって、山の下から道なき道を尾根に向かって、隣の人の声を頼りに上がっていかなければならない。カメラを鞄から出す余裕なんてないわけだ。

それでも、散弾銃を10年以上継続して所持すると、ライフル銃を持つ許可が下りる。「ライフルはよく当たる」と船橋さん。「とはいえ、まだまだ。先輩がクマを見つけても、僕は気付けない。山のどこを見ているのか、何を見ているのか、彼らの目線の先と僕の目線の先は違うんだと思う。彼らは子供の頃から山に入っている。山で遊んで育ち、山での遊びが暮らしや食と結び付いているんです。その中で生きる技と力を蓄えている。そこに憧れて、今、僕はここにいるとも言える」

カメラは当分、鞄にしまったままでいいと船橋さんは思っている。今よりももっと猟に習熟した時にきっと撮れる写真があるだろうと思うから。
よく「マタギは歩くのが速いんでしょう?」と尋ねられるそうだ。確かにマタギには山歩きの達人のイメージがある。が、「決して速いわけじゃない」と船橋さんは言う。「もちろん山を歩く術を知っていて、道なき道を歩くことに長けている。但しマタギにとって大事なのは速さではなく、全身の感覚を研ぎ澄まして、絶えず気配を感じ取りながら歩くこと。速く歩けばクマに出会えるわけじゃない。同じ山でも狩猟は登山と違ってゴールがあるわけじゃない」。撮影もたぶん同じ。だから、急がないでいい。

山の中のマタギ
巻き狩りは、メンバーの予定を合わせなければならないため、シーズン中にそう何度もできないそうだ。
クマを待ち受けて撃つ役目のマチパ
クマを待ち受けて撃つ役目のマチパは、何時間も息をひそめて待つ。当然、待っても来ないことも。そもそも山の暮らしは「待つ」ことで成り立っている。雪解けも芽吹きもだ。
道なき斜面を上がっていくマタギ
道なき斜面を上がっていく。「クマやシカが通った跡を歩くと、なぜ、彼らがここを通ったのかがわかる」

「マタギの台所」開設を目指して

「最初は山のことがひとつもわからなかった。ここで暮らしているうちに、段々、自分の中に山が落とし込まれていった。自分が生きていく場所が広がっていく感覚があった」と船橋さん。実感がこもる。
「マイタケが生える場所は教えない」という言葉があるそうだ。「その気持ちがわかるようになった」。損得の話ではないという。自分だけが知る場所がある喜び、ここで生きていける喜びを噛み締める言葉なのだという。

音楽家の妻の本城奈々さんと3人の男の子と暮らす船橋さんは、先輩マタギ同様に幼少期から山で遊ぶ自分の子供たちを見ていて、ちょっとうらやましい。
撃ってきたカモの毛をむしって捌く作業などはできるかぎり子供たちと一緒にやる。「これは“生命”なんだと伝えるんです。自然界が自分たちと対等な存在の生命を授けてくれたんだと思ってほしい」。阿仁マタギには、クマを仕留めると「勝負!勝負!」という声を発する伝統があるそうだ。この言葉にマタギの精神が象徴されていると船橋さんは思う。

山が遊び場
山が遊び場。無意識のうちに自然の摂理を体得していく。
カモを捌く子供たち
船橋さんの手ほどきでカモを捌く子供たち。自然界と食卓が地続きの暮らし。

他所の中山間地域同様、阿仁地区も高齢化と人口減少が進む限界集落である。集落が絶えれば、阿仁マタギの文化も断絶しかねない。船橋さんはなんとかして「この土地で共に暮らす人を増やしたい」。そのための活動を地道に進めている。
「マタギだけではないんですね。国指定重要無形民俗文化財の根子番楽(ねっこばんがく)など今なお数多くの集落行事が残ります。それら土地のアイデンティティを維持していくには、人材が必要です。この土地の風土を理解し、暮らしを楽しみながら、ここで生きていきたいと言ってくれる仲間を増やしたい」

そのきっかけの場とすべく、集落に残る2軒の古民家のうち1軒を改築して、「マタギの台所 ウヘエ」の開設に取り組む。「ウヘエ」とは古民家の屋号「卯兵衛」からの命名。ジビエ解体処理・産品加工・飲食・宿泊の機能を併せ持つ。根子の山で授かったクマを中心とするジビエ、山菜やキノコといった産品を都市へと送り出し、来訪者には山に囲まれた根子の自然を体験してもらう。そんな交流の中から根子への理解を深めてもらい、「住んでみよう」という気持ちを育みたい。

マタギの台所 ウヘエ
カメラマンの仕事とマタギの仕事の隙間を縫って、「マタギの台所 ウヘエ」開設の準備を進めている。

日本人らしい自然観を土台としたマタギという狩猟文化は、どこか謎めいていて、理解するには掴みどころがない――マタギ暮らしに身を投じて10年を経ても、船橋さんはそう感じる。
「マタギ文化を土台とするこの土地の成り立ちの根源は何かと考えた時、“食”からすべてが生まれているのではないかと思い至りました。食べるために人が自然と向き合い、生きていくために自然からの恵みを周囲と分かち合う」。「マタギの台所 ウヘエ」はそこのところを伝える場にしたい。「暮らしがあるから文化がある。記録じゃなくて生きた形で伝えたい。地域の人たちも理解を示してくれた」
今秋の開業を目指す船橋さんに、マタギの写真を撮る余裕はまだまだ当分なさそうである。


船橋陽馬(根子写真館/根子マタギコーヒー)
http://www.yomafunabashi.com/

料理通信メールマガジン(無料)に登録しませんか?

食のプロや愛好家が求める国内外の食の世界の動き、プロの名作レシピ、スペシャルなイベント情報などをお届けします。