発酵好きが高じて、日本酒造りに
蔵人 アドリアン・マンハレス・ベルトラン
2023.08.24
その酒を初めて飲んだ時の驚きを、今も忘れない。昨年(2016年)秋の東京。開栓されたのは、「NAMI」の酒銘をもつメキシコ産の酒である。彼の地に初の清酒蔵が誕生したらしいと耳にしたのは、2015年。
昨今、日本酒を海外で造ろうとする動きが加速しているけれど、よりによってなぜメイド・イン・メヒコ? 最初は、その程度の感想しか浮かばなかった。
そして届いたデビュー作。はたしてどれほどの味なのだろう。そんな疑念は口に含んだ瞬間に吹き飛んだ。上品な吟醸香。酸と甘味の、控えめで好ましいバランス。繊細なニュアンスも持つ、「SAKE」ではないまぎれもない日本酒の味わい。その本物感に、大げさではなく衝撃を受けた。
びっくり仰天した人物はほかにもいる。造り手である蔵人の1人、アドリアン・マンハレス・ベルトランさん当人だ。
「このメキシコで、こんなおいしいサケが本当にできるなんて! 自分の手で造ったことが信じられませんでした」
酒蔵のあるメキシコ中西部の街、クリアカンに生まれた。大学で生物工学を専攻し、家では自家ビール造りに熱中する自称「発酵マニア」。就活中に新しい酒蔵プロジェクト発足のニュースを知り、「サケを造れるなんて最高に面白そう!」と、醸造元のウルトラマリーノ社を就職先に選ぶ。同社は、メキシコの大手ビジネスグループ・コッペル系列の日本酒輸入専門商社。
「最高品質のメキシコ産プレミアム・サケ醸造」を、新プロジェクトのミッションに掲げていた。とはいえ、2015年に入社するまで、日本酒に関する知識はゼロ。強くて、匂いがきつくて、熱くして飲むもの。味についても、そんなステレオタイプのイメージしか持っていなかった。さらに、醸造所のあるクリアカンは年間平均気温が30℃前後、湿度100%に達する日もある高温多湿の地。未知の日本酒醸造に期待を膨らませる一方で、「(この気候風土で)果たして本当に造れるのか、どこかで疑ってもいました」と本音をポロリ。
しかし、会社は本気だった。巨額の資金を投じ、すべての醸造設備を日本から輸入。空調システムや冷蔵管理設備も完璧に整え、灼熱の地に日本と変わらない醸造環境を再現させた。現場には、日本から岐阜(現在は北海道に移転)の三千櫻酒造の山田耕司社長が招かれ、初代醸造スタッフ3名の技術指導に当たることに。新卒ほやほや、最年少のアドリアンも、醸造のイロハを徹底的にたたき込まれることになる。
メキシコで本物の日本酒の味わいを!
「山田さんは厳しい人。でも、テキストを読むだけではわからない感覚的な技術、クラビトとして大切なことを、すべて教えてもらいました」
たとえば、米の浸漬のタイミング。麹の破精(はぜ)込み具合を確かめる時の手の感触。櫂入れのリズム。見よう見まねの修練を重ねるにつれ、日本酒の造りにしかない深みに、ぐんぐん引き込まれていく。特に、一つのタンクの中で糖化と発酵が同時に進行する並行複発酵の仕組みには、マニア心を鷲づかみにされた。
「もろみの様子を実際に見て、分析して、本当にこんなことが起こりうるんだ、と。ゾクゾクするような興奮を覚えました」
そうして人生初の造りを終え、槽口から新酒を飲んだとき、すでに蔵人の仕事こそが天職だと思えるまでに。今では「酒造りのすべてが、たまらなく好き」と目を輝かせる。とりわけ心惹かれるのは、麹仕事だという。
「菌が繁殖して麹になっていくまでの変化、その神秘的な美しさを見るたび、不思議に心が落ち着きます」
引き込みから出麹までの期間は、蔵に泊り込む夜も。麹室には温度・湿度の自動制御システムが導入されているが、夜中に何度も起きては室に足を運ぶ。「気になって仕方ないから。赤ん坊を育てるって、こんな気持ちかも」と笑う。もっとも、日本人にも一目おかれそうな働きっぷり、メキシコの家族には相当不評らしい。
「そこまで仕事人間になって、どうするつもり?と。恋人にも猛反対されて。彼女は今でも怒ってます(笑)」
だからというわけではないけれど、もっと多くのメキシコの人たちに、自分たちのサケを、本当の日本酒のおいしさを知ってもらいたい。同じメキシコ出身の人間が造るからこそ、身近に感じてもらえるよさがあると信じている。
「現場体験を積み重ねて、いずれは日本酒の醸造をテーマにした論文にもチャレンジしたい。自分が感じた驚きを、一人でも多くの人と共有できるように」造り手として、研究者として、夢は大きくふくらむ。
◎ Ultramarino Sake
https://namisake.com/ja-JP/nami/
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