小さな酪農の生きる道
栃木県那須町「森林ノ牧場」山川将弘さん
2018.06.21
PEOPLE / LIFE INNOVATOR
栃木県那須町にある「森林ノ牧場」が営むのは、森を活かした酪農である。
森に牛を放牧して、森の下草を食べさせる。
下草の手入れになり、風も通って、一石二鳥。
東日本大震災で森の一部の伐採を余儀なくされたが、今また植えて森を取り戻そうとしているところだ。
そこにあるものを活かす、牛のすべてを活かす──
代表の山川将弘さんが目指すのは、牛がミルク製造マシンにならないような、個性を生かし切る牛との付き合い方だ。
リーリ、かりん、シャイン、レラ……牛も山羊も、みんな名前で呼ばれている。
「森林ノ牧場」に「いのちのミートソース」という商品がある。「なぜ、いのち?」、商品名を見て、きっと思うことだろう。そして、説明書きを読んで納得するはずだ。
森林ノ牧場で大切に育てられた牛から生まれたミートソースです。私たち人間のためにミルクを出してくれた牛たちのお役目が最後まで全うできるようにとの思いで作りました。大切ないのちを最大限に美味しくいただくために、赤身の特徴を活かしたコクがあるのにあっさりと上品な味わいのミートソースに仕上げました。
ミートソースが誕生した経緯を、山川将弘さんは次のように語る。
「乳牛としての役目を終えた牛は、肉牛市場に出すことになります。でも、僕たちが飼っているジャージー牛は、身体が小さくて赤身だから安い値段しか付かない。大切に育てて、共に働いてくれた牛が安く買われていくのはなんともせつなくて」
森林ノ牧場が飼う成牛は約20頭。仔牛が生まれると一頭一頭名付けて、個性を大事にしながら育てる。人格ならぬ牛格を尊重する酪農だ。乳牛として働くのは2歳半から6歳くらいまで。年に3、4頭を肉牛市場へ出さなければならない。
「僕たちにとってかけがえのない牛がそんな値段なのか、それだけの価値しか認められないのかというせつなさ……。名前で呼んでいた牛がただの国産牛になってしまうこともせつなかった」
そこで、屠畜に出した牛を買い戻し、自分たちの手で彼らの次の役目を生み出すことにした。ミートソースにする他、肉のまま、地元のレストランにも卸す。
皮の活用にも取り組み始めた。なめし皮の職人に託して、革製品化を模索中だ。
「職人の手によって新たな生命が吹き込まれていくのを見ると、屠畜されてももう一度別の役割を生きるんだなと思える」
森林酪農という考え方。
「乳だけじゃなく、牛が生み出すすべてを価値あるものにすることが酪農家の仕事」と山川さんは考える。それは見えていなかった部分を明らかにする仕事でもある。
乳牛としての役目を終えた牛がその後どうなるのか、「いのちのミートソース」で初めて意識が及んだという人も多いだろう。
同時に、「では、牧場で雄牛が生まれたらどうするの?」という疑問も湧いてくる。
「ホルスタインの場合、肥育農家が肉牛として育てます。身体が小さくて赤身のジャージーはまず引き取り手がいない」
打開策として、山川さんは乳飲み仔牛としての出荷にチャレンジ。東京の「ラ・ボンヌ・ターブル」「eatrip」「ピアットスズキ」「ラッセ」、地元のホテルなどに、半頭単位で卸すようになった。「男の子が生まれてもガッカリしないで済むのがうれしい」という言葉には実感がこもる。
酪農家を志したのは中学生の時だった。北海道旅行で搾乳を体験。放牧された牛が草を食む景色に、いつかこんな環境で仕事がしたいと思った。東京農大畜産学科で学び、岩手県の中洞牧場を経て、環境ソリューション企業アミタが森林酪農を立ち上げるタイミングで入社。丹後の「森林ノ牧場」に2年間携わった後、那須へやってきた。
日本は国土の約7割が森という森林大国だ。エネルギーや衣食住材の供給源として、森と暮らしが密接に結び付いてきた。が、近年、森林従事者の高齢化や、安価で効率的な輸入材に押されて、森が十分に活かされていない。森の放置が引き起こす問題が取り沙汰される中で、森を放牧の場として活用しようというのが森林酪農である。
「牛たちが森の下草を食べることで、森が再び拓かれて、管理がしやすくなる」農家が自分たちで世話できる程度に牛を飼っていた時代の日本では里山放牧が行われていた。山川さんは、歴史に基づく可能性を森林酪農に見るのだ。
しかし、那須へ異動して1年半したところで、アミタが撤退。那須の森林ノ牧場を譲り受ける決断をする。その2カ月後のことだった、東北大震災が起きたのは。原発事故の影響で国の基準を超える放射性物質が検出され、牛の放牧が禁止されてしまう。
放牧で飼育していたため、牛舎はなく、搾った乳は廃棄する日々……。 廃業も考えた。が、近隣の酪農家が牛を全頭預かってくれることになり、乳製品の加工の継続が可能に。とはいえ、牛にとっては仮住まいである。彼らを元の住みかへ戻すため、山川さんは森の一部を伐採して除染を施す。2014年、製造ライン修復のためのクラウドファンディングを実施して、放牧再開に漕ぎ着けたのだった。
牛のすべてを商品にする理由。
通常、生乳は農協などの指定団体を通して乳業メーカーへ卸される。乳価は地域ごとに決まっていて、1キロ約100円。指定団体を通さずに生乳を売ると補助金をもらえない。だから9割超の生乳は全国10の指定団体を通して取り引きされている。「でも、この乳価で経営を成立さようと思ったら、規模を大きくしないとやっていけないんですよね」
山川さんが思い描くのは大きな酪農ではない。眼の届く範囲で地域資源を活用しながら一頭一頭の個性を大切にした酪農だ。「酪農のかたちにもっと選択肢があってもいい」と思うから、森林ノ牧場は独自ルートで乳を売る。自ずと「乳だけじゃなくて、牛が生み出すすべてを価値あるものにすることが酪農家の仕事」になる。
バター作りに取り組むのも、酪農家のアウトプットを多様化させるため。森林ノ牧場がバター作りの設備とノウハウを持っていれば、他の牧場のバター作りを請け負えるようになる。「日本は生産者ごとのバターが少ない。クラフトバターの文化があってもいいのになって」。
バターになるのは生乳のたった5%のみ。極めて歩留まりが悪い加工品と言える。
残り95%の無脂肪乳をどう使いこなすか、課題が残る。そこを、森林ノ牧場では乳酸菌飲料の「キスミル」、無脂肪ミルクジャムを使ったお菓子「バターのいとこ」を生み出すことで解決した。
牛のすべてを価値化することで、小さな酪農が自立できるのだと示したい。小さな酪農が地域資源活用のビジネスモデルでありたい。山川さんの生き方に刺激を受けて、話を聞きに、あるいは研修を希望する若者がやってくる。そんな一人、木下荒野さんが今春、長野県小布施市に「小布施牧場」を立ち上げた。山川さんは、森林ノ牧場から4頭の牛を小布施牧場へ送り出した。
ノウハウや販路を共有し合ったら、小さな酪農はもっと強くなれる。山川さんは今、小さな牧場の連携を構想中だ。
山川将弘(やまかわ・まさひろ)
1982年生まれ。埼玉県出身。東京農大畜産学科卒。岩手県の中洞牧場を経て、アミタが立ち上げた京都府丹後の「森林ノ牧場」へ。2年後、那須の「森林ノ牧場」へ異動。アミタの撤退を機に、2011年1月、自ら代表になる。
◎ 森林ノ牧場
栃木県那須郡那須町豊原乙627-114
☎ 0287-77-13409
10:00~16:00
木曜、金曜休(祝日営業)
JR東北本線新白河駅からタクシーで約10分。
東北自動車道・白河ICから約4km。国道4号線を那須方面へ。
https://www.shinrinno.jp/