これからの都市型農業=人が集まる畑作り。
野菜農家 栗田貴士・クリタケイコ
2022.09.26
居心地のいい店があるように、居心地のいい畑がある。千葉県四街道市にある「キレド」の畑に立ったら、その感覚を分かち合えるだろう。1ヘクタールほどの畑には、西洋から東洋までの珍しい品種の野菜やハーブがずらり。
「ベビーコーンは、皮の部分がおいしくて・・・」と、代表の栗田貴士さんが説明しながら、もぎたてを渡してくれる。みずみずしさを口いっぱいに感じながら、収穫のタイミングや適した調理法などの話を聞く。畑の一角には古民家を改装したイベントスペースや集荷場が。そこはかつての集会場に似た、人が集まってお喋りが生まれる温かな雰囲気がある。
キレドは現在、年間約150種類の野菜を作り、一般家庭に野菜セットを定期宅配している。これを主軸として、キッチンカーでの移動販売、千葉市内でのカフェ兼アトリエの運営も行う。栗田さんが目指すのは、地元の人や消費者が畑を気軽に訪ねて来られる「人を呼ぶ畑」だ。
エンジニアから農家へ
栗田さんの前職はシステムエンジニアだ。
会社員時代、同僚に連れていってもらった一軒のレストランで野菜のおいしさに衝撃を受け、その野菜を作っている農家・中野禧代美(きよみ)さんに会いにいったことが栗田さんの運命を変えた。「中野さんの野菜を使いたくて、シェフたちが直接畑まで取りに来るんです。そこで野菜談義が始まる。その会話が本当に面白く、こんな世界があるのかと衝撃を受けて」。中野さんと共通の話題が欲しくて市民農園を借り、「野菜の作り方を教えてほしい」と頼みに行くと、突然の依頼にも嫌な顔一つせず、丁寧に栽培のコツを教えてくれた。
「そこまでしていただいたら途中で畑を辞めるわけにはいかない。夜型生活から完全に朝型に切り替え、5時前に起床して7時まで畑仕事してから出社していました」。これが意外に性に合った。仕事の効率も、エンジニアとしての能力も上がった。「会社に不満もなかったのですが、実家が空くタイミングで自分の天職について考えた時、農業により魅力を感じたんです」
本格的に農業を始めるにあたり師事したのは、全国の名だたるレストランのシェフから絶大な信頼を得る「エコファームアサノ」の浅野悦男さんだ。「ただ、自分では一般家庭に向けて野菜を作りたいという気持ちがありました。中野さんや浅野さんの野菜は買いたくても買えないのがストレスだったし、自分が家庭菜園を始めた時の楽しさを身近な多くの人に知ってほしいという気持ちが強かった」
楽しくておいしい、が入り口
畑を始めるにあたって栗田さんが大切にしたことは「アウトプットの見せ方」だ。イベントなどに出店する時は生だけでなく、焼いたり煮たりしたものも試食として出す。キッチンカーでは自家野菜をたっぷり盛り込んだピタサンドなども販売する。
「糸井重里さんが『一番大切なことは、二番目におくことが大事だ』と言っていて、本当にそうだなと。大事なことを声高に訴えるより『楽しいでしょ?』に変換したほうが結果的に伝わるんですよね。面白い、楽しいと感じてもらうことが、大事にしてもらえる第一歩」
ビジネスモデルで影響を受けたのは、大学時代の先輩がメンバーのバンド「バンバンバザール」だ。全国のライブハウスを1年かけて巡業して、数年に1枚アルバムを出すスタイルを取る。「年に1回のライブを楽しみにしているファンを必ず満足させることで成り立つスモールビジネスなんです。それは当時、ユーザーの見えない液晶テレビを開発している僕にとって憧れのモデルでした。バンバンバザールみたいな、ファンを掴む農業をしたい、って」
だから住宅街の中にある畑を探した。地元の人たちにファンになってもらえる畑。楽しくて、わくわくして、そしてもちろんおいしい野菜が採れたら、その畑は地域にとって大事な場所になる。栗田さんはそう考えた。いくつかの理由が重なり、2018年に畑の移転を余儀なくされたが、目指すところは変わらない。
自身が家庭菜園を通して、世界中の野菜を知り、食べ方を知り、畑で循環する命を知り、その野菜で自分の体ができていることを知った。住宅街に畑があれば、その喜びや豊かさを地域全体で分かち合えるだろう。「畑が各住宅地に一つくらいずつあったら、きっといい社会、優しい社会になる」と、栗田さんは思う。
「理想にはまだまだ近づけていないけれど、前のめりになり過ぎずに、目の前のことをひとつずつ実現したい」と栗田さん。今年(2108年)の秋には、畑の中に小さなコミュニティスペースを作り、畑だからこそ発信できるイベントを始めていく。平穏でありながら、刺激のある基地に育っていくはずだ。
(雑誌『料理通信』2018年9月号掲載)
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