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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

前田尚毅さん(まえだ・なおき)

魚屋「サスエ前田魚店」

2019.10.01

前田尚毅さん
text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda

ミシュラン三ツ星に輝く「鮨よしたけ」、The World’s 50 Best Restaurants 2017にランクインした「傳」、2013年のボキューズ・ドールでメダルを獲った浜田統之が料理長を務める「星のや東京」など、評判の店に焼津から魚を納める。
和久田哲也からの信頼も厚く、シンガポールの「Waku Ghin」へも送る。
前田からしか入手できない魚がある――
料理人を魅了するのは、魚質はもちろんだが、むしろ前田の仕事だ。

街の魚屋の強み

「星のや東京」の料理長・浜田統之が「NIPPONキュイジーヌ」と銘打った魚のコースで勝負に出た背景には、前田尚毅の存在がある。
「良い魚を送ってくるだけじゃない。良い状態にして送ってくるんです」
その一例が「脱水」。下ろされて、脱水が施されてから、浜田の元へ送られる魚もあるという。
「魚によっては、水揚げ後、できるだけ時間が経過しないうちに、余分な水分を抜いてあげることが味の向上につながる」と前田。劣化や腐敗につながる水分を除去することで、鮮度が維持され、締まった身質、凝縮した味わいがもたらされるという。
脱水の方法はいたってシンプルである。三枚に下ろし、塩を打ち、板にのせ、その板を斜めに立て掛けて、魚から自然に水が流れ落ちるのを待つ。ただし、塩の量や板の角度次第で、水分の流れ出す速度は変わる。一歩間違えば旨味も流出しかねないから、見極めが要る。状態を見ながら、塩を打ち、角度を変える。

「星のや東京」浜田統之が手掛ける「NIPPONキュイジーヌ」の一品から。 夏、前田が自信を持って送ってくるのがカツオ。「下ろして、上身を酒盗漬けに、血合いをブーダン・ノワールにしました」と浜田。歯がぐっと食い込んでいく、むっちり、ねっとりした食感と、鉄分たっぷりながら練れた味わいが鮮烈。山ウドのピクルスとシャクの花を添えて。

「星のや東京」浜田統之が手掛ける「NIPPONキュイジーヌ」の一品から。
夏、前田が自信を持って送ってくるのがカツオ。「下ろして、上身を酒盗漬けに、血合いをブーダン・ノワールにしました」と浜田。歯がぐっと食い込んでいく、むっちり、ねっとりした食感と、鉄分たっぷりながら練れた味わいが鮮烈。山ウドのピクルスとシャクの花を添えて。

特別な包丁は使わない。3000円の包丁をひたすら砥いで使い倒す。左が使い続けているもの、右が使い始めたもの。どちらも同じ包丁だという。「浜田シェフからいただいたすばらしい包丁もあるのですが、もったいなくて、なかなか使えない(笑)」

特別な包丁は使わない。3000円の包丁をひたすら砥いで使い倒す。左が使い続けているもの、右が使い始めたもの。どちらも同じ包丁だという。「浜田シェフからいただいたすばらしい包丁もあるのですが、もったいなくて、なかなか使えない(笑)」

店によって、料理人によって、最適な魚は違う。一軒一軒、厨房の中で行われる作業を思い描きながら、魚を選び、必要な処置をして送るのが前田のやり方だ。これを前田は「仕立て」と呼ぶ。
より的確に仕立てるため、前田は、料理人がいつ、どんな調理を施すのかを、一人ひとり把握に努める。すし職人なら、どんなタイプの米を何で炊くのか。酢は赤酢か白酢か。シャリ玉のサイズまでも頭に入れておく。天候が荒れそうになれば、魚が入荷しなくなる事態に備えて、食べ頃が長めに取れる魚を選び、数日先がピークになる仕立てをして送るなど、料理人が困らぬよう先回りして手を打つ。


魚の胃袋の中身まで知る

調理される状況まで見通して魚を送る前田の仕事は、静岡のてんぷら屋「成生(なるせ)」を営む志村剛生との二人三脚の上に築かれた。いまや全国から客が訪れ、半年先まで予約が取れない「成生」だが、その評価は、前田が仕入れた魚を志村が揚げるという連携によって確立されたと言ってよい。
志村は毎朝必ず前田の店を訪れる。魚を見て、前田と話をして、前田が仕立てた魚を受け取る。前田は前田で「成生」へ赴き、自分の仕立てた魚が調理されるとどうなるのかを自らの舌で確かめる。オープン以来、そのやりとりを繰り返してきた。
「どういう熱の与え方をすると、より味が引き出されるのか。魚にどのくらい水分が残っていればいいのか。来る日も来る日も2人で探求し続けた」

魚の味をぐっと前に押し出す役割を果たすのは「すしならシャリ、てんぷらなら衣」と前田は言う。
「素材感を出そうとして衣を薄くする店もありますが、成生の衣は意外に厚い」。
前田いわく「衣によって魚への熱の入り方がコントロールされる。魚によっては、油から引き上げた後、余熱で蒸らすように加熱できる」。
調理の領域ギリギリまで踏み込んでいく独特のアプローチは、「うちが魚屋だからでしょうね」と前田。
「創業60 年になる街の魚屋です。切り身、刺し身、酢締め、干物、一夜干し・・・・・・手を掛けて売るのが代々のモットー」。

毎日、何百何千という魚を捌く。卸だけの店ではないから見えてくるものは多い。脂ワタが大きい魚は身にも脂がのっている、エビやカニを食べている魚は味が良いなど、魚の胃袋の中身まで知り尽くした上での魚の扱いが強みだ。

「飲食店の若者が研修に来るんですよ。午前中うちで働いて、魚の見方、捌き方を習得していく。量も種類も、料理店で働くだけではできない経験ができるから」


首尾一貫して魚一筋

幼い頃は母親の背中越しに港の空気を吸った。「ぐずって泣くとエビやイカを私の口に入れてくれた」。
港で水揚げを見てから小学校へ通い、高校時代は誰に言われるでもなく自らの勉強のため競りを見続けた。「魚屋版・巨人の星」と前田は笑う。

アジを例に魚の見方を教えてもらった。「魚は顔で決まります。小顔がいい。そして、色黒より色白がいい」
身が充実すれば自ずと胴体はふくよかに肉付き、相対的に顔は小さくなる。海の浅い所で泳げば陽に焼けて黒くなり、深い所で泳げば白銀に輝く。
「高価な魚ほどおいしいわけではない。1尾50円のイワシが数千円の鯛より食べ手を虜にするケースはいくらでもある」
味わいが価格を凌駕するのが魚であり、魚屋の仕事なのだ。
搬送中の梱包次第で魚の味は変わるからと、魚にあてがう氷水の氷の量、氷の当て方まで徹底的に研究した。「サワラは冷やしすぎないほうがいい」など魚種によっても変えるという。「まだ気付けていないことがある」と前田。その執念に料理人は惚れ込むのだ。


◎ サスエ前田魚店
静岡県焼津市西小川4-15-7
☎ 054-626-0003
10:00~18:00
日曜、第2・4水曜休
JR焼津駅、西焼津駅より車で10分

前田尚毅 (まえだ・なおき)
1974年、静岡県生まれ。焼津にある魚屋の五代目。
小学生の頃から学校へ行く前に必ず港に寄って通学するような子供だった。静岡県立焼津水産高等学校時代には、競りの記録係を務めるなど魚に関わるアルバイトに勤しむ。高校卒業後、店に入り、本格的に仕事をスタート。静岡出身の和久田哲也の目に止まったことや「鮨よしたけ」吉武正博との関わり、「DINING OUT NIHONDAIRA」などをきっかけとして、多くの料理人から引き合いが来ている。

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