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PEOPLE / 生産者・伴走者

日本の酒を世界のSAKEへ。海を渡った杜氏の第3章、始まる。

「WAKAZE」最高醸造責任者 今井翔也

2023.09.07

日本の酒を世界のSAKEへ。海を渡った杜氏の第3章、始まる。 「WAKAZE」最高醸造責任者 今井翔也

text by Naoko Asai / photographs by AKANE

近頃、クラフトビールならぬ、「クラフトサケ」の存在感がじわじわと増している。きっかけは、2022年、7つのクラフトサケ醸造所からなる「クラフトサケブリュワリー協会」の設立だ。ここでいう「クラフトサケ」とは、前述の協会が定義する、日本酒造りの技術をベースに、フルーツやハーブなどの副原料を加えた酒やどぶろくなどを指す。

そのムーブメントの源流をたどれば、2018年にいち早く東京・三軒茶屋にてクラフトサケの醸造所(現在休業中)を設立し、2019年にはパリ進出を決めた「WAKAZE(ワカゼ)」にたどりつく。さらに、今年(2023年)は念願のアメリカ拠点も築き、攻めの姿勢を緩めない。「WAKAZE」最高醸造責任者、すなわち、クラフトサケの第一人者である今井翔也さんは、ひと足先に「サケ・ザ・ニューチャプター」の扉の前に立っている。

目次







動かすのは、「ボトル」ではなく「レシピ」という発想

2018年、三軒茶屋のにぎやかな通りに、突如、レストラン併設の醸造所を建てたかと思えば、その1年後にはフランスで醸造所を立ち上げる。2016年に「日本酒を世界酒に」という野望の下、意気投合した今井翔也さんと後のCEOとなる稲川琢磨さんが立ち上げた日本酒スタートアップ「WAKAZE」の軌跡は、新規参入がほぼ不可能で、ともすれば閉塞感すら漂う日本酒業界の盲点を突くような挑戦の連続だ。しかし、彼らにとっては、どれも想定内。当初から思い描いていたビッグピクチャーの一部にすぎない。

「ファントムブルワリー*としてスタートした時点から、僕たちの計画には、“世界の食の中心地フランスで、日本酒を造ること”があった。三軒茶屋の醸造所設立もフランスに進出するために必要な知見と実績を積み上げるためでした」

*自前の醸造設備を持たず、他の醸造所に酒造りを委託するブルワリー

4.5坪の醸造所に4つのタンクを並べ、毎月新しいレシピを開発し精力的にボタニカルサケを造っていた「三軒茶屋醸造所」(現在休業中)

4.5坪の醸造所に4つのタンクを並べ、毎月新しいレシピを開発し精力的にボタニカルサケを造っていた「三軒茶屋醸造所」(現在休業中) photographs by Daisuke Nakajima

今井さんが三軒茶屋で造っていた酒は、酒税法上「その他の醸造酒」といわれるカテゴリーに属する。日本酒を醸すのに必要な清酒製造免許は新たにおりないが、副原料を加えたり、もろみを漉したりしなければ「その他の醸造酒」となり、製造免許が取得できる。そこに目を付けたのが「WAKAZE」だった。

フランス・パリ郊外の醸造所では、免許の枠にとらわれることなく、念願の清酒造りを開始。フランス南部カマルグ産の米、フランスの硬水、フランスワイン由来の酵母と現地の原料でのびのびと酒造りに勤しんだ。創業から三軒茶屋時代を第1章とするならば、今井さんの第2章はこうしてフランスで幕を開けた。

「日本酒が世界酒になるためには、世界のどこに行っても、各地のローカルの原料を用いて、いい酒が造れるフォーマットが必要。日本酒の多くは軟水で醸造されていますが、フランスの水は硬水です。日本と異なる条件でも酒造りが可能なことを実証するのが、フランスにおける僕の役割です」

恩師からの依頼で、フランスでの酒造りについて論文にまとめ、発酵や醸造に関する学術書『発酵・醸造食品の最前線Ⅱ』(シーエムシー出版刊)に寄稿した。

恩師からの依頼で、フランスでの酒造りについて論文にまとめ、発酵や醸造に関する学術書『発酵・醸造食品の最前線Ⅱ』(シーエムシー出版刊)に寄稿した。

今井さんにとってフランス進出はゴールではない。あくまでも、日本酒を世界酒にする第一歩だ。尊敬する明治時代の広島の醸造家で、軟水による醸造法を体系化した三浦仙三郎翁の座右の銘、「百試千改(ひゃくしせんかい。百回試して千回改良する、の意)」を地で行くかのごとく、硬水によるレシピ改良を幾度となく繰り返した。生まれながらにして古典となるよう「THE CLASSIC」と名付けられたその酒は、洗練された酸と、体になじむ液体としてフランスでも受け入れられ、「WAKAZE」を象徴する定番酒となる。

やがて、現地の星付きレストランやチェーン展開する大手ワインショップに置かれるようになり、フランスの飲酒文化に少しずつ溶け込み始めた。日本にも今年の初めくらいまでフランス産SAKEとして輸入されていた(現在は山形の日本酒蔵にレシピを渡し、委託醸造)。輸入が過去形な理由は二つある。ひとつは、フランス産の「THE CLASSIC」は、フランス国内での需要が高く日本への輸出に回せるだけの生産量が確保できなくなったこと。

「もうひとつは、ウクライナ情勢の影響です。重量のある液体をボトルに詰めて世界各地に届ける形は、もう限界かな、と。そこで思い起こしたのが、最近、食の世界でもよく聞く3Dプリンターです。設計図のデータが3Dプリンターに送られて、転送先で具現化するという仕組みですが、その考え方を日本酒のスケールにあてはめてみると、3Dのデータのように日本酒を造る技術やレシピが海を越えて、現地の水と素材で、現地の造り手がプリンターのごとく具現化する。国をまたいだ流通は戦争や為替の影響も受けやすいですし、サステナブルの観点などから考えてみても、レシピを行き来させる方がいい」

動かすのはボトルではなく、レシピ。世界情勢の影響を肌で感じるフランスで、日本酒を世界で造る道筋がいっそう明確になった。

2023年7月、フランスのトップシェフ、ティエリー・マルクス氏とコラボレーションしたSAKEも発売。シェフのレストランでも提供されるほか、日本でも購入可能。

2023年7月、フランスのトップシェフ、ティエリー・マルクス氏とコラボレーションしたSAKEも発売。シェフのレストランでも提供されるほか、日本でも購入可能。


世界食となった「SUSHI」に世界のSAKEへの道標を見る

今年もまた、「WAKAZE」に大きな動きがあった。かつて、日本酒普及のために、各大陸ごとに醸造所を造りたいと話していた今井さん。2つ目の大陸としてアメリカに新たに拠点を設けた。ご存じの通り、アメリカは自家醸造大国でもある。クラフトサケが語られる際、発想や副原料の自由さでよく引き合いに出されるクラフトビールには、酒造りの体験を0→1に引き上げるホームブルーイングが出発点だったというブルワリーも多い。

「自家醸造が合法の国では、ホームブルーイング→ファントムブルワリー→ブルワリーという段階を踏みますが、日本には気軽に試せるホームブルーイングという過程が抜けているため、僕たちもファントムから始めるしかなかった。もし、日本にも自家醸造文化が残っていたら、日本酒の未来も全然違っていたかもしれないと思います」

ノートブック片手にフランスや日本など各地を飛び回りながら酒を設計する姿は、現代の杜氏像を更新する。

ノートブック片手にフランスや日本など各地を飛び回りながら酒を設計する姿は、現代の杜氏像を更新する。

「いろいろな角度から考えを整理するにはノートに書き出すのが一番」と、酒を設計するにあたり、マクロやミクロの視点で記したノート。

「いろいろな角度から考えを整理するにはノートに書き出すのが一番」と、酒を設計するにあたり、マクロやミクロの視点で記したノート。

自家醸造を通して基礎知識が身に付いている人を、酒造りのOSが搭載されている状態として捉えてみると、さしずめSAKEはひとつのアプリといったところか。ダウンロードさえすれば、アプリは動く。アメリカでSAKE造りが始まれば、ホームブルーイングの経験がある蔵人が集まり、SAKE造りは比較的速やかに稼働し、副原料や製法も柔軟なアイデアが飛び出す可能性がある。造り手が誕生すればするほど、層が厚くなればなるほど、SAKEのダイバーシティはもっとカラフルになるはずだ。

「恐らくアメリカでのクラフトビール市場は若干飽和気味なので、彼らがネクストを求めてSAKEに流れ込む可能性はあると思います。しかも当然のように副原料を使うので、何か面白いものが生まれるかもしれません」と、アメリカ拠点への期待を語る。SAKE造りのグローバル化が進むこうした状況を、今井さんは今や世界食となった「SUSHI」の構造と重ね合わせて俯瞰する。

「これまでの一般的な傾向として、価値が高いとされる日本酒は、酒米のランクやどれだけ米を磨いたかなど、米の純粋性に向かっていたように思います。“すし”に例えるならば、とにかく“究極のシャリ”を提供するという方向性です。でも、本来、“すし”は酢飯の上に地元でとれる旬のネタがのってこそ、完成するわけですよね。“すし”が世界中で発展した理由の一つに、「酢飯+ネタ」という大枠の中で、各地の食文化にローカライズされたことが挙げられるかと思いますが、それと同じように、SAKEでも「米+副原料」という型に、世界各地の多様な価値観が加わり、その地で普遍的な文化として花開いていくのではないか。海外で造るSAKEや、日本で造るクラフトサケにわくわくするのもそこだと考えています」


今は革命前夜。世界の造り手を目覚めさせる術を用意する

と、ここで、「最近、フランス革命が起きた要因を調べていて・・・」と、一見、日本酒とは遠い話題を切り出した今井さん。

「もちろん、様々な考察があるのですが、ひとつの説として、フランスの啓蒙思想家であるディドロらによる『百科全書』という知を体系化した書が出版され、知識が特権階級以外にも解放されたことにより、外の世界との接続を促された民衆たちが目覚め、結果的に革命の下地を作った、と。だから、WAKAZEや僕個人がやるべきことは、そんな下地を作ること、世界のSAKE革命を準備する『百科全書』を作ることなんじゃないかという気がしています。いろいろな原料や醸造技術を一度全部棚卸しする感覚です。そこまで示したら、あとは自然発生的に、国内でも世界各地でもSAKEが造りたくなった人が造れるような基盤ができる。それが、今の自分の役割なのかなと思います」

読書家の今井さんは、日本の伝統文化や思想など、酒造りに直接関連したテーマ以外の本からも、酒造りのインスピレーションを受けることも。

読書家の今井さんは、日本の伝統文化や思想など、酒造りに直接関連したテーマ以外の本からも、酒造りのインスピレーションを受けることも。

どぶろくを造るにあたり読み込んだのが、名著『諸国ドブロク宝典』(2020年、農山漁村文化協会刊)。三軒茶屋醸造所の誕生が一つのきっかけとなり、1989年・1998年に刊行された名作が合本となり復活した。

どぶろくを造るにあたり読み込んだのが、名著『諸国ドブロク宝典』(2020年、農山漁村文化協会刊)。三軒茶屋醸造所の誕生が一つのきっかけとなり、1989年・1998年に刊行された名作が合本となり復活した。

フランスの啓蒙主義からの思索の飛距離と弾力性に、思わず舌を巻く。そこに、日本や、フランス、アメリカなどでの酒造りで得た知見が重なれば、さぞかし強度の高いSAKEの『百科全書』ができ上がるに違いない。海を渡った醸造家のまなざしは、すでに未来の造り手に向かっている。


今井翔也(いまい・しょうや)
1988年生まれ。日本酒スタートアップ「WAKAZE」最高醸造責任者。1841年創業、群馬「聖酒造」の4人きょうだいの三男として生まれ、幼少期より酒造りが身近な環境で過ごす。東京大学農学部卒業後は食品EC企業「オイシックス」に就職し、酒造りへの関わりを思案する中で、現CEOの稲川琢磨と出会い、2016年に「WAKAZE」を創業。秋田「新政酒造」、富山「桝田酒造店」、新潟「阿部酒造」、そして実家の「聖酒造」で修業を重ねる。2018年7月には「三軒茶屋醸造所」を立ち上げ、約1年間初代杜氏を務めたのち、2019年9月にフランスへ渡り、パリ醸造所「KURA GRAND PARIS」を設立。修業先の酒蔵で得た技術や思想をベースに、「日本酒を世界酒に」の実現に向け邁進中。

◎WAKAZE
公式インスタグラム:@wakaze_japan

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