86歳。「夢は宝くじ当選。お金がなくて勉強できない子たちに世界中を見て回らせたい」
生涯現役|「ト二ーズピザ」藤原亀吉
2024.08.13
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
藤原亀吉(ふじわら・かめきち)
御歳86歳 1938年(昭和13年)4月1日生まれ
学生時代から政治学を学び、1961年、J.F.ケネディ大統領の就任演説に感銘を受けて渡米。タイムズスクエアにあったピザハウス・TONY’Sでピザを学び、帰国後の1968年に代々木でTONY’S PIZZAを創業。82年に吉祥寺に移転し、現在に至る。長年、山登りが趣味だったが、現在の趣味は「政治を語ること」。毎日の銭湯通いがルーティン。
(写真)店主の藤原亀吉さん。代々木で15年、その後吉祥寺に移転し40年。今年11月で創業56年目を迎える。「人との縁が何より大切」という思いを表すのが、「何かの時に、誰にでもすぐに渡せるように」と、毎週12キロ前後を仕入れる茨城産のさつまいも。40年来の相棒のピザ窯で、「いつでもすぐに渡せるように」焼いておくのがお決まり。
僕はね、人と何かを争う時
ゼロからスタートする時は、勝てると思う。
うちのピザはチーズが主役。生地の縁から溢れるぐらい、たっぷりチーズが乗ってるでしょ。これがイタリアとは違う、ニューヨークスタイルのピザ。これだけチーズが乗ってるけど、不思議と胃もたれしないから、うちはシニアのお客さんも多いんだよね。
チーズはオランダ産のエダムと、ドイツ産のモッツァレッラ、デンマーク産のマリボーの三種類。それぞれ15キロの塊で仕入れて、チーズによって削り方も変える。それを、注文を受けてから伸ばす生地にたっぷり乗せるわけ。もちろん具材も大事だけど、チーズと生地というピザそのものを味わえる、日本人の口に合うピザを作りたいと思って55年間作ってきました。
渡米したのは、25歳の時。ケネディ大統領就任のスピーチを聞いて大感銘を受けて、僕もアメリカで政治が学びたいと追いかけてったの。当時、ニューヨークで住んだアパートの1階にあったのが、「ピザハウスTONY’S 」で、毎朝ここのピザを食べてました。
ところが渡米した年にケネディが暗殺されて、学生時代から続けてきた政治学を学ぶのをやめちゃった。全国民が喪に服した国葬では、あれだけ人前で泣いたのは初めてってぐらい泣いた。ケネディへの憧れがあまりに強かったから、気持ちを整理するだけでも大変でね。その時、日本にいたお袋の目が見えづらくなっていたのもあって、日本に帰ろうと思った。
さあ、政治の代わりに何をしようかと考えた時に思い浮かんだのが、当時まだ東京になかったニューヨークスタイルのピザハウス。とは言っても、帰国時に手元にあるお金はほんのわずかで、さあ困ったと。ありがたいことに、ニューヨーク時代のルームメイトが、結婚資金を貸してくれた。そのお金がなければ、とても店なんてできなかったから、今でも本当に感謝してるよ。
最初に代々木で創業したのが1968年。64年が新幹線が開通して、東京オリンピックが開かれた年だから、時代の変わり目だよね。僕がピザハウスを始めて、まもなくマクドナルド一号店が銀座でオープンしたり、日本のフードビジネスもぐっと広がっていった時代。
僕はね、人と何かを争う時、ゼロからスタートする時は勝てると思う。でも人がすでにやっていることをやると、勝てる自信がない。ピザハウスは、誰もやってなかったから、ここまで続けてこられたと思ってる。それに人に恵まれて、いろんな人の助けがあったからこそ今があります。
朝は5時半に近くの銭湯に行って風呂に入るところからスタート。昔、山男だったから、足腰が悪いの。その後、朝7時〜夜9時まで店で過ごす。食事は食べる時間があったら食べる感じだね。寿司、うなぎ、トンカツ、なんでも食べるよ。欠かさないのは、コーヒーと水。日本の水はうまいからねえ。
僕の夢は、宝くじを当てること。それでお金がなくて勉強できない子たちに賞金を渡して、「一年間、世界中を見て回ってこい」と言いたい。僕がアメリカに行った頃のような、若さと情熱がある子たちにね。そして僕もまた、あの頃のような度胸と若さと情熱がほしいねえ。
毎日続けているもの「ピザ」
◎TONY’S PIZZA
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-6-9
☎0422-49-1021
11:00~21:30 月曜休(祝日の場合は翌日)
JR吉祥寺駅より徒歩5分
Instagram:@tonys_pizza1968
(料理通信)
◎関連リンク