パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.20 ロンバルディア州ブリアンツァ産生ハム
2017.10.30
注*1:オッジョーノ湖(Lago d’Oggiono)はアンノーネ湖(Lago d’Annone)の東側部分を指す
新しい時代の到来に、湖を見渡す丘で
生ハムの可能性に賭けた夫妻
イタリアのエノガストロノミーは、直感とそれを実行する能力、それに地域の自然条件が上手くミックスされた時に生み出されるものだ。
それを語るのにうってつけなのが、ロンバルディア州レッコ県ブリアンツァ(Brianza)地域にあるこのマルコ・ドッジョーノ生ハム工房(Marco D’Oggiono Prosciutti)だろう。
ルイジとアンジェラ・スプレアフィーコ(Luigi & Angela Spreafico)という夫婦が、食肉加工会社を開業したのは1945年、第2次世界大戦が終結して間もなくだった。
が、その母体はさらに20年余りも前に存在していた。
1927年、レッコ市で発行された雑誌には、ターヴォラ・フェリーチェ(Tavola Felice:苗字が「食卓」、名が「幸福な」とは、何と言う名!)という生産者が掲載した、生ハムの広告ページがある。
「このフェリーチェが、私たちの母方の祖父だったの!」
現在のマルコ・ドッジョーノ生ハム工房は、ルイジとアンジェラの子供たちが切り盛りしているが、その一人、アニェーゼが語ってくれた。
「私の父、ルイジは、祖父の工房で見習いをしていて、母アンジェラと恋に落ちてね……。でも、戦争が始まるとトリデンティーナ山岳歩兵隊としてギリシャへ、その後ロシアに出征して行かなければならなかったの。幸運にも父は数少ない生き残りの一人として祖国に戻ることができ、母と結婚できた。そして自分たちの生ハム工房を立ち上げたというわけ」
ここ、ブリアンツァ(Brianza)地域では、その当時、肉の保存食の製造、つまりサルメリア(salumeria)と言えば、もっぱら農家を渡り歩いて豚を屠殺する出張肉屋の仕事で、おろした肉のほとんどはサラミ作りに充てられていた。
だが、この地方にはかなり以前から生ハムを作る技術があった。
生ハム製造には豚モモ全体を用いるが、熟成中に目方がかなり減ってしまうため、無駄を嫌う農家の人たちが、不経済だからと敬遠していただけだ。
終戦を迎え、新しい時代の到来に、ルイジとアンジェラはフェリーチェが行っていた生ハム作りの可能性を直感した。
これからは生ハムの時代がやって来るはずだと家業として選んだ。
そして 彼らの直感を後押しするであろうオッジョーノという村の特殊な自然環境に目を付けた。
この村は、氷河期に形成された村と同名のオッジョーノ湖*1に面していた。この湖の周囲は、円形劇場を形成するかのような丘があって、クリやハリエンジュの森に覆われている。
つまり湖面に立ちのぼる空気を森が深く吸い、生ハムの熟成に最適なミクロ気候を作っているのだ。
二人はこの村に自分たちの工房を作ることにした。
生ハムの良し悪しを決めるのは、
塩の量を決めるマエストロ
彼らの工房は丘を背に建っている。
熟成室に吊るされたハムたちに、湖からそよぐ風を目いっぱいに当ててやれるよう、窓は大きくとってある。
ハムを乾かすのに必要な空気の通り道が完全に確保され、熟成環境は申し分ない!
だが、生ハム製造全体で見れば、熟成は最後の段階で行われる一つの工程にすぎないことを、『料理通信』の読者の皆さんもご存じだろう。
厳しい品質検査によりセレクションされた豚のモモ肉(イタリア産大型種の豚のもの)が届くと、検品した後に整形作業に入る。
ただ、形をきれいに整えればいいというものではない。
どのモモ肉も同じように均一に塩が浸透するよう塩梅しながら作業を進める。
そして質の良し悪しを決めるのは、次の塩を揉みこむ作業だ。
パルマなどの有名産地と同様、熟練した腕を持つ「マエストロ・サラトーレ(maestro salatore)」が塩の量を決める。
この工房では海水塩のみを出来るだけ少なく使用しているのがポイント。
マッサージを受けたところで、温度管理のされた冷蔵室でちょっと一休み。
そして前述の熟成庫で16~22カ月の眠りにつく。
今日、マルコ・ドッジョーノ生ハム工房は、ルイジとアンジェラの子供たち、ディオニジ、アニェーゼそしてジュリアにその舵取りが引き継がれており、その次の代も既に現場で彼らの背中を見守っている。
僕が主催する食の祭典、「ゴロザリア・ミラノ」にも参加しているが、彼らはかなりの古株になった。
オッジョーノ湖の朝の空気を思わせる柔らかな甘みに澄んだ味わいの生ハム。
それを熱く語るアニェーゼの快活な笑い声は、イベントの風物詩にすらなってきた。
生産品も、生ハムに加え、スモーク生ハム、加熱ハム、モルタデッラにコッパなど様々な食肉加工品を手掛けるようになった。
1400年代の画家でオッジョーノ出身の有名画家に肖りその名をつけたこの工房。
ここが、いかに足腰のしっかりした生産者となっても、目玉商品はやっぱりプロシュット(生ハム)だろう。
食材店などでは手に入り難く、主にレストランなど飲食店で生産者名入りでメニュー載せられているほど珍重されている。
マルコ・ドッジョーノ(Marco d’Oggiono:1475年頃オッジョーノ生まれ-1530年頃ミラノ没)は、かのレオナルド・ダ・ヴィンチの最も優秀な弟子の一人だった。
彼にまつわるアニェーゼの話もこれまた楽しい。
「この地区で最も有名人というと、この画家だということで母が社名として選んだんですよ。ところが、うちのハムの方が知られるようになると今度は、私の兄の名前がマルコだと思い込む人が増えちゃってね。で、私が兄の嫁だと思われてドッジョーノの奥さんなんて呼ばれる。誤解を解くために会社にポスターまで貼ったわよ!」
村にはマルコ・ドッジョーノが描いた「最後の晩餐」の優れた複製が保存されている(本物は、フランスのエクアン城内 国立ルネッサンス美術館収蔵)。
また、ダ・ヴィンチによる「岩窟の聖母(La Vergine delle Rocce)」をはじめとする有名な絵画の背景に丘が描かれているが、それはオッジョーノ湖から見渡せる丘だともいわれている。
ブリアンツァ産の風味豊かな生ハムを生んでいるまさにその丘だ。
「今じゃ私たちもマルコが家のご先祖様に思えてきてね……。だって、家が繁盛しているのは彼のお陰でしょ。大切に思ってますよ。ミラノのスカラ座前にダ・ヴィンチの像があるのは知ってるでしょ? その下に4人の愛弟子も彫られてる。
私たちのマルコは、ミラノ市庁舎のマリーノ宮を背にして左側、一番若くてハンサムなのがそう! ミラネーゼたちはこの4人の弟子を『メッズ・リーテル・イン・クワーテル(mezz liter in quater)』って呼んでる。方言で半リットルのワインを4人で分けた人って意味。ダ・ヴィンチはかなりのケチだったらしくてね。弟子をこき使い、くれた駄賃は微々たるものだったそうよ」
まるで自分の本当の身内の話をしているかのように、アニェーゼはどんどん熱くなっていく。
だが、これはまた、別の話……。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
shop data
マルコ・ドッジョーノ生ハム工房
Marco D’Oggiono Prosciutti Srl
Via Lazzaretto, 29
23848 Oggiorno (Lecco)
Tel +39 0341 576285
www.marcodoggiono.com
info@marcodoggiorno.com
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。