パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.43 ロンバルディア州クレモナのキャビア生産者
2020.02.20
アルビノ(先天性色素欠損症)のチョウザメから得られる希少な白いキャビア
ルネサンス期から珍重されていたイタリア産キャビア
キャビアを前に、見て見ぬ振りは出来んだろう。なんと言っても高級食材じゃないか。
「キャビア」と耳にして、ロシアの君主ツァールの宮廷で大広間の扉がパーッと開くのを思い浮かべる向きもいれば、「西洋文明のゆりかご」と言うべき20年代のパリへとタイムスリップする御仁もいるだろう。さもなくば単に富みのひけらかしとか、スノビズムのシンボルに思える人もいるに違いない。
率直に言って僕はキャビアは好きだ。イギリスの文人G.K.チェスタトンが言うように、「主義主張のために敢えてシリアルを噛み下す人間よりも、キャビアを目にして衝動的に頬張る人間の方がよほどシンプルだ」と思う。
イタリアルネッサンス期の宮廷料理に関する文献にキャビアは高級珍味として広く登場するが(『Oxford English Dictionary』によれば、英語名「caviar」はイタリア語の「caviale(カヴィアーレ)」に由来するとある)、同じ頃のロシア人とってチョウザメは未だその白身のおいしさを楽しむもので、卵の旨さは知られていなかった。
1491年、レオナルド・ダヴィンチは、パヴィアを流れるティチーノ川沿いを散歩していて、大きなチョウザメが泳いでいるのを見つけ、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(Ludovico il Moro通称イル・モーロ)に輿入れするベアトリーチェ・デステ(Beatrice d’Este)へチョウザメの卵を贈ることを思いついた。その際、ダイヤをはめ込んだ小箱に入れて贈ったというのだから、既に当時からキャビアがいかに貴重であったか想像がつくだろう。
僕は、この話をイタリア産キャビア「アダマス(Adamas)」を生産するサルモ・パン(Salmo Pan)社のキャビア数種類をテイスティングしながら同社の3代目、マッテオ・ジョヴァンニーニ(Matteo Giovannini)から聞いたものだから感動もひとしおだった。
Web料理通信の読者諸君にもこの最高のキャビアを味わってもらえないのが大変残念だが、今回はどうかその話だけでも楽しんでいただきたい。
100年の寿命の持ち主、チョウザメの養殖を可能にする湧水の宝庫
ここはロンバルディア州クレモナ県パンディーノ(Pandino)、トルモ川自然公園(Parco Naturale del fiume Tormo)の広大な敷地内には平坦なエリアが多く点在し、小川が縦横無尽に流れ、あちらこちらに湧水が見られる。
この地域の土は水はけがとても良く、雨水は地下深くまで浸透するが、一旦透水性の悪いにぶつかると、今度はその水が湧水となって地表面に再び溢れだす。地上に湧き出た水は、特に清らかで、水温は冬場なら9~10 °C、夏でも12~15 °Cとほぼ一定を保っている。
このように汚染されておらず、魚の養殖に適したこの地域で、マッテオの祖父アレッサンドロ・ジョヴァンニーニ(Alessandro Giovannini)は50年代当時のイタリア北部では最も高級魚とされていた鱒の養殖に乗り出した。養殖業ではパイオニア的存在だった。
アレッサンドロは13人の子供をもうけたが、そのうちの3人が養殖業を継ぎ、3人のうちのアルフレード(Alfredo)が80年代に現在の「有限会社サルモ・パン(Salmo Pan Srl)」をパンディーノに設立した。ところがイタリア人の味覚が変わり、鱒の需要は海水魚にとって代わられ、会社は岐路に立たされた。
そんな頃、釣り人が川でチョウザメを釣り上げたものの大き過ぎて扱えないからと、生きたまま養殖場へ持ちこむことが何度かあった。釣り人のチョウザメとそれに相当する鱒を交換したが、生命力の強いチョウザメは生簀で生き続けたから、その数が少しずつ増えていった。
チョウザメ目(もく)には世界に27種ほどいるが、そのうち3種は正にここイタリアの在来種であることを諸君は知っているだろうか?
アドリアチョウザメ(別名コビチェCobice: 学名Acipenser Naccarii)、バルチックチョウザメ(別名ストゥリオ Sturio : 学名Acipenser sturio)、そして最も高級キャビアを産するといわれる「ベルーガ」の名で知られるオオチョウザメ(別名ラダーノLadano: 学名Huso huso)だ。
恐竜と見紛う風貌に加え、2億年以上前から生存していることから「生きた化石」とも呼ばれる。河口近くの海水に生息し、産卵期になると川を遡上する。寿命が100年にもおよぶ長寿の魚だ。
ベルーガはヨーロッパ圏に生息する淡水魚では最大で、全長9メートルにまで成長することがある。在来種の魚全般について言えることだが、70年代まで続いた乱獲、環境汚染や河川に築かれた堰のために遡上が妨げられ、イタリアでは野生のベルーガ種は事実上絶滅状態にある。
CITES (絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約=Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)により、2006年に野生のチョウザメ漁に関する通達が出され、チョウザメ漁が禁止され、現在生産されているキャビアは全てが養殖されたチョウザメから得られるものだ。
さあ、そこで養殖チョウザメから卵を孵化させる方法を最初に開発したのが、正にマッテオの伯父、ジャチント・ジョヴァンニーニだったのだ。
最高級ベル―ガの卵巣を採取できるまで30年、次世代が味わうキャビア
現在、サルモ・パン社の養殖場ではチョウザメだけを扱い、「Adamas(アダマス)」というブランド名でイタリア国内の企業としては最高品質のキャビアを生産している。「Adamas」とは、ラテン語でダイヤモンドの意味で、川面でこの魚の鱗が陽の光を反射する煌きのためにチョウザメが「川のダイヤ」と呼ばれることから、この名を選んだ。
長寿のこの魚が卵巣を採取できる状態まで発育するには10年、最も高級なベルーガでは30年を要することを考えると、チョウザメ養殖からキャビアを生産するビジネスは、次世代への投資となることを意味する。
魚の体重全体の10%に当たる卵巣を採取し、ふるいの網目を用いて卵巣から外し、洗浄してから塩漬にし、最後に缶に詰める。
「Adamas」ブランドでは、チョウザメの品種により全7種類のキャビアを生産しているが、最も人気があるのは当然ながらベルーガだ。
だが、さらに高価なのは、カスピ海の典型的アルビノ(先天性色素欠損症)のチョウザメから得られる白いキャビアで、かなりの希少価値があるが、このアルビノを捕獲し養殖に成功したのも世界で唯一この「Adamas」だけなのだ。
とてもデリケートでうっすらとフルーティーな味わいがあり、古にはこの類稀れなるキャビアを口に出来たのはツァールのいる宮廷での晩餐だけだったというではないか!
マッテオの話に再び耳を傾けた。
「Adamasのキャビアの品質は、『最高のキャビアは野生のチョウザメのもの』という定説を覆しました。多くのブラインドテストで試食者は僕たちの生産するキャビアの方がより優れていると断言しました。
僕たちのさらなる強みは生産から納品までのトレーサビリティが可能で、世界中の何処へでも48時間以内に新鮮な状態で届けられることを約束しています。また、僕たちの養殖場は自然公園内に設けられ、餌に関しても特にメスがより良い状態で成熟期を迎えられ、卵巣を採取するまで最高の条件下におかれます。
魚の本来の生活環境と養殖場の環境を物理的に同じにする、具体的にはソーラーパネルによる電力供給、水質も優れ、抗生物質や消毒剤不使用で汚染が全くないという、完全に持続可能な環境づくりを研究し実施することで、商品の鮮度は大きく改善しました。
また、卵巣のために犠牲にした魚の命も無駄にはしません。魚肉は食用に、頭部からはとても良いだしがとれます。卵を外された後の卵巣の残りからはエキスを抽出し、世界で最も高価な化粧用クリームに用いられます。さらにはチョウザメの皮膚をなめして利用しようという興味深い研究も進んでいます。
浮き袋は自然物質から得るゼラチンに利用されることは良く知られていますが、今日では生産コストがかかり過ぎ、貴重な古い絵画などの修復という用途のみこれを用いているようです」
チョウザメがここまで重宝な生き物であったとは、冒頭であの粋な贈り物をした偉大な天才レオナルド・ダヴィンチでも、さすがに想像すらつかなかったであろうよ。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
[Shop Data]
Salmo Pan srl
Via Castello, 75 Pandino (CR)
Tel +39 0373 970 515
info@adamascaviar.com
https://www.adamascaviar.com/
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。