<番外編>パオロ・マッソブリオと仲間たちの
「京都・静岡・鎌倉・秩父」弾丸ツアールポ 後編
2018.10.17
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
日本へ発つ前、クラブ・パピヨンの23人の仲間たちには、イタリアこそが「比類なき食の大国」だという自負がありました。ところが京都の「室町和久傳」で口にした“もてなし”の料理、焼津で目にした前田尚毅さんの魚を扱う“技”に、イタリアが培ってきた「伝統」「旬」「素材」や「仕事への情熱と誠実さ」といった価値観を同じように見出し驚きます。それはまさにパオロ・マッソブリオが掲げる今回の旅のテーマ「日本とイタリアの食文化は、真正面から向き合える」に通じるものでした。弾丸ツアーの後半は、仲間たちの足どりもどんどん軽くなっていきます。
【3日目】伊豆のワサビ田で収穫体験
日本の魚食文化の奥深くを紐解いた翌朝は、伊豆半島天城のワサビ田見学で始まりました。静岡県農芸振興課、天城わさびの里、そして「しずおかコンシェルジュ」海野裕子さんの協力で実現しました。
現地に到着すると雨空に迎えられますが、一行は落ちてくる雨を気にもとめず、生産者 鈴木丑三(うしぞう)さんの案内で林の中を進みます。そして下田街道に抜けた途端、あちこちで「あっ」と声が上がりました。
雲の切れ目から差す初夏の日差しが豊かな湧水の流れる棚田を照らしていたからです。畳石式と呼ばれる天城地方特有のワサビ田で、『静岡水わさび』として世界・日本農業遺産の指定地域に含まれています。「この美しい緑の植物があの辛ーいワサビ!?」茂るワサビの葉の青さに誰もが見入ります。
「皆さん、ワサビを収穫してみたくないですか?」
現地のみなさんが用意くださった長靴に履き替えると、老若男女が斜面に飛びつき、棚田の中腹まで一息に登っていきます。鈴木さんの手を借りてワサビを引き上げ、小さなワサビの根の固さ、パリッと大きく成長した葉や茎の重みに驚きます。
「日本でこんな経験ができると思わなかった」と感無量の仲間たちに、「実はこのワサビは収穫には少し早すぎるんです。ワサビは収穫に2年かかりますが、最後の1カ月で一気に倍の大きさに成長します」と、今年86歳になる鈴木さん。「天城わさびの里」内の工房に移動して、さらに写真を見ながらお話を聞かせてくださいました。
「ワサビは寒さに強く、暑さと日差しに弱い。現代では黒い布で棚田を覆って光を遮断しますが、昔はハンノキが植えられていました。日差しが強くなる頃に葉が成長して日光を遮り、陽が弱まるころに葉が落ちる。けど、落葉したら掃除をせんといけないでしょう? それで布で代用するようになった。私の畑ではハンノキを出来るだけ残し景観を守りたい。ワサビはビタミンが豊富で抗菌力も抜群。だからほら、私もこんなに元気なんです!」。鈴木さんの顔の色つやに全員が頷きます。
「不思議ですね。鈴木さんのワサビ田を見ていてロンバルディアのヴァルテッリーナに広がるブドウの段々畑を思い出しました。その地域も澄んだ水が流れているんですよ」と、マッソブリオ。
「イタリアにもワサビが育ちそうなところがあるんですか? 行ってみたいな」まだまだ好奇心旺盛な鈴木さん。その気力にみんなが感心し、マッソブリオは少し羨ましいくらいだと告白しました。
静岡の皆さんに挨拶をして外に出ると、雨が本降りになっていました。まるで私たちのワサビ田体験が終わるまで待っていてくれたかのようでした。
日本人シェフの作るイタリア料理に血が騒ぎ、国家斉唱
この日の昼食には鎌倉のエノガストロノミア「オルトレヴィーノ」で日本人シェフ、古澤一記さんのイタリアンを楽しむことになっていました。
「日本で食べるなら和食だろう?」と半信半疑の仲間もいましたが、「一緒に来ればわかるさ」とマッソブリオは自信たっぷり。彼の食材・生産者ガイドブック『イル・ゴロザリオ』が古澤シェフと千恵さん夫妻の愛読書だったことが縁で3人の交流が続いています。
長谷にあるお店に到着すると、エントランスのガラス越しに見えるイタリアのアンティーク家具の風合いに、みんなの面持ちがみるみる変わっていきます。優しい笑顔で迎えてくれた古澤夫妻。トリノのルイザおばちゃまが店内をなめるように見回して「どうしてかしら、自分の家に戻ったような気がするわ!」
乾杯を済ませるや否や、さあ、お祭りのような騒ぎが始まりました。
生ハム、サラミ、モッツァレッラにタマネギのオーブン焼き、つまむ!
エビのグリル焼きバジル風味、かぶりつく!
マッソブリオの故郷の料理ラバトン(Rabaton)に同郷のルチア―ナが絶叫しておかわりに走る!
プリモにはトルテッリ、カゼレッチェ、頬ばる!
シェフのお手製ハム、ソプレッサ、噛みしめる!
和食三昧の数日間、確かに味覚と心は喜んでいたはずです。が、体はイタリアン独特のタンパク質や脂肪を欲していた。それぞれの品をあるべき姿に仕上げる古澤シェフの料理はそんなイタリア人のお腹にすーっと収まってしまう。「ここは天国だ!」仲間たちは食べ続ける。
マッソブリオにはここでもう一つの企みがありました。前回の日本滞在中に訪ねたワイン生産者、山梨「ボーペイサージュ」岡本英史さんのワインを仲間に知ってもらうこと。
無理にお願いして分けていただいた『a hum(ピノ・グリ)』と『La Montagne(メルロ)』をマッソブリオ自らが丁寧に抜栓し、グラスに注いで仲間に手渡します。『a hum』の長めの醸しで得た色の深さに魅せられ、大のワイン好きのドメニコも丹念にテイスティング。見事なストラクチャーに軽やかな酸味、ボトルの前から離れられなくなってしまいます。
マッソブリオが満足気に、
「オカモトと言う人はね、このワインの完璧さを得るのにブドウの粒(液果)を一つ一つ手作業で外していくんだよ。日本のワインも世界で胸を張れるまでになった。イタリアの生産者もおちおちしていられないね」
『La Montagne』のエレガントな仕上がりとキリっとした酸味と奥深さはイタリア人とは違ったメルロの解釈でかなり興味深い。店内全体の空気がどんどん高揚していきます。
「お待たせしました!」絶妙のタイミングで立派なイタリア版ロースト・ポーク、ポルケッタが古澤シェフ自らの手でテーブルに運ばれ、どよめきが起こります。こんがり焼けた脂身の下の赤身から滴り落ちる肉汁を目にした瞬間、彼らの体内でイタリア半島の他民族の血が一つになり、一気に沸きあがります。
誰からともなく起立すると、右手を左胸において「フラテェッリ、ディタリアッ!」イタリア国家斉唱が始まりました。
代表のウンベルトが急ぎ恭しくポルケッタの前で一礼すると指揮を始めます。日本人シェフの手による料理が一瞬にして彼らを「わが家(カーザ・ミーア)」へと誘った。その場に居た私たち日本人は、長谷の片隅に佇むお店の上に太陽が小さく輝いているような、温かな現象に立ち会わされたのでした。
【4日目】秩父のベンチャーウィスキー蒸溜所で見た情熱という宝
最終日の朝、関越自動車道を抜け、鬱蒼とした緑の窯伏山を越え、マッソブリオとその仲間をのせたバスは、埼玉県にあるベンチャーウィスキー秩父蒸溜所に到着。マッソブリオが今回の旅でとりわけ楽しみにしていた見学の始まりです。近年、イタリアでも日本のウィスキーは珍重され、日本が誇る「イチローズモルト」の蒸溜所を訪ねることは、彼の夢の一つになっていました。
同蒸溜所の若きディスティラー田畑総真さんの案内でまず樽工房に入り、井桁に積まれ乾燥を待つミズナラ材を目にします。見た目は無骨でも色調が美しい。ミズナラは繊維が荒く扱いにくい木材ですが、ミズナラの樽で熟成をすると、線香を思わせるオリエンタルな香りをウィスキーに生むそうです。難しくともミズナラ材を用い、イチローズモルトの生産に適した樽を社内で生産する道を選んだベンチャーウィスキー。
「私たちは可能な限り一貫生産を目指しています」と語る田畑さん。
イタリアなら、高いクオリティのモノづくりを目指す生産者にとって、これは当たり前の条件です。が、ベンチャーウィスキーのクオリティの追求はスケールが違う。マッソブリオも驚かされます。麦芽に使う大麦も同様で、地元秩父の農家にウィスキーに適した品種を蕎麦の後作として栽培してもらう。この蒸溜所には“たまたま”そうなったものなど一つもないのだとわかります。
蒸溜に用いるフォーサイス製のポットスチル2基の前で、田畑さんは「人の味覚を一番頼りに蒸溜を進める」と告げると、「そんなはずは!?」とクラブ・パピヨンでもウィスキー通のレオ(ウィスキー・テイスターの有資格者)が聞き返します。田畑さんが蒸溜作業で重要なタイミングとテイスティングを丁寧に説明していくと、レオも「凄い事だ!」と納得。
が、マッソブリオとその仲間たちの心を強く打ったのは、そんな緻密な作業の積み上げ、ダンネージ式に積まれた1500個の樽にもまして、旧羽生蒸溜所が閉じる際、廃棄の運命にあった400個あまりの樽を守り、このベンチャーウィスキー蒸溜所を生んだ肥土伊知郎(あくといちろう)氏のストーリーでした。苦境の中でもロマンを忘れず、世界に誇れるウィスキーを作り上げるまでに成長させ、彼のウィスキーに憧れ日本中から集まった若者たちと共に、秩父というテリトリー性を強く息づかせながらイチローズモルトを日夜進化させている。
最後に一行がウィスキーのテイスティングを楽しんでいるところに肥土氏が現れ、マッソブリオは感動を隠し切れない面持ちで握手を交わします。そして、「テイスティングの結果をお伝えしましょう」と、いつもの悪戯っぽい口調で続けます。
「試した6種類の中で僕たちが気に入ったのは、ピュア・モルト『MWRリーフラベル』のやわらかさとワールド・ブレンディッド・ウィスキーの心地よい酸味です。いずれもブレンディッドウィスキーなのが意外に思われるかもしれませんが、独特のバランスに魅せられました」
対して肥土氏、「いや、嬉しいですね。私はもともとブレンダーで、この二つのブレンドは自分自身とても気に入っています」。
「こんな蒸溜所がイタリアにあったらなぁ」と呟くマッソブリオ。彼は日本の森の中にひっそりと建つ小さな蒸溜所に、クラブ・パピヨンが求める理想のものづくりの姿をみていました。
【帰国前夜】イタリアと日本の仲間が一同に会した夜
7月26日付、イタリアの全国紙『Il Foglio(イル・フォッリョ)』でカミッロ・ランゴーネというジャーナリストがパオロ・マッソブリオの活動についてこう評しています。
「故ルイジ・ヴェロネッリは食文化の知識を職業になり得るまで高めた人で、パオロ・マッソブリオは彼を師として多くを学んだ。性格、学識、文体から活躍の時代まで大きな違いがあり、彼がヴェロネッリの完全なる後継者だとは言えないかもしれないが、この二人には他者には見られない共通点がある。それは、ワイン一つとってもその質を云々する以前に『生産者自身』に重要性をおくジャーナリストとしてのあり方だ。『スローフードのカルロ・ペトリーニは?』と言われそうだが彼はモラリスト、ヴェロネッリは放蕩者。マッソブリオはそのどちらでもなく、路傍のカトリック信者に収まることを敢えて選んだ。彼のガイドブックはいわば『旨いもののバイブル』だ。知らない街に行ってもこの本を広げさえすれば、その町の魅力を伝える食料品店や生産者に辿り着ける。彼こそが暮らしのマエストロだ。」
マッソブリオが優れた食品づくりの重要性を説き、生産者を大切にするという姿勢をとったのは、彼自身が農家の生まれで、生産者の生みの苦しみに寄り添うことの意味を心得ているからかもしれません。が、イタリアの食の世界で一角の者になっても末端の生産者から手の届く存在であり続けることは、実はかなりの労力を要します。マッソブリオが未だにそれができるのは、今回の旅を共にしたような仲間がイタリア中で彼を応援し、彼の傍に寄り添ってきたことも理由の一つです。
旅に参加した仲間、さらには協力をくださった『料理通信』のスタッフのみなさんも参加した最後の夕食会は、そんなマッソブリオと仲間たちにぴったりの「オトナノイザカヤ中戸川」。母の味を忘れず日々の料理に励む代々木上原の中戸川弾シェフのお店で和伊折衷の朗らかな食卓を囲むことが出来ました。
鎌倉での「オルトレヴィーノ」での感動を再現するかのごとく歌い、食べ、グラスを交わす間もマッソブリオはキッチン側にするりと入り、中戸川シェフと肩を並べ、励まし、今度はスタッフの労をねぎらう。「ほら、君たちも歌って!」と。
金言は残さなかったかもしれません。それでも、マッソブリオと仲間たちは、この旅で出会った素晴らしき人たちに温かな「モメント(わずかな時間)」の思い出を、少なくとも残していけたのではないかと思います。
最後に今回の旅の企画にあたり、ご尽力をいただいた全てのみなさん、腰痛をこらえ旅程のアシストをくださった藤川義文さんと中村房昭さん、そしてなんといっても『料理通信』のスタッフのみなさんへマッソブリオと仲間たちと共に心から感謝します。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。