DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS
それは南からやって来た。
2020.03.06
photographs by Hide Urabe
1月18~19日、沖縄県うるま市で18回目を数えるDINING OUTが開催されました。世界遺産の勝連城跡を舞台に料理の腕をふるったのは、バンコクで「Gaggan」を営んできたガガン・アナンドと福岡市「La Maison de la Nature Goh」の福山剛シェフによるポップアップユニット「GohGan(ゴーガン)」。昨年8月24日に「Gaggan」は閉店、近い将来「GohGan」として日本でのオープンが注目される2人です。
フーディの味覚武装を打ち砕く。
「Gaggan」は、「世界のベストレストラン50」で昨年4位、「アジアのベストレストラン50」では2015年から4年連続1位と、名実共にアジアのトップに君臨してきた。
「ガガンの料理は、連発される打ち上げ花火。2寸玉から4尺玉まで、多彩に打ち込む」
そう評するのは、「世界のベストレストラン50」のチェアマンであり、彼のクリエイションをよく知る中村孝則さんだ。中村さんは今回のDINING OUT のホストでもある。
「ストリートフードに着想を得た料理や手で食べるプレゼンテーションなど、フーディの味覚武装を打ち砕く」
“Progressive Indian Cuisine”を名乗ってきた所以である。
その最たる一品が「Lick it Up(舐め上げろ)」。Kissの「Lick it Up」にインスピレーションを得て誕生したという。料理名通り、カトラリーを使わずに、両手で皿を持ち上げて、舌で直接舐め取って食べることを客に要求する。挑戦的な提示に一瞬ひるむが、同時にその挑戦は食べ手に対して思考を要求していることにも客は気付く。カトラリーを使わない食べ方が及ぼす心理的影響、舐める行為に人はなぜ抵抗感を持つのか、これはマナー違反なのか、マナーとは何なのか……。「タイの王室が食事に行った際にもカトラリーを使わせなかったと聞いています。食べる時は全員が平等であるという考えを貫いているのでしょう」と中村さん。
ポップアップユニット「GohGan」として参加したDINING OUTでも「Lick it Up」は登場した。
カラフルなパウダーは、出身地インドのホーリー祭を彷彿とさせる。沖縄伝統のドゥルワカシー(田芋、椎茸、豚肉で作るペースト状の煮物)を潜ませ、シグニチャーディッシュのスタイルはそのままに、沖縄バージョンへのアレンジと言っていい。食材も味覚的にも、ビジュアルも文化的エッセンスも、ありとあらゆる要素をめいっぱい詰め込んで投下する手法は、レストランランキングが世界の料理トレンドを決める時代ならではだろう。
中村さんによれば、「GohGanのコンセプトは5つのS、Sweet、Spicy、Solty、Sour、Surprise」。それらが全部入っている。絞り込んだり、削ぎ落としたり、集約や統合されることもなく、重層的に炸裂するインパクトは強烈である。
GohGanを起用した理由とは。
ポップアップユニット「GohGan」が結成されたのが2015年。以来、コラボレーションを重ねて、12回目を数える今回が最後のコラボとなった。
DINING OUT総合プロデューサーの大類知樹さんは、ディナー会場の勝連城跡について調べるうちに、そこを舞台として料理するのは「GohGan」がふさわしいと思い至ったという。
「勝連城は、15世紀、勝連半島の統治者として活躍した阿麻和利の居城だったことで知られます。阿麻和利は、海外との交易で富を築き、覇権を広げました。城跡からは中国をはじめとする外国産の珍品が多数出土して、往時の繁栄を窺わせる」
自然の断崖を利用して築かれた石垣の上に上がると、一気に360度の視界が開け、海上交易の要衝として機能したであろうことがよくわかる。
「阿麻和利は、首里の国王、尚氏を攻めるも破れ去り、勝連城は廃城に追い込まれました。ために、逆臣として語られがちですが、記録によっては徳の高い畏敬すべき存在として描かれている。民衆のヒーローであったことが窺い知れるのです」
そんな阿麻和利のインターナショナル性、アグレッシブな開拓精神、プロデュース力などとGohGanを重ね合わせたのだという。
文化外交の象徴、泡盛。
全15品、3時間に及ぶ花火の連打に並走したのは泡盛である。
ディナーは泡盛で幕を開け、泡盛で幕を閉じた。
勝連城がかつて交易の拠点だったことからも、琉球が国際国家であったことは明らか。その例証が泡盛である。
世界の2大海流のひとつとされる黒潮の流路に沿って弧状に分布する琉球には、先史以来、多くの人々が往来した。「南海陸橋」「道の島」「海上の道」と呼ばれる地の利があったにせよ、琉球王朝がなぜ世界とつながる貿易国家になったのか? それは、琉球王朝が武力ではなく文物で外交を行なったからだ。
そんな交易の中で泡盛も流入した。長らく泡盛はタイから伝来したと考えられてきた。近年では諸説あって、必ずしもそうとも言い切れないようだが、とはいえ、タイの酒ラオ・ロンとの類似性は学者たちに指摘される通り。
稀代の酒博士・坂口謹一郎著の「君知るや名酒泡盛」によれば、16世紀初めに琉球で造られていた酒はタイから伝えられたとされ、中国の酒とも同じ製法だったが、18世紀初頭になると、日本酒の造りに近づいていたという。また、黒麹菌で発酵させる製法は沖縄で確立された。
島国――日本本土もそうであるが、とくに沖縄のような小さな島国――の場合には、文化は海によって運ばれ、また、海によって隔離される…(中略)…沖縄県民は長い歴史を通じて、日本と中国と南方諸国との間に立って、流通と隔離との波に揺られながら、それらの影響下に自らの体質に基づくユニークな文化を築き上げることに成功した……(坂口謹一郎著「君知るや名酒泡盛」)
さて、GohGanの料理に並走した泡盛の話に戻すと、幕開けは、豊見城市の忠孝酒造の「古酒忠孝」。40年熟成させたとびきりの古酒を60%ブレンドした、泡盛鑑評会受賞酒である。ちなみに忠孝酒造では熟成用の甕づくりから手掛けるという。
その古酒(クースー)を「ちぶぐわー」と呼ばれる世界一小さな盃で乾杯する。
「泡盛は、長い年月熟成させてまろやかになった味わいを良しとします。100年、200年寝かせた古酒もある。長期間の熟成に耐えるよう、度数は高くなければならない。長い年月を経た希少性ゆえに、また度数の高さゆえに、ちぶぐわーで舐めるように味わうのです」と忠孝酒造の大城勤さんが解説する。
18~19世紀にかけて、泡盛造りは琉球王朝の管轄下にあった。首里の3地域(赤田、崎山、鳥堀)の40酒蔵所のみ製造が許され、造りに必要な資材や原料はすべて王朝から支給された。宮廷酒という位置付けだったわけだ。
「中国の冊封使(*)など海外から訪れるゲストのもてなしのために、首里城の敷地内の銭蔵で貯蔵されていました。泡盛は琉球王朝の豊かさを示すコミュニケーションツールだったのです」
泡盛の王朝文化と共に磨かれた側面を「ロイヤルスピリッツ」という言葉で表現するのは、那覇市内でバー「泡盛倉庫」を営む比嘉康二さん。比嘉さんは泡盛を「ダブルスタンダードの酒」と指摘する。
「ロイヤルスピリッツとしての泡盛。戦後の割って楽しむ大衆酒としての泡盛。2つの性格を持ちます」
比嘉さんが今、力を入れて打ち出したいのは前者だという。
泡盛の現代的展開。
ディナーの締め括りとして提供されたのは、比嘉さんのプロデュースによる泡盛「31/32」だった。比嘉さんが中心となって取り組む「誇酒(こしゅ)プロジェクト」の一環で世に送り出された酒である。
「宮古島の千代泉酒造所が、2018年3月、後継者が見つからず廃業しました。8つのタンクが残っていたうち、2本のタンクの泡盛はそのまま飲める状態で保存されていました。その2万リットルを、私たちはタンクごと買い取り、商品化することにしたのです」
「31/32」には千代泉の原酒を100%使い、加工せずそのままの味を再現している。製造年の記録がなく古酒表示はできないが、少なくとも10年は経過しているという。
「31/32の名称には2つの意味があります。ひとつは原酒が保存されていたタンクのナンバーが31番と32番だったこと。もう一つは千代泉が廃業した2018年3月31日の31、そこに32日という特別な1日を与えて、新たなステージが始まるイメージを持たせた」という。
泡盛の価値は熟成で決まる、と言う酒のプロは多い。「蒸留の仕方も熟成を念頭に置いて決める」と語るのは、国頭郡金武町で「龍」ブランドの泡盛を造る金武酒造の奥間尚利さんだ。
「蒸留したばかりの泡盛には、水とアルコール分以外に、高級脂肪酸などの様々な成分が含まれています。これが熟成過程でコクになったり、古酒香に変化するのです。が、個性が強すぎると一般の人には飲みにくい。そこで、泡盛の製造過程で行われるのが濾過。一般的な焼酎のようにクリアに仕上げたい場合は冷却濾過や減圧濾過という方法をとる。でも、長く熟成させる場合は、風味成分をできるだけ残したいので、常温で粗い濾過、あるいは無濾過で瓶詰めします」
それにしても、金武酒造の貯蔵熟成はひと味違う。鍾乳洞に貯蔵しているのである。
「鍾乳洞で熟成させる泡盛は濾過しません。熟成による味わいを大切にしたいので。貯蔵庫として利用し始めたのは1988年、僕が2歳の頃から。米兵たちが使っていた跡があったらしく、それらを片付けて棚を入れ、お客様が購入した泡盛を預かる形で貯蔵するようになりました」
預かる期間は5年と12年、いずれかを選んでもらい、期間延長も受け付ける。鍾乳洞の中は、湿度約90%、気温17~18℃、全長270m。現在、14,000本の委託貯蔵中だという。
「7割は県外の方ですね。沖縄では我が家で古酒に育てて楽しむ人も多いせいでしょうか、県内のお客様からの委託は比較的少ない」
子供が生まれたり、結婚したりといった記念に購入した泡盛を家で貯蔵して、節目の年にみんなで飲むという文化があるという。
DINING OUTでは、デザートと共にコーヒー泡盛がサーブされた。
ディナーに合わせて提供する泡盛のセレクトを担当した比嘉さんは次のように語る。
「琉球は、海の向こうの文化を受け入れて発展した国です。むしろ、そうしなければ生きてこられなかったとも言える。泡盛は個性的な酒であると同時に、米と水だけで造られる蒸留酒である分、他の味に染まりやすい一面もある。コーヒー泡盛はきっと世界中のコーヒー好きが好きになってくれるお酒だと思いますね」
1月18日と19日の2日にわたって開催されたうち18日は、恩納村「ハレクラニ沖縄」に宿泊する外国人ゲストのために催された。来日が回を重ねる中で、日本の奥深くへと知的探究心を募らせる外国人は多い。そんな人々にとってDINING OUTは、これまでにない切り口から日本の真髄に迫る魅力発見装置と言えるだろう。
海を越えてやって来る人や物に新たな命を付加して海の向こうへ送り出す。その繰り返しの中で文化・文明は豊かさを増す。海外からのゲストたちは今回のDINING OUTから何を持ち帰っただろうか。
◎ ONESTORY公式サイト
http://www.onestory-media.jp/