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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.39 カンパーニア州塩漬けアンチョビー生産者

2019.07.26

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

連載:イタリア20州旨いもの案内

世界最高を誇るアンチョビーはイタリアにあり




マリーナ・ディ・ピショッタ(Marina di Pisciotta)村の小さな漁港から船出したのは、さすがにピークオッド号ではないし、追う獲物も白鯨でもない。ここの景色は優しく、海は凪いで、武勇伝や英雄伝の類とは全く無縁の場所だ。漁師たちの求める獲物はアンチョビー。カタクチイワシ科の魚でイタリア語では「acciuga アッチューガ」。使い道の広さから多くの人々に愛され、リグーリアでは「海のパン」とまで呼ばれている。



ここはカンパーニア州だけど地元にいるような気分にさせる。ピエモンテの僕の先祖たちは、青魚専門の行商人がやってくるとアンチョビーの塩漬けを買いだめした。彼らの生活に一味加えてくれる唯一の海魚だった。そしてこれを「バーニャ・カウダ」という絶品の料理にまで高められたのは、イタリア人ならではの才気としか言いようがない。だが、それはまた別の話。



今、港を離れた全長8メートルたらずの小舟を操るのは、ヴィットリオ・ランバルド(Vittorio Rambaldo)とその息子マルコ(Marco)。彼らは、古代ギリシャの時代から用いてきたメナイデ(Menaide:地元の方言では「メナイカ(Menaica)」)という特殊な網を用いた漁法でアンチョビーを獲る。カンタブリコ産のアンチョビーを自慢してやまないスペインの友人たちには申し訳ないが、ここで獲れるアンチョビーこそが、いいかね、世界最高を誇るものなのだ。

沈む夕陽に向かって泳ぐアンチョビーを網で獲る



「メナイカは、幅10メートル、全長400から500メートルで、網の目が長方形をした独特の網です。浮きと錘の相対する性質を利用して一定の深さの海中でまっすぐ網を伸ばします。
この網の特徴は、大きなアンチョビーだけが網にかかるようなっていることで、もっと大きな魚は網の目を破って逃げてしまうし、小さなアンチョビーは網の目を潜り抜けられるんです。一つの魚群から獲れるアンチョビーはたったの10%。クオリティに重きをおき、量は二の次、エコロジーにして持続可能な漁業の正にお手本と言えるでしょう」



「アンチョビーは網に頭が引っ掛かってもがいているうちに頭が外れて出血が始まります。網を上げて魚を外す時、そのほとんどは頭が外れていて、それを水の入った水槽に投げ入れます。氷は入れません、水温が低すぎて出血が止まってしまうからです。水揚げされると直ぐに、塩漬け作業に入ります。体内から血液が抜けていますから酸化物の生成を防ぎ、塩の存在で苦味や酸が増えず、長期保存により適するのです」



鰯漁は、普段は深海に生息するアンチョビーが、海岸近くでの産卵やプランクトンの摂取のために水面近くに上がってくる4月から7月に行われる。日没前の夜7時頃までに漁場到着を目指して出港する。
言い伝えによると、アンチョビーは沈む夕陽に向かって泳ぐらしい。だからそれを阻むように網を張るのだそうだ。船のエンジンは最小にし、漁場付近に近づいたら物音を一切立てないように櫂を漕いで進む。音がしたら魚群が散って、漁が台無しになってしまう。
網を引き上げるのが夜の9時半から10時、港での水揚げは深夜。漁獲量が多ければ朝の4時頃になることもある。一回の漁獲量は平均20から30キロ。



「アンチョビーって背中が青くお腹は銀色、綺麗でエレガントな鰯でしょ。プランクトンを食べる瞬間はまるで狂った踊り子のよう。メナイデという網の名前の語源は古典ギリシャ語ですけど、私たちは、まさのこのアンチョビーたちのダンスが酒の神ディオニソスの宮廷付きの踊り子たち、マイデナス(Menadi)を思わせてこの名がついたと思いたいわ」





岸ではアンチョビーが到着するとすぐに作業に入れるよう、いつも女たちが船の帰りを待っている。ここでヴィットリオのかみさん、ドナテッラ・マリーノ(Donatella Marino)、この物語の次の主人公の登場となるわけだ。

伝統漁法のアンチョビーが世界を旅する魚になるまで



「メナイカ漁法のアンチョビー物語」第二部は、ピショッタ村で彼女が夫の獲ってくるアンチョビーを料理して客に出していた小さなトラットリア「ア・タルタラ」から始まる。



当時、この伝統的なメナイカ漁法で生計を立てていた家族はわずかで、獲れた魚は地域の市場で売られ地元住民が消費していた。このトラットリアにスローフード協会会長のカルリン・ペトリ―ニ(Carlin Petrini)が食べに来て、冗談めかしてこう言った。
「こんな旨いものを君たちだけで食べてるなんて不公平だよ、他の皆にも分けてあげないと」



彼の楽しんだ食事がきっかけとなり、「メナイカのアンチョビー(Alici di menaica)」は2000年にカンパーニア州初のスローフード協会のプレシディオに認定され、翌年の2001年に塩漬け加工場をオープン。ドナテッラが切り盛りすることになり、今ではピショッタ村の漁師たちはいずれも獲ってくるアンチョビーを彼女に納めている。生産量は年間2000キロというから、未だに少量生産だが、それでもこの魚はイタリア中を、否、世界中を旅するようになった。



「2010年にメッゾジョルノ動物保護試験場が、私たちのアンチョビーを水揚げ時から塩漬け加工後熟成13カ月までを調べたところ、味覚関連物質は水揚げ時のままで一切失われていないことがわかりました。この種類の加工品としては他に例がない結果だそうです」





アンチョビーは、20キロ入りの容器にトラパニの塩田産で無精製の自然海塩を用いて熟成される。
上から重しをすることにより、アンチョビーの体内に含まれる水分が排出されるが、これはメナイカの魚醤、コラトゥーラ・ディ・アリーチ(colatura di alici di Menaica)という加工品になる。コラトゥーラ・ディ・アリーチと言えば、チェターラ(Cetara:同じくカンパーニア州にあり、ピショッタ村の北約100キロ)産が有名だがは、こちらは容器の下方に穴を開け、そこから滴る液を集めた魚醤。一方、メナイカは、上部に浮いた液体を吸い取り、タンクで5、6カ月熟成させた後にろ過、殺菌、ミクロフィルターにかけたもの。色もより薄く、味わいもデリケート。試したが最後、忘れられない逸品だ。



アンチョビー加工の仕事はどんどん増え、2012年、ドナテッラはトラットリアを閉めることになった。加工場は現在、ドナテッラの他に、娘のセレーナ、マルコのガールフレンドのマヌエラの3人で稼働。マルコはもちろん今も父ヴィットリオを手伝い漁に出ている。



主力製品は何といっても塩漬けのアンチョビーだが、オイル漬けもある。そしてアンチョビー漁の季節が過ぎると魚醤(コラトゥーラ・ディ・アリーチ)やその他の魚の加工品を生産している。



「いつも見ている同じ海ですが、一日一日違うんです。そこに感動させられるんです。今日は魚は獲れないなあと思える時もあれば、イルカがやってきて僕らと一緒に遊んでいく日もある。巨大なクジラが通り過ぎるのを見ることもありますよ」

「最初に獲れた鰯は必ず背骨を取って、レモンにオリーブオイルをかけ、ニンニクとイタリアンパセリを刻んだのをかけて生で食べます。僕たちの小さな儀式みたいなもんです」



「僕は昔からこの生き方が大好きです。僕が小さかった頃は、長さ200mの網を張り、引き上げれば500キロのアンチョビーが掛かっていたんですよ。まるで奇跡の漁でした」。そう話してくれるヴィットリオの瞳はまだ笑っていた。
海上で夜を明かすため船は西に向かって舵を取った。かつて『ワイン色に映る』とホーメロスが幾度か詠ったように、海の水に夕暮れの光が映えていた。

パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it





[Shop Data]
“ Alici di Menaica” di Marino Donatella

Via Lungomare Colombo, 31
84066 Pisciotta ( SA)
Tel. 347 4439102
a.tartana@gmail.com
www.alicidimenaica.it
 





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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