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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.22 カンパーニア州ヴェズーヴィオ産キナ酒

2017.12.21

左からアブサン(Assenzio)、くるみのリキュール、リモンチェッロ、キナ・ヴェズーヴィオ(China Vesuvio)。

連載:イタリア20州旨いもの案内

伝説の錬金術師の末裔が作る ハーブのリキュール




「幼い頃は、祖父に連れられて作業場に行くのが好きでした。整然と並べられたガラス瓶や、古びた木製の棚は様々な香りが溢れて神秘に満ち、きっと魔法の素が入っているんだと想像は膨らむばかりでした。
9つになったとき、勇気を出してボトルを洗ってもいいかと聞くと、祖父は首を横に振り、こう言いました。『それは雇われた者がする仕事だ。お前はハーブの扱い方を会得せにゃならん。』と。
祖父の名は僕と同じフランチェスコ(Francesco)。フランスの有名な錬金術師フランソワ・パスカル(François Pascal)の末裔にあたります。パスカルは、1700年代にナポリ王国とシチリア王国を治めていたボルボン朝のカルロス3世に招かれ、この地に移り住みました。彼が調合したハーブのリキュールは、マラリア熱から胃もたれ、食欲不振に効果がありました。これが大変な人気で、フランソワの息子ジュセッペ(Giuseppe)は、苗字もイタリア風にパスカーレ(Pascale)に改め、ここに蒸留所を開いたのです。」



イタリアの職人技が生みだす魔力を語るとき、あるいは誰かが『偉大な生産物の背後には必ず偉大な歴史がある』という言葉を口にするとき、僕の脳裏にはフランチェスコ・パスカーレの名前が思い浮かぶ。
伝説のフランス人を先祖に、1713年から蒸留所と薬局が営まれてきたその同じ建物でパスカル調合のリキュールを作り続けるファミリーの5代目にあたる。ハーブやスパイスをミックスした1800年代の手書きによるレシピは一家が門外不出で保管している。

この工房の周りでは多くのエピソードや伝説が花開き、一冊の小説くらい易々と書けてしまえるほど。風変わりなキャラクターや天才肌の人物も多く排出しており、例えばフランチェスコの祖父のために『何でも屋』を勤めていたマリオ。彼は朝から晩まで工房に居て、夢占いを頼りに宝くじを買うことだけを楽しみに暮らす正体不明の人物だった。
マリオが亡くなったとき周囲の者は初めて彼の身分証明を開き目を見張った。往年86歳。どうみても60歳代にしか見えなかった。果たしてキナ酒の薬効か!?

左からアブサン(Assenzio)、くるみのリキュール、リモンチェッロ、キナ・ヴェズーヴィオ(China Vesuvio)。

緻密な作業と上品なセンスが生む 抜きん出た味わい




72種類ものハーブを煎じて作る件の『キナ・ヴェズーヴィオ(China Vesuvio)』は、様々な使い道のある優れたリキュールだ。オンザロックでアペリティフにしても良し、常温で食後酒として楽しんでも良し、お湯で割ってポンチにすれば真冬に冷えた体をほかほか温めてくれる。
看板商品のキナ酒の他に、今日のパスカーレ蒸留所ではリキュールやグラッパを幅広い種類で生産している。ヴェズーヴィオのリモンチェッロは、自家栽培あるいは友人のレモン園で収穫した有機栽培によるレモンを朝収穫して夜リキュールに加工する。
古来からの伝統的加工品の生産は、その多くは平凡の域に陥りがちだが、緻密な作業と上品なセンスで抜け出すことができた。





僕のガイドブック『イル・ゴロザリオ』でも様々なリキュールをセレクションして紹介しているが、パスカーレ蒸留所のものは、その透明感と原料そのものの味わいが持つ説得力に驚かされる。偶然生まれた良い仕事など一つもなく、まさに長年の経験から生み出されるのだと教えてくれる。
ハーブのみを用いた『アブサン(Assenzio)*』は、是非ボードレールなどを読みなが楽しんでもらいたいリキュールで、クルミのリキュール『ノチーノ(Nocino)』はワインを加えた独特の風味が特徴的。リモンチェロに浸したナポリ伝統のお菓子ババは、全幅の信頼をおく洋菓子店で手作業で作ってもらったババを用いている。

現在の年間生産量は全商品を合わせても1万5千から2万本。フランチェスコの父親は別の事業を営んでおり、単に伝統を絶やさないためだけにリキュールの製造を細々と続けていた。フランチェスコは、父親の引退を機にリキュール製造の事業拡大か工房の閉鎖かという苦しい選択を迫られた。
このジレンマからフランチェスコを救ったのは15歳になる彼の娘ヴィットリア(Vittoria)だった。彼女が思いがけず蒸留所の仕事を自分が継ぎたいと言ってくれたからだ。それをきっかけに法規格に合わせて器具を近代化し、工房内部を改築することにした。もちろん、歴史ある美しい工房の様相はできるだけ残している。





2016年12月、仮スペースでの運用ながら、新たな情熱と新鮮なアイディアで蒸留器に新たな命が吹き込まれた。現在も旧工房は改装中だが、まもなく工房内の棚にも器具のまわりにもフランチェスコの手によって調合されたハーブとスパイスが所狭しと並べられるはずだ。
こうして彼がリキュール製造にかける揺るぎない眼差しを蒸留器に据えた日々は既に始まっている、ヴィットリアが追いついてくれる日を待ちわびながら。



パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it

*注 アブサン:ニガヨモギ、アニスや様々なハーブをベースにした神秘的なこのリキュールは、1800年代から1900年代、ランボー、マラルメ、ヴェルレーヌといった呪われた詩人たちが闊歩したパリで流行し、その鮮やかな色から別名『緑の妖精』とも呼ばれました。
向精神作用があるということで1915年、一旦はその製造が禁止されましたが、現在はEUから認められた原料を使用しての生産が認められています。


shop data
Pascale Distillerie (パスカーレ蒸留所)
Via Ranieri, 1
Ottaviano (Na)

Tel. 3392189145
www.chinavesuvio.com





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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