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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

生ハムの名産地に現れた味覚の女王、スモークトラウト

vol.61 フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州のマス加工業者

2022.06.30

text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki
photographs by Friultrota di Pighin srl

連載:イタリア20州旨いもの案内

連載:パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

「学校教育はほとんど受けていませんが、才覚に長けた人でした」
フリウリ地方のサン・ダニエレ地区にあるフリウルトロータ(Friultrota)社のオーナー、マウロ・ピギン(Mauro Pighin)は父親ジュゼッペ・ピギン(Giuseppe Pighin)、愛称ベーピについてこう言い切る。僕がこれまで「料理通信」の読者諸君に届けてきた記事では、微力ながらも僕たちイタリア人が他より優れている点を掘りさげるべく努力してきたと思う。そしてそのより優れた点とは、まさにこの種の「才覚」がもたらしたものだと。


イタリア人らしい“才覚”の持ち主

「才覚」の定義を辞書で引いてみると、「物事を瞬時にかつ鋭敏に直感、洞察、判断する能力で、問題解決、特に仕事や事業においてはその達成を妨げる障害や困難を取り除く順序、方法や手段を見つける発想力を指す」。また、「才覚とは、他者では見出すことのできない点に可能性を見出す力である」とある。だが、彼のように身をもって示すことのできた者はそう多くはない。

ベーピという人は戦後、コンクリートの製造と採掘業を専門とする会社を興した。採掘業ではフリウリ地域の主要河川であるタッリャメント川(il Tagliamento)で砂利を採掘していたが、この川はヨーロッパでも珍しい自然環境で、彼らがかなりの量の採掘を行っても環境への影響はほとんどないほど豊かな河岸を形成していた。

三度の飯より釣りが好きと言うベーピには、採掘作業を続けるうちにある考えが閃いた。
(ここに小さな池を作り、何千ものマスの稚魚を飼ったらどうなるか?)
1970年代始め、未だ戦後復興の途中にあった国イタリアでは、釣りを楽しむ余裕などはなかった頃のことだ。だが、2年ほどが過ぎた頃には、そこに7~8キロ台のマスが何千匹も泳ぐ養殖池を作り上げていた。

で、そのマスをどうするか? 育ったマスは絶品だから売ろうと考えた。だが、残念なことに市場に流通させるにはサイズオーバーだった。
(アパート暮らしの新婚の嫁さんに、魚を買いに行ってきて三枚におろし、さらにそれを料理するなんて時間はあるはずがない。)
そこで彼は持ち前の才覚を発揮し、趣味で始めたはずの養殖池の魚たちを加工する会社を立ち上げることにした。だが、それには品質を検査し安全な食品として供給できる方法を確立しておく必要があると感じた。


生ハムの名産地に現れた、新たな特産品

ここでベーピはまたしても独自の発想を展開させた。それが列車の車両。70年代も終わりを迎えた頃のことだった。76年にフリウリ地方が大地震に見舞われた際、瓦礫の下から掘り出された持ち主の分からない物品の保管場所として国鉄が地域に車両を提供した。ベーピは使われなくなった車両の一つを払い下げてもらい、マスの養殖場に持ち込んで内部をステンレス板で覆い、養殖池の脇に設置して研究開発用ラボにした。彼は時間の許す限り何時間も車両ラボの中で過ごし、納得のいく燻煙方法を開発すると、ついに1984年、自信作を携えて企業運営をスタートさせた。

その製品こそが「ラ・レジーナ・ディ・サン・ダニエレ(La Regina di San Daniele)」、読んで字のごとく「サン・ダニエレの女王」だ。サン・ダニエレ産の生ハムは当時から世界中に知られ、地域を代表する特産物の王様だったが、その脇に控える女王がこの低温燻煙によるスモークトラウトというわけだ。努力の甲斐あって好評を博し、今では従業員20名による職人作業で年間150トンものマスの加工品を生産する企業に成長し、このベーピの冒険談はハッピーエンドで締めくくられた。

「そうなると当然、自社養殖場のマスだけでは生産が追いつきませんから、一部は当社で選定した仲間の養殖業者とのコラボレーションで生産活動を続けています」とマウロ。「その場合は、当社が研究を重ねて生み出した養殖方法に従ってマスを育ててもらっています。養殖池には川から新鮮な水を引くか湧水を用い、養殖密度は、オーガニック養殖の規定では通常1立方メートル当たりの飼育マスは総計25キロが上限ですが、当社の場合はさらに低い18キロを上限としています。餌も魚油や魚粉を用いて自然界のマスが得ている栄養分の構成比率に可能な限り近い形に調整して与えています。
父は常にこう説いていました、『企業活動は利益を目的とするのではない。良い仕事をしてそれをどう結果に結びつけるかが重要なのだ』と」

看板商品の「ラ・レジーナ・ディ・サン・ダニエレ」にはニジマスを用い、3~5キロに成長すると網で捕獲してから数分のうちに内臓を取り、二枚おろしにしてから少し休ませる。手作業で一本残らず小骨を抜きとった後、温度調節がされた環境であら塩をし、一定時間を経た後に今度はその塩を除くと、室温25℃の燻煙室で香料を含ませたおが屑でのスモークと乾燥作業を繰り返す。当然、これら全工程は職人たちの手で行われ、保存料も着色料も使用していない。


「会社設立当初に直面した問題は販路開拓でした。スモークトラウトはスモークサーモンの貧相な兄弟だという偏見と闘わなければならなかった。今日では逆に、サーモンも当社の製法でスモークして欲しいという顧客の依頼で、スモークサーモンも生産することになってしまいましたが」

「1994年、『イル・ゴロザリオ イタリアの旨いもの100余選(Il Golosario guida alle 100 e più cose buone d’Italia:現在では同書の掲載件数は数千に及ぶ)』に当社が掲載されていたのを目にしたんです。あれには驚いた! 僕たちは当時、パオロ、貴方のことを知らなかった。それでもイル・ゴロザリオに掲載してくれたのは、貴方が僕たちの製品を本当に評価してくれたのだと理解しました。あれからずっと僕たちは良い関係にあってコラボを続けてこられた。『食の祭典ゴロザリア*』にはもう何度も参加していますよね!」

*マッソブリオさんがイタリア中をくまなく歩いて選び抜いた、優れた食品を育む生産者が集うイタリア最大規模の食の祭典

時を経て、マス商品のラインナップも豊富になった。80~90℃と高温で燻煙されたスモークトラウト、「ラ・レジーナ・ディ・サン・ダニエレ」のタルタル、手軽に食べられる蒸しマス、マスいくら、マスの頬肉のオリーブオイル漬け、などなど。
そして、優れた品質のブランドとして「フリウルトロータ」の名が世に知れ渡った頃合いで、サーモンや海水魚を用いた商品の開発に着手。複数のラインナップで選択肢がさらに広がり、一件当たりの注文数が増えて商品の輸送コストの削減にもつながった。


天才肌の創業者ベーピは2005年にこの世を去ったが、社の運営を任された息子マウロは希望に満ちた手でその舵を取っている。近年、喜ばしい事に娘のエリカ(Erica)と息子のアンジェロ(Angelo)も後継者として企業経営に加わった。
彼らを訪ねれば、直販所の2階にある素敵なレクチャールームでテイスティングをさせてもらうのだが、製品の豊富さについ目移りしてしまう。が、いつだって「やっぱりこれが最高!」と手を伸ばしてしまうのは「ラ・レジーナ」、女王様だ。

デリケートにして個性豊かなその味わいはいつだって僕を魅了する。事実、サーモンよりずっと美味で、リチャード・ブローティガンの小説『アメリカの鱒釣り』が脳裏をよぎる。だからこの本の最後の一文でこの原稿を締め括りたい。

『人類の欲するものを表すために、僕は常々マヨネーズの一語で終わる本を書きたいと望んでいた。(伊語版からの訳)』

パオロ・マッソブリオ


◎Friultrota di Pighin s.r.l. Unipersonale
via Aonedis 10-33038
San Daniele del Friuli–Udine
Tel. 0432 956560
https://www.friultrota.com/

パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。

『イル・ゴロザリオ』とは?

『イル・ゴロザリオ』とは?

イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーション

私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。

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