パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.10 マルケ州カメリーノ村のトッローネ
2016.12.22
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
僕のチャンピオン級トッローネ
マルケ州カメリーノ村でパオロ・アッティーリが作るトッローネを初めて口にして驚いたのは、今から28年も前のことだ。
僕にとってトッローネと言えば何といってもピエモンテ産で、ヘーゼルナッツにハチミツと卵白をベースにし、ソフトタイプもたまにあっても歯応えのあるバージョンのものが一番と思い込んでいた。
が、このトッローネは全く違ったもので、気がつくとペンを執り、その感動を彼宛ての手紙に書き綴っていた。
それ以降、『Le 100 cose buone d’Italia(イタリアの美味い物100選)』に始まり、食のガイドブック『イル・ゴロザリオ』に至るまで、カメリーノ村のトッローネは、ピエモンテ州アレッサンドリアの「カネリン(Canelin)」のものや、東方文化の残り香のするシチリア州ノートで「カッフェ・シチリア(Caffe Sicilia)」のアッセンツァ兄弟が作るトッローネと並び、僕のチャンピオン級のトッローネとして掲げてきた。
トッローネは、ヴェネト州の様々なマンドルラート(mandorlato:ヘーゼルナッツの代わりにアーモンドを用いたタイプ)はもとより、カラブリア州バニャーラ・カラブラ産からサルデーニャのトナーラ産まで、考えようによってはイタリアを統一したのはトッローネだと言えるほど一般的なお菓子だ。
が、今年のクリスマス・イブにはこのイタリア中部で作られるトッローネ、2016年10月に大きな地震に見舞われた村で作られるトッローネについて、食卓で語るのもいいのではないかと思う。
パオロ・アッティーリには幸い直接的な被害はなかった。
しかし、たとえばチェウスコロ(ciauscolo)という軟らかくてすばらしいサラミを作るアンナ・モンタナーリの店には大きな被害があった。
が、交通が遮断されたことから観光面から経済的な被害は甚大で、カメリーノ村の人たちは皆が意気消沈している。
鋭い味覚と好奇心が受け継ぐ、サヴォイア王家御用達の味
カメリーノのトッローネの伝統は意外に古く、1800年代には地元でパスティッチェリアを営む一家、フランクッチ(Francucci)家が、トッローネを作り出して瞬く間にサヴォイア王家御用達までになった。
が、パオロ・アッティーリのストーリーはその歴史にさらに花を添えるものだ。
彼は、この一家に生まれたのではなく、後年、他からやって来た男だったのだから。
彼はこのパスティッチェリアを営む一家の遠縁にあたり、この店が売りに出されたと耳にするまでは計理士をしていた。
30歳を目前に彼は生まれて初めてトッローネ製造用の器具を目にした。今から34年前の事だ。
「消えゆくトッローネの灯を消さないためには……」彼が言う
「自然に備わった才能が必要だと直感しました。鋭い味覚と好奇心です」
フランクッチ家の人々は彼に製造器具(特にトッローネを加熱する大鍋)と一緒にレシピを手渡してくれた。
彼は試作に試作を重ね、加熱のタイミングを調整し、同時に最高の素材を探した。
それでもフランクッチの名にふさわしくないと思えば大鍋のトッローネをまるごと捨ててしまった。
フランクッチ家の名に恥じないトッローネを作れると思えるようになった頃には、春も10回目を迎えていたという。
今日ではそのトッローネの種類も18種にのぼっている。
定番「ビヨンド・ディ・カメリーノ(Biondo di Camerino)」は、古くからのレシピで卵白を用いずに作られるもの。
ハチミツとアーモンドに砂糖が凝縮され、クリスピーだ。
一番新しいものはショウガとスポンジケーキのバージョン。
他にもイチジクを詰めた「ギヨット(Ghiotto)」やクラシックな白生地のマンドルラート、ソフトタイプのラム風味、コーヒー風味にアニス風味などがある。
またハレの日のバージョンとして、ヴェルディッキオ品種の干しブドウを用い、同品種ブドウのグラッパを加えたものもある。
宝を生み出すパオロ・アッティーリの好奇心と発想力の灯は衰えることがない。
発想力と言えばちょっと変わった記録にも挑戦している。世界で最も長いトッローネ。
毎年、カメリーノ村のトッローネ祭りが行われるようになって15年になる。
この小さな村の村長がある日思った。もはやトッローネはこの村のシンボルだと。
だったら、祭りを祝う広場に長ーいトッローネを作ってみてはどうかと!
こうして700メートルから始まった記録は、昨年には1026メートルに達している。
パオロによると、トッローネを大鍋に10回分も焼かなければならなかったそうだ。
焼きあがった柔らかなトッローネを一つにし、村の幹線道路に並べたテーブルの上に伸ばしていく。
公式の計測が終わったところで、村の人たちが一斉に自分の分け前めがけ、喜色満面でトッローネに襲い掛かる。村祭りの始まりだ。
クリスマスの季節、トッローネの向こうにいる人々を想う
彼のトッローネのおいしさの秘訣は? と聞いたら、彼は一言「素材だ」と言うだろう。
アーモンドはプーリア産のものを、使う直前に大理石のテーブルの上で一つひとつ品質をチェックする念の入れよう。
ハチミツは、ハニーサックルかオレンジの花のものを。
ピエモンテ産のヘーゼルナッツは、一つひとつ丁寧に薄皮を取る。
砂糖は黒砂糖。
そして製造にかける時間は、少なくとも5時間。彼自らが大鍋の前に立つ。
今ではすべての製品のおいしさの秘訣を知り尽くした彼が、一つひとつを丹念に手で捏ねて作っている。
『イル・ゴロザリオ』の仲間たちはクリスマスの季節を前に、ここ数日、このカメリーノのトッローネを次々に注文している。
予兆もなくイタリアの中心部を襲った大地震から立ち上がってもらいたい、希望を持ってもらいたいと考えた支援方法だ。
祝いの日とは、それが真の意味の祝いの日なら、普通の暮らしに戻りたいと願う人たちが味わっている今日のドラマを、忘れてはいけないのではないか。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
Shop Data:パオロ・アッティーリが作るトッローネを買える店
Torrone Camerinese Casa Francucci S.N.C.
1 Localita' Rio, Camerino (MC) 62032 Italy
Tel +39 0737 636 775
Shop Data:トッローネと合わせて楽しむデザートワイン
Alberto Quacquarini
Via Colli, 1 Serrapetrona(MC) 62020 Italy
Tel +39 0733 908 188
www.quacquarini.it
日本のみなさんへ
小高い丘に広がる美しい小さな村カメリーノ。
2016年10月末、この村を突然地震が襲いました。
行政に被害調査を申請した住宅件数は6063件。そのうち検査を終えられたものはまだ2000件足らず。
仮設住宅生活は、住民や地区にある大学の学生を合わせて2050人、転居のための補助金申請をしている人が2065人。
現在でもマグニチュード4以上の余震が続いています。
特に村中心部は危険地域として立ち入りが一切禁止されています。
今回のパオロ・マッソブリオの記事掲載のためにカメリーノ村があるマチェラータ県庁に写真提供をお願いしたところ、県でも適当な写真の入手が困難でした。
すると、村の役に立つならとカメリーノ村の神父様が危険地域内の教会に戻り、瓦礫の下からパソコンを掘り出して村の写真を復元して下さいました。
国からの経済支援もほとんど期待できず、村の人たちは活路を見出すことができないそうです。
マチェラータ県知事秘書のペッティナーリ氏は、カメリーノ村宛ての義援金の口座情報を写真に添え、日本からもカメリーノ村への支援をくださったら、どれほど助かるかわかりませんとメッセージを送ってくださいました。
下記にその情報を残します。
【カメリーノ村宛ての義援金の口座番号】
口座名:Comune di Camerino (カメリーノ村役場)
口座番号:IT86C0530868830000000004280
国際振り込み用コード:BPAMIT31
銀行名:Banca Popolare di Ancona
支店名 agenzia di Camerino (カメリーノ支店)
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。