人生で“確かなもの”を感じたい時に味わうオリーブオイル
Vol.78 シチリア州のオリーブオイル生産者
2025.04.28

text by Paolo Massobrio / translation by Motoko Iwasaki
あらゆる人種の通過点、文明のゆりかごとなった神秘の島
「歌うのはワインだけじゃない、オリーブオイルも歌うのだ」とはチリの詩人、パブロ・ネルーダの『オリーブオイルへのオーデ』の一節。いや、その歌声を耳にしなくても、樹齢を重ねたオリーブの樹々が待つ園に足を踏み入れただけで心に平穏が訪れるものだ。
ごつごつした木肌、膨れた節にあちらこちらでねじれをつくる枝、僕たちの住む美しい地中海地域で途方もなく長い年月を生き抜いてきた樹々を眺めていると、まだまだ明るい未来はあると信じる勇気が湧いてくる。オリーブの樹々は捕らえた陽光を、今度はそれをオイルとして僕たちの食卓を照らしてくれる。パンをひと切れトーストして、良質のオリーブオイルを垂らしただけで僕の心は満たされる。

世界の見通しが不透明な今だからこそ、確かな価値について語る必要性を感じた。だから今回のテーマに僕は、イタリア料理の基本要素であるオリーブオイルを選んだ。その場所は、あらゆる人種の通過点であり、文明のゆりかごとなった神秘の島シチリアだ。
純粋で濃厚、偽りのない、真っ直ぐなオリーブオイル
ここは、ヨーロッパで最大面積を誇る古代ギリシア時代の遺跡セリヌンテを間近に控えたトラパニ県(Trapani)はカンポベッロ・ディ・マザーラ(Campobello di Mazara)。この地域で、栽培されているオリーブの品種はもっぱらノチェッラーラ・デル・ベリーチェ(Nocellara del Belice)だ。

ベリーチェ渓谷を形成した同名のベリーチェ川に因んでその名をつけられたこの品種からは、紀元前、古代ギリシア人がシチリア島に入植し、一帯がマグナ・グラエキア(Magna Graecia:大ギリシア)と呼ばれた時代から既に高価なオリーブオイルが生産されていた。
良質で実も大きめのこの品種は、オイルに限らずテーブルオリーブとしても喜ばれるが、オイルにすると酸の含有量がかなり低く果実味は中程度、アーモンドやグリーントマト、刈りたての青草やカルチョーフィ、ハーブなどの風味がある。苦味や軽い辛味を感じるが後味はまろやか。オリーブオイルの中でも最も多くポリフェノールを含んでおり、健康への利点からも偉大なオリーブオイルと言える。

オリーブオイル生産者メルキオッレ・スタッローネ(Melchiorre Stallone)34歳は、農業法人マツィ社の若き経営者。同社の生産するオリーブオイル「エストロ(Estro)」は僕も大好きで、食の祭典『ゴロザリア』でも毎年欠くことのできない参加者だ。

「僕たちの一家は、祖父の代から農業を営んできました。父方の祖父メルキオッレと、母方の祖父ジョヴァンニは、オリーブの収穫期になると協力し合い、2家族が互いのオリーブ園の作業を終えるまで一緒に働いていました。作業が終われば食事も共にとるような、まるで兄弟のような仲の良さでした。それは私の両親にも受け継がれ、互いに協力し合い、そこに代償は求めない。それこそが友情と呼ぶに値するものと思っています。

マツィ(Mazì)という社名は現代ギリシア語で『共に』という意味があり、僕たちの土に対する熱い想いをより強くする原動力のようなものです。社員は僕、弟のジョヴァンニ(Giovanni)、父のドメニコ(Domenico)、母のロザンナ(Rosanna)です。実際には僕もジョヴァンニも大学を出た後、ピエモンテ州でそれぞれ別の仕事に就いていますが、シチリアとピエモンテを往復して作業を手伝い、特に収穫や精油作業など絶対に外せない時期には必ずシチリアに戻っています」

15ヘクタールあるオリーブ園で栽培されているオリーブのほとんどがノチェッラーラ・デル・ベリーチェで、その70%をテーブルオリーブに加工し、残りのオリーブからエキストラ・バージン・オリーブオイル(つまり「エストロ」)3000リットルを生産している。農園の一部でビアンコリッラ(Biancolilla)種も栽培しており、同品種から生産されるオリーブオイルの量は約100リットル。

彼らの農場が、現在のような農業法人の形態になったのは2011年からだが、この若い兄弟が舵取りを任され、収穫したオリーブの一部から保護指定地域表示(IGP)認証のもとにシチリア産エキストラ・バージン・オリーブオイルの生産を始めたのは2022年からのことだ。

「僕たちのオリーブオイルをエストロ(Estro:発想)と名付けたのは、純粋で濃厚、偽りのない、真っ直ぐなオリーブオイルを食卓に届けることが僕たちにとって重要だからです。オリーブオイル生産という僕たちのプロジェクトを実現にまで導いてくれたものこそ、困難な状況を乗り越えるためのインスピレーション、空想や想像だったことを強調したかったからなんです」

マツィ社では大胆な減農薬農法を用いるなど、オリーブの木に負担をかけない栽培法を選択している。収穫には熊手もバイブレーターも使用せず、作業員が首から籠を下げ、テーブルオリーブ用と同じように手摘みで収穫を進める。そうすることで精油前に実が傷つき、酸化が早まるのを防ぐ。収穫が終わると、次は輸送段階で実が破損しないよう、側面に穴の開いた運搬ケースに入れ、その日のうちに同じ地区内にある最新鋭設備を備えたフラテッリ・バーショ(F.lli Bascio)精油所に持ち込んで精油する。

成分分析の結果では、酸度は0.11%、過酸化物の含有率も非常に低く、ポリフェノールを豊かに含んでいることが特徴で、「エストロ」はシチリアで最も高品質のエキストラ・バージン・オリーブオイルの一つとして位置づけられている。
受賞歴も華々しい。2023、2024年とも国際オリーブオイルコンクール(IOOC)の金賞を受賞。世界のベスト・オリーブオイル・ガイドブック『Lodo2024』や食の専門誌ガンベロ・ロッソのガイド『イタリアのオリーブオイル2025』などにも掲載された。
マツィ社では将来、丹精込めたエキストラ・バージン・オリーブオイル生産とスタッローネ一家の原点とも言うべきオリーブ園が持つ景観美を組み合わせた「オリーブオイル・ツーリズム」も企画していく予定だ。

「収穫期には収穫作業員を雇いますが、そのほとんどはアフリカからやってきて、農園内の倉庫で自炊生活をしながら働きます」
スタッローネ一家と彼らの間には、長年の付き合いの中で良い関係が育まれたと、メルキオッレはこんなエピソードを僕に語ってくれた。

「ある日、この地方が嵐に見舞われ、作業員は食べものも飲み水も補充出来ないままでいました。僕の父は、彼らに必要そうなもの全てを車に積み、届けに行ったのですが、今度は父の車がぬかるみで立ち往生してしまったんです。父が困っていると、作業員たちが次々に駆け出してきて、土砂降りも構わずに車を後ろから押してくれ、ぬかるみから出してくれました。
父を手伝って泥だらけになってしまった彼らを見て、作業はしなくていいからシャワーを浴びて休憩してくれと言うと、彼らは『こんな嵐の中を、僕たちのために食糧を届けてくれるほどのあなたの優しさと親切さに触れて、私たちはそれで充分です』と答え、収穫作業を止めずに最後まで続けてくれました」
情熱とは、実に感染力のあるものだろう。

◎Azienda Agricola Stallone Melchiorre
Via Mahatma Gandhi, 24 – 91021
Campobello di Mazara – Trapani (TP)
☎+39 3920585915
https://olioestro.it/
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
https://www.ilgolosario.it/it
『イル・ゴロザリオ』とは?

イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。
『イル・ゴロザリオ』で公開されている『料理通信』記事はコチラ