パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.31 ヴェネト州の若きパネットーネ生産者
2018.11.22
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
お菓子作りが好きで好きで堪らない
ガレージ・パティシエのサクセストーリー
お菓子の嫌いな子供はいない。子供の頃のフランチェスコもお菓子を食べるのが好きだったが、それを作ることはもっと好きだった。6歳にしてケーキ、焼き菓子、ビスケットを焼きだした。
彼はヴェローナ郊外で家族が経営する会社を継ぐ定めにあり、大学で工学を学ぶとそのまま家業を継いだが、お菓子作りへの情熱は消えることがなかった。仕事を終えて帰宅すれば、ケーキにピザ、パンの類をこねた。発酵種の講座に通い、生まれて初めてパネットーネを作ってみたところでその熱に火がついた。
間もなく結婚。はじめは夫の趣味を我慢していた妻は、キッチンがどこもかしこも粉まみれになることに耐えきれず、彼をガレージに押し込めた。ならばとガレージに発泡スチロールで初の発酵用ボックスを作る。適温環境を保つのには電球を用いた。
ここで同じ工学を学んだ幼馴染のルーカも仲間に加わる。焼き時間1時間のパネットーネを小さなオーブンで焼くため、毎年15個を作るのが精一杯だった。しかも友人へのクリスマスプレゼントを焼くにしては電気代がかかり過ぎた。これは妻をもっと怒らせた。
だが、ここで辞めるわけに行かない。なら、飛躍させるしかない。フランチェスコとルーカは、さらに二人の仲間を巻き込んだ。同じ工学部出身のダニエレと、フランチェスコの従妹のエリーザ。彼女は大学でマーケティングを学んでいる。この二人を巻き込み趣味の域であったものをもっと大きな何かにしようと企んだ。幸いなことにそれぞれが異なる得意分野を持ち、三銃士ならぬ四銃士として力を合わせ、話は発展していった。
まずはクリスマスに無償で贈っていたものを買ってもらえる商品にしようと試作品を作ることになった。生地はどれもパネットーネ種を用い、それまで同様にガレージでこねていたが、生産量が増え、ミキサーは業務用に変えねばならなかった。
ミキサーの電源は三相交流。そんなコンセントが住宅にはあるはずがない。近所にこれを持つ家が一軒だけ見つかり、延長コードを何本もつぎ足し、何軒もの住宅の庭を横切らせてもらいパネットーネと引き換えに電源を借りた。
試作品200個を焼くためのオーブンは、40キロ離れた知り合いの製パン会社に頼み込み、パンを焼かない夜間に貸してもらった。それを近隣の商店に配布し、満足のいく評価をもらうことが出来た。
2014年、会社を発足させ、ヴィラを利用して催されたクリスマス市と受注を含め511個のパネットーネを販売できた。この時もやはりガレージ生産で、製パン会社のオーブンを借りて焼いた。
2015年、70㎡の空きテナントを利用して最初の工房をオープン。設計費を安く抑えるため、ほとんどの大工仕事は自分たちで行い、彼らの発想に賛同してくれた銀行から小さな融資を受けた。
2015年の春。復活祭シーズンに初めて遠方からの注文を受けた。トスカーナの食料品店からコロンバ(colomba pasquale: パネットーネと同じくパネットーネ種で発酵させ鳩を象った季節菓子)を60個。自家用車にコロンバを満載して自分たちで配達し、店先で一つ一つ車から降ろすと店の店員たちが驚いた。フランチェスコたちの努力と情熱を褒めつつも、輸送に適したコロンバ6個が入る専用段ボール箱が流通していることを教えてくれ、次回から納品は配送会社に任せた方がいいとアドバイスされた。
その後も発酵種を爆発させたり、パネットーネを床に落としてしまったり、いくつかの悲劇も経験して迎えた2015年のクリスマス本番には、4000個のパネットーネを用意し完売した。
次いで2016年のクリスマスには生産個数は12000個に増え、包装係2名、菓子製造の下準備係2名のアルバイトを雇い、2017年、250㎡の作業スペースと18人の職員で新工房をオープン。全員、地元在住の若者たちを採用した。
2018年の受注数は35000個。より多くの受注もできたかもしれないが、生産能力を上回っている心配もあり、泣く泣く注文を締め切った。
夢を見られる者だけが夢を実現できる
フランチェスコは今もパティシエとして働いている。一方、ルーカは発送担当、ダニエレは総務を担い、僕に彼らのサクセスストーリーを語ってくれたエリーザがマーケティングと営業を担当している。
彼らが「食の祭典ゴロザリア」にデビューしたのは2016年、ヴェネト州で開催したゴロザリア・バッサーノ・デル・グラッパ(Golosaria Bassano del Grappa)で小さなブームを呼び、続くゴロザリア・ミラノにも参加。ミラノといえばパネットーネの本場だが、ここでも大成功を収めている。
彼らのパネットーネは一度食べたら忘れることのできない味わいがある。伝統的パネットーネ(il panettone tradizionale)はフランス風オレンジピールにオーガニックの干しブドウ、マダガスカル産バニラを使用。トレ・チョッコラーティ(il panettone ai tre cioccolati)はダークチョコにミルクチョコ、ホワイト・チョコと3種類のチョコレートが絶妙のバランスで焼きこまれている。素晴らしいのはイチジク、リンゴ&クルミ入り(il panettone fichi mela e noci)で2017年パネットーネ賞を獲得している。
パネットーネやコロンバは季節商品だから、それらを生産しない月は、オリジナリティ溢れるきれいなパン菓子やタルトなど他の焼き菓子を生産している。例えばバラのタルト(la Torta di Rose)は、元々マントヴァの伝統菓子で、バラの花のブーケを象ったパンケーキは、長期発酵による例えようのない柔らかさがあり、オレンジとバニラの甘い香りがたまらない。手作りビスケットも多種あるが、僕は深い味わいのマスコバド糖風味やシナモン風味が特に気に入っている。
ところで彼らの社名について一言。ラテン語の「Fermentum」は酵母という意味だが「Infermentum」はイタリア語で「in fermento」、つまりシュワシュワした活力、思考展開力、問題提議や最も素晴らしい青春期までもを暗示させる。
今回のテーマは気が早いかもしれないが、クリスマスに触れた。パネットーネがクリスマスの伝統菓子という意味だけではない。もの作りへの情熱と、例えば全商品のパッケージングを粉袋風にしたような、若いからこそ持てるこだわりと同時に無頓着で軽快な才能があったからこそのハッピーエンド・ストーリーだからだ。
夢を実現するにはまずその夢を見られるのでなければ、一切が始まらないということだ。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
SHOP DATA
Infermentum s.r.l.
Via Copernico, 40
37023 Stallavena (Verona)
+39 338 7025550
info@infermentum.it
www.infermentum.it
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。