365日の献身が生んだ豚肉加工の芸術
Vol.83 ヴェネト州ヴィチェンツァのサラミ生産者
2026.02.26
text by Paolo Massobrio / translation by Motoko Iwasaki
誰かに「お前はサラミだ。」と言われたら、それは少しも褒め言葉ではない。退屈な人とか愚鈍を意味する揶揄だ。どうして熟練の技から生み出されるこんなに旨いものを、長期保存という目的に端を発しながら、時に食する喜びの極みにまで昇華するこの食品を、ネガティブな性質に結びつけなければならんのか、正直理解に苦しむ。
この疑問はさておき、もし自分がサラミであるならば、僕はヴィチェンツァ産「ソプレッサ」になりたい。肩ロース(コッパ)、モモ肉、肩肉、バラ肉(パンチェッタ)、ロースにホホ肉といった、それ単体で主役となる上等の部位を、敢えて一つに混ぜて作られるのだから贅沢だ。赤身と脂身(ラルド)を合わせて挽き、牛の腸に空気を抜くように丁寧に詰め、セラーで最長2年間も熟成させるのだが、その独特の柔らかさを失うことはない。重量もどっしりと2~3キロ。スライス一切れが素晴らしいパニーノの具材になるし、さらにはこれをポレンタとポルチーニ茸の煮込みと合わせて口にしようものなら・・・!
ノルチネリアの職人が極める文化
イタリアでは豚肉加工を専門とする工房を「ノルチネリア(またはノルチェリア)」と呼び、その歴史は古くに遡るが、ここで諸君にあれこれ蘊蓄を並べて退屈させたくない。豚肉からより長期保存に耐えうる食品を生みだす必要性を、ノルチネリアで働く人たちがいつの間にか仕事熱にうなされて、優れた豚肉加工文化へと極めていったと理解してくれたらありがたい。
ヴェネト州ヴィチェンツァ県モンテ・ディ・マーロ(Monte di Malo)にある「ノルチェリア・パン・エ・サラド(Norcineria Pan e Salado)」のルイジ・モンディン(Luigi Mondin)のストーリーは、僕に言わせれば、まさにこの文化の基準点になり得るものだと思っている。彼自身にそれを語ってもらうとしよう。
「私たちの工房は、標高800メートルの丘陵地帯にあります。私のおやじのトゥッリオ(Tullio)が、1963年に肥育場を立ち上げました。最初に牛を、そのうちに養豚も少し始めて、肥育した家畜を販売していました。1973年から豚の飼育一本に絞り、本格的に養豚場として活動を始めました。
私はその当時まだ青年で、教員養成高校(師範学校)の学生でした。その頃には当たり前のことでしたが、学校から帰宅すると父を手伝い、豚の世話や10ヘクタールあったブドウ畑で働いていました。土着の白ブドウ、ドゥレッロ種から年に12000~13000リットルのワインも生産していました。ドゥレッロ種は今日ではスプマンテとして人気が高まっていますが、我が家では白のスティルワインとして生産し、安くて旨くてお酒のすすむ店として知られた地元のトラットリアに造った全てを卸していました。
19歳で高校を卒業し、希望すればそのまま大学に進学することも出来たのでしょうが、私は自然を相手に営む人生が楽しくて仕方なかった。それで、農業でやっていこうと決めたんです。
母のビアンカ(Bianca)の親戚は全員が牛、羊、子羊を扱う肉屋でした。だから私は何かしら彼らの血を受け継いでいるのかもしれません。我が家では冬のある一日に、豚一頭を解体するのが恒例行事でした。12月の終わりから1月の初め頃、腕の良い職人を呼んできて豚一頭を解体する。家族にとってそれは大事な祝いの日であり、私は若い頃からその日の肌寒さとあの雰囲気がたまらなく好きでした。
他人のために豚を肥育するだけではやり甲斐を感じられないが、では、自分がサラミを作れるかというと経験がない。もし、豚肉を自前でサラミに加工して売るならゼロからの出発になるし、間違いは許されない。工房の立ち上げにはそれは時間がかかりました。
1995年、友人や獣医らにすすめられて、まずはヴィチェンツァにある豚肉加工訓練所に通いました。さらに、小さくとも衛生規格に適合した作業所を用意する必要があった。作業所を完成させ、本格的に生産に携わるようになったのは1997年のことです。初めて11頭の豚からサラミを作りました、顧客も販路もないままね。不思議なことにそれが上手くいったんです。サラミを買ってくれた人たちが、あれは旨かったと口コミで広めてくれ、ゆっくりゆっくり顧客が増え、現在の欧州規格に適合した、相変わらず小規模のサラミ工房で、自分たちが飼育した豚から週に12頭分のサラミを生産するようになりました」
ルイジは、全ての製品において100%天然原料を使用し、手作業で加工。添加物、亜硝酸塩、硝酸塩も一切使用せず、熟成を早めるためにグルテンを添加することもしない。豚に与える飼料は、トウモロコシ、小麦、大麦を豚舎内の製粉機で挽いた独自の配合飼料だ。
彼がノルチネリアで生産する加工品は、ソプレッサを筆頭にサラミ数種が主体で、それぞれにニンニク入りとなしの2種類を用意する(ヴェネトの人たちはニンニク好きで、サラミにもニンニク入りは多い)。他にロール型パンチェッタ、コテキーノ(豚の外皮、肉、背脂などを粗めに刻んでスパイスとともに腸詰にしたもの。長時間茹でて熱いうちに食す)、そして「ボンドラ(bondola)」という豚の舌を丸ごと入れたヴィチェンツァ特産のコテキーノなどだ。それらを自然の地形を利用して造られた熟成庫で熟成させ、風味を際立たせる。どの製品もノルチネリアに併設された直販店で購入できる。
シンプルでも良く出来たものなら、多くの注釈は要らない
「私たちの工房では、真空ケーシング(充填)機は使用せず、手作業でケーシング(腸詰)を行っています。ここが私たち豚肉加工職人の腕の見せどころ。詰め物が充填されて腸がどんどん伸びていくのを適当なタイミングで止め、端をひねって閉じ、結んで出来上がり。そのタイミングは経験を重ねた手の感触で確かめるしかないんです」
ルイジには3人の子供がいる。食品安全衛生学を大学で学んだクリスティアーノ(Cristiano)、企業経済学を学んだマルコ(Marco)、そして心理学を専攻したキアラ(Chiara)。いずれも家業を継ぐという人生の選択はしなかった。だがそんな3人も、ルイジがそうしたように、そして今でも農家に生まれた者なら誰もがそうであるように、当然のこととして父を支えている。
最後にルイジの妻マルヴィ(Marvi)のことを忘れてはならない。古風な女性で、人前に出たがらないが、ルイジの右腕であり、工房の経営の核を成し、同時にサラミ作りの下準備、加工から販売に至るまでルイジの隣で身を粉にして働く。
「息子二人は今になって、仕事を辞めて家業を継ぎたいと言いだしました。私は、実際にそうする日まで絶対に信じませんよ。大変な仕事ですから、心底好きでないとね。年がら年中、朝から晩までここを離れることはできない、宣教師の布教に対する献身と変わりない。ただ、二人ですからね、交代して休みをとれば続けられると思っているのかもしれません。
私は後継者問題などさほど気にしていませんよ。これは私が好きでやっていることですから」
彼のこの言葉は、彼が作った製品を口にすればわかる。
僕が彼のサラミを知ったのは、マーロにほど近い町バッサーノ・デッラ・グラッパの老舗食材店のオーナー、アントニオ・バッジョ(Antonio Baggio)のお陰だ。食の祭典ゴロザリア・ミラノでも名店として幾度も表彰台に上ったアントニオから、「『イタリアが誇れる味とは』と考えた時、理想の味に最も近いのがこれだ」と言って差し出されたサラミを口にし、深く共感したのを覚えている。
最後にルイジはこう言った。
「私たちの工房の名前『Pan e Salado(パン・エ・サラード)』はヴェネトの方言で“パンとサラミ”の意味ですが、僕たちにとってはもう一つの意味合いがあります。
“シンプルでも良く出来たものなら、多くの注釈は要らない。即ち、旨いパンとサラミを口にした時のように”」
こうなると僕も、もう何も書き加えることもなさそうだな。
◎Norcineria Pan e Salado
Via Panizzon dal Maso 4/B
Monte di Malo (VI)
www.norcineriapanesalado.it
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
https://www.ilgolosario.it/it
『イル・ゴロザリオ』とは?
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。
『イル・ゴロザリオ』で公開されている『料理通信』記事はコチラ