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JOURNAL / JAPAN

二夏二冬、石の下で育まれる唯一無二の味 「八丁味噌」

[愛知]未来に届けたい日本の食材 #21

2022.10.06

text by Michiko Watanabe / photographs by Jun Kozai

変わりゆく時代の中で、変わることなく次世代へ伝えたい日本の食材があります。手間を惜しまず、実直に向き合う生産者の手から生まれた個性豊かな食材を、学校法人 服部学園 服部栄養専門学校理事長・校長、服部幸應さんが案内します。

連載:未来に届けたい日本の食材


江戸時代から続く伝統製法にのっとり、熟練の職人さんたちによって、大豆と塩と水だけで作られる八丁味噌。大きな木桶に円錐形に石を積み上げ、二夏二冬以上をかけて天然醸造で熟成させるのが特徴です。400年製法を守り続ける、「まるや八丁味噌」社長の浅井信太郎さんにお話を聞きました。

「時代がスピードを求めても近道せず、伝統製法を守り続けます」と社長の浅井信太郎さん。

このあたり、徳川家康公の生地で天下統一の出発点となった岡崎城から西八丁(約870m)の位置にあるので、八丁村と呼ばれていました(現在は八帖町)。それが八丁味噌の名前の由来です。八丁村は、矢作川と旧東海道が交わる水陸の流通、経済のメッカとして栄えてきました。矢作川には八丁土場と呼ばれる船着き場があり、吉良から来る塩の専売所、塩座がありました。水運を利用して、味噌の原料となる大豆や塩、木桶やタガにする竹などもスムーズに入ってきましたし、水も豊富でしたから、味噌作りには最適の条件が整っていたわけです。

八丁味噌の特徴は製法にあります。まず作るのが大豆麹。厳選した大豆を水に浸けて一定の水分を含ませたら、水気を切って蒸します。最適な水分で蒸し上がると、大豆は赤褐色になるのですが、これを拳大に丸めて玉状にして麹菌をふりかけ、大豆麹を作ります。

玉は小さいほうが早く熟成が進みますが、大きくすると蔵付き乳酸菌が入り込み、独特の風味を醸し出してくれます。大豆麹ができたら、塩水と合わせ、大きな木桶に入れて、人が中に入って足でしっかり踏み込んで余分な空気を抜きます。この上に円錐形に石を積むのですが、その技は石積み十年といわれ、職人の伝承によるもの。

当社で現在積める職人は2人、修業中が2人です。周囲から順に積んでいき、トータル3トンの石を積み上げます。積み上げた状態で二夏二冬、天然醸造で熟成させます。味噌ができるギリギリの水分で作るため、時間がかかる。でも、この時間が大事なんです。大豆のタンパク質をアミノ酸に分解し味噌になっていきます。


6トンの木桶がおよそ200本。一つの桶には約3トンの石が積み上げられている。水分が多いと熟成は早く進むが、ギリギリの水分で仕込み、ゆっくり時間をかけて熟成させることで唯一無二の味が生まれる。

蒸した大豆を丸め、麹菌をまぶして4日で大豆麹に。八丁味噌は熟成に時間をかけるため、麹玉を大きく仕込む。

(写真左)人間が先に桶に入り、塩水を混ぜた大豆麹を10数回に分けて入れる。ならしつつ、足で踏むことで余分な空気を抜き、雑菌が入らないようにする。
(写真右)桶がいっぱいになったら石積み作業へ。石は最大で1個60キロほど。石にも一つひとつ顔があり、それぞれの顔がよく見えるように積み上げる。


完成した八丁味噌は色が深まり、密度も増して硬くなる。スコップで掘り、桶から出す。

私ども、創業は1337年といわれております。当初は醸造業でしたが、江戸時代から八丁味噌を作り始めました。以来400年もの間、なぜ、八丁味噌作りを続けることができたのか。それはひとえに、旧東海道を挟んで向かいにある「カクキュー」さんのおかげです。伝統製法にのっとり、お互いの仕事を見守りつつ、時に相談しながら、八丁味噌の味を守ってきました。戦時中、価格等統制令が出されると、コストと売値が見合わず、品質維持が困難となり、お互い、休業宣言をしました。そうして、私たちは八丁味噌のプライドを守ってきたのです。

1968年からはアメリカへの輸出を始め、現在は20カ国に広がっています。社訓でもある「倹約第一」に励みつつ、先祖が築き上げてくれた味を大切に守り、次代へ伝えていきたいと思っています。

左が「まるや八丁味噌」。目の前の旧東海道を挟んで同じ老舗の「カクキュー」が並ぶ。


◎まるや八丁味噌
愛知県岡崎市八帖町往還通52
☎0564-22-0222
https://www.8miso.co.jp/

(雑誌『料理通信』2018年8月号掲載)

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