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JOURNAL / 世界の食トレンド

実現間近?フィンランドのラボ生まれの“細胞培養コーヒー”

Finland [Helsinki]

2025.03.31

実現間近?フィンランドのラボ生まれの“細胞培養コーヒー”

text by Asaki Abumi / photoraphs by Vesa Kippola
世界で流通するコーヒーの60%を占めるアラビカ種と40%を占めるロブスタ種は、農薬の使用やさび病などの問題で、今後30年で世界の生産量が半減すると予測されている*1。またコーヒーのカーボンフットプリントは他の農作物に比べて高く、全世界で年間330億~1260億kgのCO2に相当。これはデンマークやフィリピンなど1カ国の年間排出量に匹敵する*2。

北欧ではコーヒーは欠かせない飲み物だ。市民1人当たりの消費量も北欧諸国がトップを占める。だが今年に入り、コーヒーが「高級品」になりつつある変化を肌で感じるようになった。フィンランド公共局YLEは、2024年2月と比べて、コーヒーの価格は20.2%値上がりしたと報じたばかりだ*3。しかもコーヒーの生産には、土地や水の利用、労働者の権利、気候変動など、複数の持続可能性に関する課題がある。それでも北欧市民にとってコーヒーは、毎日飲みたい、愛すべき存在。解決策のひとつとして、代替品の需要が高まっている。

フィンランドでイノベーションを促進するVTT研究機関(VTT Technical Research Centre of Finland)は、コーヒーの細胞培養生産という、驚くべき開発に取り組んでいる。この新技術では、木や果実、豆は存在しない。コーヒーの細胞を培養し、細胞株を確立した後、醸造タンクに似た大型の鋼鉄製の容器「バイオリアクター」内で細胞の合成・分解・生産を行う。バイオマスが出来上がったら「乾燥」させ、加熱して「焙煎」する。焙煎後は従来のコーヒー粉末(挽いたコーヒー豆)のように見え、コーヒーフィルターに入れてお湯で抽出することが可能だ。分析の結果、まだ課題はあるが、従来のコーヒーと同じく様々な味や香りの再現に成功している。

コーヒー豆の細胞が入ったペトリ皿
コーヒー豆の細胞が入ったペトリ皿。プロセスの初期段階のもので、バイオリアクター内で液体培地に懸濁(液体中に個体の微粒子が分散)した状態。特殊な条件下で急速に成長し、バイオマスを形成する細胞を増殖させるための“種”のような役割を果たす。
培養したコーヒーの細胞(写真左上)を乾燥させると、白い粉の状態(中央)となる
培養したコーヒーの細胞(写真左上)を乾燥させると、白い粉の状態(中央)となる。実験では普通のオーブンで“焙煎”すると、私たちが想像するコーヒー色の粉(写真右上)となる。

2021年に始まったこの画期的な研究開発は、今も活発に進んでいる。
「コーヒー豆の価格上昇により、この技術への関心が加速し、価格の同等化が容易になりました」と、研究チームリーダーで理学博士でもあるヘイコ・リッシャー氏は取材で答えた。
「コーヒー細胞のような植物細胞は、動物(肉)細胞よりもはるかに簡単に培養できます。複雑な有機培地ではなく、安価な無機培地が使用されるからです。バイオテクノロジーの製品コストは、主に生産規模に依存します。最初は小規模生産のためコストは高くなりますが、生産量が増加するにつれて削減されます。実際、コーヒー豆の価格が上昇しているため、コストの同等化は容易になるでしょう」

世界的に見ても、「細胞培養コーヒー(Cell Culture-Based Coffee)」の開発に取り組む企業は増加傾向にあるという。機密保持のため、顧客企業については公表できないが、2025年2月時点ではまだ製品化はされていない。
「細胞培養コーヒーの品質にも多様性があります。 また、従来のコーヒーよりもカフェインが少ないことがわかっています」(リッシャー氏)

細胞培養コーヒーは従来のコーヒーと同様の香気成分プロファイルを示すことが確認された
細胞培養コーヒーは従来のコーヒーと同様の香気成分プロファイルを示すことが確認された。一方で、いくつかの重要な香気成分が欠如していることから、さらなる最適化が必要だ。今後は焙煎や調合などのコーヒー加工の技術的側面にも焦点を当てる必要があると論文では結論付けている*4。

コーヒー豆は年に1~2回収穫できるが、細胞培養コーヒーは、プロセスが管理され細胞が無限に再生可能なため、1カ月で新たなバッチを作ることが可能だ。

コーヒーの香りや品質は多様だからこそ、焙煎業者やコーヒーブランドなど、関係者全員で協力し合い、商品化に必要なプロセスを構築する必要がある。VTT研究所は開発方法を秘密にしているわけではなく、そのプロセスは2023年に科学論文としても発表された。透明性や協働を大切にする北欧らしさともいえるだろう。

気候変動などの世界的な課題に取り組みながら、愛するコーヒーをこれからも飲むためには、選択肢は増える必要がある。未来の道筋を示す細胞培養コーヒーが製品化され、スーパーの棚に並ぶ日も、そう遠くはないかもしれない。

農地や豆なしでコーヒーを淹れるとはどういうことかをイラスト化したもの
農地や豆なしでコーヒーを淹れるとはどういうことかをイラスト化したもの。上段が研究所生まれのコーヒーが出来るまで、下段は土壌で栽培する従来のコーヒーが出来るまでの流れ。研究所生まれのコーヒーは、「コーヒー細胞ラボ」「コーヒー細胞培養」「乾燥」「焙煎」「調整とブランディング」「包装と輸送」を経て1杯のコーヒーが出来上がる。

VTT Technical Research Centre of Finland Ltd
https://www.vttresearch.com/en

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