料理界の新しいリーダーから見たフランス料理の現在地。
「ガストロノミー “ジョエル・ロブション”」関谷健一朗
2025.06.27

text by Michiko Watanabe / photographs by Sai Santo
自分の料理を「フランス料理です」と胸を張って言えるようになったのは、ここ数年のことだという関谷健一朗シェフ。フランスで働き、M.O.F.(Meilleur Ouvrier de France:フランス国家最優秀職人章)という栄誉を手にしながらも、常に「日本人がフランス料理を作る意味」を問い続けてきた。自らの不完全さを認め、チームの力を借りながら、アーティストであることより職人でありたいと、実直に基本技術の研鑽に励んできた。その姿からは、料理界の新しいリーダーの在り方が浮かび上がる。シェフの目から見える日本のフランス料理の今とこれからについて聞いた。
目次
関谷健一朗(せきや・けんいちろう)
1979年千葉県生まれ。新宿調理師専門学校卒業後、ホテルオークラ東京ベイなどで経験を積み、2002年に渡仏。ルカ・キャルトンやル・グラン・ヴェフールなど名店で修業した後、06年からパリの「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」に勤務、26歳でスーシェフに。10年東京・六本木の「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」料理長に就任し、18年「<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール」で日本人シェフ34年ぶりの優勝を果たす。21年ガストロノミー “ジョエル・ロブション”エグゼクティブシェフ(総料理長)に就任。23年フランス国家最優秀職人章(M.O.F.)料理部門を日本人として初めて受章し、フランス文化の担い手として認められる。翌年にフランス農事功労章シュヴァリエも受章。
二度とない毎日が料理人を鍛える
今日作った「 La Volaille Rôtie 鶏のロティ」は、日本でフランス料理に携わっている人への僕からの投げかけ、ですかね。コレ、ちゃんと作れますか?という・・・」
決して上から言っているのではない。自問でもある。
伝えたい一皿「鶏のロティ」

鶏のロティはフランスの国民食といってもいい料理。フランスでは見習いの仕事だ。日本ではどうか。フランス料理の料理人といいつつ、鶏1羽を針と糸で縛り、お客様に出せるクオリティでちゃんと火を入れ、フロアで骨の関節を外しながら美しく切り分ける。そこまでできる人は少ないのではないか。世の中、便利になって道具も増えたがゆえに、切ること、焼くことといったひとつひとつの基本技術が疎かになってはいないか。そう危惧する。
「たとえばテリーヌを作る時、2種類の食材を5ミリ厚さに各5枚ずつスライスして交互に重ねると、10枚で5センチになりますよね。それがスポッと収まる5センチ厚さの型があるんです。試作で初めて作ったとき、5ミリはみ出しました。まだまだ研鑚が足りない証拠です」
でも、それができることがフランス料理人として”当たり前”なのだ。「僕らの厨房は最新設備が揃っているように思われますが、意外と旧式のシンプルな調理器具ばかりです」


巷では“イノベーティブ”を冠したアーティスティックな料理が注目されてきた。
「若いスタッフたちは好きですよね。自分を表現するアーティストになりたい人が多い。僕自身も憧れはあります。それを否定する気はまったくないですけれど、自分はアーティストというより職人でありたい」と関谷は言う。
視覚的な美しさと創造性、芸術的なプレゼンテーションを極めた「アルページュ」のアラン・パッサールの職人でありながらアーティストでもある姿に強く惹かれたが、食パンを包丁で極薄にスライスしたり、オーブンに手を入れて「何℃かわからないのか?」と聞く、研修先である「ランブロワジー」のベルナール・パコーが好きだった。自分の仕事を限りなく良くしようとする実直な姿が、自身の道と重なった。
「日本料理でもフランス料理でも、きちんとした基礎があって、知識と技術を蓄えた人が辿り着いた先がイノベーティブだったらいいけれど、表面的なところしか見ていないと、知識も技術も先細りするのでは」と案じてしまう。

また、日本では人手不足や経済的な理由もあろうが、ワンオペや、一斉スタート、コース一本の店が多いことにも懸念を抱く。「同じものを何皿も作ることで、クオリティは上がっていくでしょうが、(頭と体をフル回転させて)料理を作るという刺激はない」
いろんなオーダーが入って、いろんなタイミングでいろんなものを作る。二度とない毎日を繰り返すことで、料理人としての瞬発力や対応力が鍛えられる。
しかし、日本の場合、関谷がいうような店に恵まれる人は少ないかもしれない。「大切なことは、どこの店に行こうが、その人の志だと思います。志の高い人がいる店で働くのが近道のような気がします。切磋琢磨できる仲間が見つけられる環境もまた大切です」
シェフが苦手を隠さない理由

「僕は自分が仕事をしやすい環境を作るのに、だいたい3年かかるんです」
東京の『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』のシェフになった時も、また、ここ『ガストロノミー “ジョエル・ロブション”』でも同様だ。
「スタッフの足りないところを補って、一緒に働いてチームとしてひとつになるのにかかる時間。そういう経験を2回してきました。そのたびに思うのは、自分が優秀ではないから、みんなに助けてもらう」という認識。これは関谷にとってとても大切なことである。
「僕は苦手なこととか、できないことを隠さない。できるフリもしない。得意な人にカバーしてもらう。お互い凸凹しているところを助け合う。すると、チームがだんだんひとつになっていく。多分、店のみんなが一番よく知ってるんじゃないかな、僕がそこまでできる人じゃないってことを」

この、ジョエル・ロブションという名を冠した店で働く限り、自分がこれまでロブションの右腕、左腕の人たちから教わったことしかできないし、やるべきだと思っている。
「スタッフにも同じように教えたり、同じような言い方をしていたり。重箱の隅をつつく、ではありませんが、細かく鋭く指摘されたことは、それは注意しなきゃいけないポイントだと思っています。あれだけカリスマ性のある人がいた店ですから、教わったことは体に染みついています。それを今度は伝えていくことだと思います」

コンクールは厳しいけれど、楽しまなくちゃ
2010年、9年弱のフランス生活を終えて日本に帰ってきた当初、関谷は不安で仕方がなかった。シェフとして自分が作りたい料理を出すと、お客様からの感想はいただくが、プロの目からお世辞なしで評価される機会はない。シェフという立場ゆえに、気付かぬうちにひとりよがりになっていないだろうか。自分が歩んできた道は間違っていなかったか。
コンクールに出よう。出ることで、自分の日常の仕事を見つめ直す機会になる。評価されれば、自分でやってきたことは間違っていなかったと自信になる。日本に帰り、いろんなスタッフと仕事をして「勉強しろ」と言っていただけに、シェフはどうなのかと思う彼らに、自分が挑戦する後ろ姿を見せることもできる。師であるジョエル・ロブションもたくさんのコンクールで数々の賞をとってきた。近いところをいきたい気持ちもあった。

本番では、最初に現地のコミ(見習い)とコミュニケーションをとる。コンクールは普段の厨房と同じ。スタッフの協力なくしてはできない。事前準備では会社も含めての協力が必要だ。
「自分ひとりでできることなんて、たかが知れています。大会では日常的にチームでやっている仕事が丸出しになる。まぐれでできるものはない。直前に訓練しても、体にしみついたものすべてが出るんです。いつも以上のことはできない場所なんです」
「M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)のときは、規則正しい生活をしていました。夜は早く寝る。朝起きて散歩しながら出勤する、とかね。<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール(現:アルスノヴァ国際創作料理賞)で優勝したときに気づきました。コンクールにはそういう余裕が必要なんです」。追い込んで追い込んで、辛いな、大変だなというときは、あと一歩及ばなかった。

<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクールでは、卵の温前菜の課題が出された。季節は秋。試作ではメレンゲのドームを土台に、ジャガイモで形作ったモミジとイチョウの葉を装飾として配した。モミジにはビーツで深紅の色合いを、イチョウはターメリックで鮮やかな黄金色に、紅葉を表現。意気揚々とフランス人に見せると「わからない」と言われた。なぜだろうと考えながら散歩に出ると、ふと道端のプラタナスの色づきが目に留まる。厨房に戻り、赤のモミジを取り除き、黄色のイチョウに焦げたようなブラウンの色味を加えた。ふたたび先のフランス人に見せると、「うん、よくわかる」と返答をもらえた。
「あ、フランスで料理作ってるんだった、って気づかされましたね(笑)。コンクールってどうしても苦しい話にされがちだけど、楽しくなければ。余裕がないと勝てない」
日本人がフランス料理を作る意味
さて、根源的な疑問。なぜ、日本人がフランス料理を作るのか。
「日本人がフランス料理を作る。その意味を若い頃からずっと考えてきました。そもそも、日本人なんだから、ちゃんとしたフランス料理が作れるわけがない。フランスでも、日本人なのになぜフランス料理を勉強するのかと何度も聞かれました。でも、今もってその明確な答は見つかっていないんです」
関谷が渡仏したのは2002年、すでにパリでは日本食ブームが本格化していたころだ。
フランスでもほんのひと握りにしか与えられない実績を持ちながら「自分が作る料理はフランス料理です、と胸を張っていえるようになったのはここ数年のことです」。以前は、ジョエル・ロブションの愛弟子といわれることに戸惑いを感じていた。師をリスペクトしているからこそ、そこまでの実力がないとその呼び名に値しないと思っていた時期が長くあった。それくらい、伝統的なフランス料理の真髄への理解と、技術に対する渇望があった。

特別な一皿 「エイのポシェ 梅干し」

関谷にとって、特別なひと皿がある。「La Raie servie avec un beurre noisette à la prune salée et au riz croustillant 北海道産エイのポシェ 梅干しで酸味を効かせたブール・ノワゼットと共に」である。
帰国してから作り続けて10年以上になる。以前はメイン食材となるエイを焼いたり、その焼く脂をあれこれ変えてみたりしたこともあったが、今はポシェ(湯煮)で落ち着いている。
瞠目すべきはソースだ。フランスでは、エイにケイパー入りのブールノワゼット(焦がしバター)を添えることが多いが、関谷はケイパーではなく、個性的な酸味を加えたくて、梅干しを加えている。そして、お決まりのクルトンではなく、梅干しには米だろうとリスフレ(もち米のライスパフ)を。
「置き換えたようではありますが、日本らしい食材でまとまった。これは、自分でゼロから考え出したもので、フランス人には生み出せない味です。フランス料理に長く携わった日本人だからこそ作れた味。これはフランス料理だと胸を張っていえるものだと思います」何と、この料理のために毎年30キロ、梅干しを漬けている。

作り続けるうちに、季節になると楽しみにしてくれるお客様もできた。「まだまだ、これから育っていく料理だと思います。もしかしたら、将来これが僕のスペシャリテに成長するのかもしれません。どなたかがそう言ってくれる日を楽しみにしています」

◎ガストロノミー “ジョエル・ロブション”
東京都目黒区三田1-13−1 恵比寿ガーデンプレイス内
☎03-5424-1347
11:30~13:00LO/15:00close(土曜、日曜、祝日のみ)
17:30~20:00LO/22:00close
※2025年7月よりディナータイムの営業時間変更
平日は17:30〜20:00LO、土曜、日曜、祝日は18:00〜20:00LO
不定休
https://www.robuchon.jp/shop-list/joelrobuchon
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