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PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

太田光軌さん(おおた・こうき)

「農家パン 弥栄窯」~“農家パン”という生き方~

2019.11.01

「フランスの農家パンを訪ねて」というタイトルで、麦の栽培からパン作りまでを手掛けるフランス・ノルマンディー地方のバルバリー農園を紹介したのは、2014 年のパン特集でした。
自然エネルギーを動力源とし、石臼で挽いた粉で、薪窯で焼くパン作りは、大きな反響を呼びました。
「おいしさを求めることは危険だ」という農業主セルジュの言葉に衝かれた人は少なくありません。

今、「弥栄窯(やさかがま)」を営む太田光軌さんもそんな一人。
太田さんは実際にバルバリー農園に入って、“半農半パン”の生き方を体験してきました。そして、帰国後に選んだのは、やはり“農家パン”という生き方です。

text by Eiko Hirata / photographs by Shinya Morimoto




「森が多い日本では、薪で焼くのが自然なやり方と思った」

京都市内から日本海に向かって車を走らせること2時間余り。丹後半島のほぼ中心部に位置する京丹後市弥栄町。そこからさらに山道を進んだ先の山間の集落に建つ古民家が、太田光軌さんの営む「農家パン 弥栄窯」だ。

2年前に着手して今も改修中という古民家の一間に、太田さんはパン工房を設けた。山々の間から朝陽が昇るのを確かめながら、木々や畑を見渡せる窓辺で生地を捏ねる。その姿には、長年この地でパン作りを生業としてきた職人のような気概が感じられる。
物件を見た時から、外を見渡せるこの場所に大きな窓を作ろうと決めていた。パンの仕込みは朝陽が昇るより前の早朝4 時から始まる。




小麦とパンの間の距離
京都市内の大学に在学中、東日本大震災が起きた。就職活動期間だった。
太田さんは震災を機に土地と食の大切さを痛感。「土と食卓の間に立つような仕事がしたい」と考えるようになる。地域おこし事業の一環として短期滞在研修者を募っていた京丹後市を訪れた際、偶然出会った農家の梅本修さんに「一目惚れ」。梅本農場で約1年半、有機農法による野菜作りを学び、自然な生き方に触れた。

ちょうどその頃、後に奥さんとなる治恵さんがパン教室に通っていた影響で、パン作りも楽しむようになった。
「パンを作るうちに、小麦から育てたくなるのは、僕にとって必然でした」

農場の一角を借りて小麦を栽培し、パンを焼いた。収穫した小麦は足踏みで脱穀して、唐箕と手で選別する。収穫してから掛かる手間にも驚いたが、自分の手から食物が生まれているという実感でワクワクした。

しかし、見渡せば、一般的なパン屋のありようは、太田さんが目指すものとは違う。パン作りに興味はあるものの、それを仕事にすることは到底想像できなかったという。
「日本では、小麦とパンの距離が遠すぎる。その遠さが、食や生活のバランスの崩れを生んでいるように思います」
そんな折、2014年の小誌パン特集でフランス・ノルマンディー地方のエコ・ファーム、バルバリー農園の存在を知った。農園で栽培した小麦と自然エネルギーを用いてパンを焼く農家パンの記事を読み、「これが僕のやりたいことだ!」と直感した。クラウドファンディングで渡仏資金を集め、ワーキングホリデー制度を利用して、バルバリー農園での研修をスタートさせたのである。




欧州の農家パンを手本として
バルバリー農園では、パン焼き工房を営むセルジュ・エネと生活の大半を共にした。
「パンのレシピにはさほど興味がありませんでした。それよりも農家の暮らしに身を置きたかった」
畑や庭での作業から駐車場のコンクリート舗装まで、できることは自分たちでまかなう生活を経験。週3日行なうパン作りでは、初日から500㎏の生地を成形する作業に圧倒されたが、ひたすら体を動かす肉体労働的なパン作りの日々は心地良かった。「慎ましい暮らしの中で味わうパンは、とても尊いものでした」

さらに、バルバリー農園を拠点として、イタリア、クロアチア、トルコ、ジョージアの農家パン屋も巡った。研修先を選ぶ共通点は、薪でパンを焼く工房であること。「本来、パンは、その土地に根ざしたエネルギー源によって焼かれてきたのだと思う。森林資源の多い日本なら、薪で焼くのが自然なやり方。自分がパン屋をやるなら、薪窯しか考えていなかった」
窯内のレンガの色が真っ黒になった後、パッと明るくなれば十分温度が上がった合図。窯入れが一番集中を要する時。


太田さんはヨーロッパで暮らす間に、いつしか「農家パン屋になる」という気持ちを固めていた。
14カ月のヨーロッパ修業を経て、京都に戻り、現在地を拠点に定める。京丹後市の野間と呼ばれる地域、太田さんが自然豊かで静かな環境を気に入っていた場所だ。
ヨーロッパで見てきた様々な窯を参考にして、自分の手でレンガ窯を築いた。薪をくべての焼成は、いろいろな薪窯で積んだ経験から、すぐにカンが掴めたという。
畑に立つ感覚を持ち続ける
今年の収穫が待ち遠しい、約20aの麦畑。米ぬかとふすま粉を撒いて追肥したところ。




工房から近くにある畑で、小麦の栽培にも取り組む。もちろん農薬や化学肥料は使わず、自然で健康な小麦の収穫を目指す。薪窯から出る木灰を良質なミネラルとして畑に還せるのは薪窯の魅力のひとつだ。
しかし、初年は鳥害に遭い、2年目は収穫直前にイノシシに食べられ、ほとんどを失った。そして3年目の今春。何カ月もの間、雪の下に隠れていた芽が地表に姿を見せ、青々とした葉を伸ばしている。

現在は国産有機の素材を選び、栃木県の上野長一さんが無農薬で栽培する小麦や、ライ麦は石臼で自家製粉して使う。良質な素材を提供してくれる人たちに支えられて、太田さんの「プロの農家」に対する尊敬の念はさらに増した。
高加水でグルテンも弱く、ドロリとした生地の「コンプレ・ビオ」の成形。余った手粉や端生地はコンポストで土に還す。循環も太田さんのテーマだ。




温度計や冷蔵庫には頼らない。窓を開けたり、生地棚と窯の距離を近づけたりして、発酵を調整する。




薪は地元の建築業者から廃材を譲り受け、パン焼き作業のない日に割っておく。「いずれは地元の山で燃料を調達するようになりたい」。テーブルに見えるのは、友人の木工作家に作ってもらった生地を捏ねる舟(桶)。蓋をすれば作業台にもなり万能。




カンパーニュ・ビオ(右)、コンプレ・ビオなど、シンプルなパンを時季によって4 ~ 5 種類焼く。どれも土やレンガを思わせる深い焼き色で、どっしりと存在感がある。販売は卸しが中心。




小麦栽培が軌道に乗っても、100%の自給は無理かもしれない。それでも小麦を育てることはやめないつもりだ。「畑に立つ感覚を忘れたくない。畑をやめれば、きっとパンとの向き合い方が変わってしまう」
太田さんの焼くカンパーニュは噛みしめるほどに穀物の持つ様々な香りが立ち上る。素朴で力強く、変化に富んだ風味が鮮やかだ。それはこの土地の自然の姿のようでもある。この土地で生きると決めた太田さんの思いを理解するのに足りる味である。
太田光軌さんと治恵さん。取材時、治恵さんのお腹には赤ちゃんが。4月29日に無事、元気な女の子が生まれました。




◎ 農家パン 弥栄窯
京都府京丹後市弥栄町須川3084
https://yasakagama.com/

























































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